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スマホのない1ヶ月半を過ごして

  • ジャンル:ニュース
久しぶりのログです。

些細なきっかけからスマホを壊してしまい、1ヶ月半ちょっとの間スマホなしの生活を送っておりました。

保証は効かなかったの?と聞かれますが、新しいスマホを予約した次の日に壊れたものですから、保証額を支払ってまで修理する気にはなりませんでした。

すぐ来るだろうと思っていた次のスマホ…コロナの影響による部品提供の遅れなのか、予約後に減産発表、一時は納期未定にもなり最終的に1ヶ月半も掛かってしまったというわけです。

「今の時代にスマホ持ってないの?困らない?」なんて笑われながら過ごしたこの1ヶ月半ですが、当の本人はというととても有意義な日常を過ごせただけでなく、ほとんど困らないことに気付いてしまいました。

釣りにおけるSNSの立ち位置ってなんだろう?

仕事でも趣味でもなんでもかんでもSNSが絡むこの世の中で、自分自身ずっと抱いていたモヤモヤの正体と解決策をしっかりと認識することが出来たのです。


さて、スマホをなくしてからの日々はというと、スマホがない初日こそふとした瞬間にポケットに手を突っ込む自分がいましたが、日が経つにつれ着実にスマホという存在を忘れていく自分がいました。

「いやいや、スマホないとか考えられないし」

周りからもそう言われましたし実際に自分もそう思っていたのですが、不思議なことにいざスマホがなくなってみたところで、それほど不便と感じることが見当たらないのです。

釣り人目線で考えると、タイドグラフがわからない、天気予報(特に雨雲レーダーなどのリアルタイム速報)がわからない、Googleマップでフィールドの立ち位置や調査が出来ないなどがありますが、スマホ以外でそれらを確認する術はちゃんとありますよね。

釣具屋に置いてある潮見表だったり、テレビの天気予報だったり、フィールドの地形だって今でこそすぐマップの航空写真でブレイクラインまで見えちゃったりしますが、ちゃんと自分の目で見て自分の足で歩いて確認すればいいだけのこと。

天気の急変や地形の把握の不十分は事故に繋がるという意見も出てきそうですが、スマホがなくてもそれらの事故を回避する術はもちろんあります。

雷や豪雨の可能性があるかな?と思ったらそもそも釣りに行かなければいいですし、地形がわからないところでいきなりウェーディングや極端な立ち位置などを取らなければいいだけの話です。

スマホがあるから安全なのではなく、安全を考える自身の意識があってこそ安全なのだと思うのです。

ただし全てが困らないかと言えばそうではなく、釣りという遊びは自然相手ですからどれだけ気をつけているつもりでも落とし穴にはまってしまう場合があります。

そういった時に最終的に頼りになるのはやはり、"外部との連絡手段=電話"です。

万が一エイに刺されたら?万が一沖へ流されてしまったら?

自分の場合は子どもに持たせているキッズケータイを預かって出掛けることが出来ましたし、職種柄緊急の呼び出しなどもあり会社のガラケーを持っていましたのでそこは大丈夫でした。

現代人にとってのスマホという存在がなくなっただけであって、電話という連絡手段がなくなったわけではないということが、たいして困らなかったことの大きな要因だったと思っています。


自分はどちらかといえばスマホ依存症だと思っていました。

釣り関連の情報を入手するツールとしてメインで活用していますし、SNSも各種普通に利用しブログもしています。

ただここ半年くらいで元々抱いていたある思いが強く芽生えてきて、モヤモヤとする日々を送っていました。

SNSや他人の情報に囚われて、自ら自分の釣りをつまらないものにしているのではないか?ということです。

自分はあまり人と釣りに行きません。人と釣りをしたくないわけではなく、自分がやりたい釣りをしているだけという表現の方がしっくりくるのですが、もしかすると少数派な意見なのであまり理解はされないかもしれません。

その分、フィールドや釣具店などで知人やSNSで繋がった人たちとごく稀に会うといろんな話をするのですが(釣りはいかないけど人と話すのは好きな性分です)、その時よく「独特な釣りをされますよね」と言われます。

ハンドメイドルアーとオリジナルロッドを持って、ハイシーズンフィールドには全く現れず、我が道をゆく。

一見すると確固たる自分を持っている釣り人のように思われるかもしれませんが、自分ではそうは思わないしむしろ真逆です。

釣れているフィールドに現れないのは、そこが釣れているとSNSでわかるから。

人の釣果を気にしないで我が道を進んでいるのではなく、人の釣果が気になるから我が道を進もうと言い聞かせているだけ。

メーターを狙って獲りたいのも、偶然性と難易度から実現できる人はごく少数に限られると思い、ありふれた星の数のうちのひとつから抜け出せるかと思ったから。

振り返ると、自分の本当の意志で決めたことなんて何ひとつないことに気付きました。

SNSや他人の考えがベースに作られた選択肢の上を洗いているだけ。

いつからこうなってしまったんだろう?と振り返ったところで、もうとてもじゃないけれどスタート地点なんて見えっこありません。

そんな中訪れたスマホが壊れるという事態。

SNSから解放され、他人の声は聞こえない。
いいねの数やフォロワーの数なんて気にしない。
良い景色や楽しい瞬間に、カメラのシャッターボタンを押さない。
自分が釣った魚をわざわざ人に見せようなんて思わない。

スマホに照らされる親の青白い顔が、眠りにつく1日の終わりの記憶じゃなくて済む子どもたち。

情報収集・発信は確かに大切。けれどもそれ以前に大切である心の豊かさは、スマホの画面越しでは絶対に見えてこないことを実感したのです。


自分が初めてガラケーを手にしたのは高校入学時で、スマホを手に取ったのはおそらく大学時代だったと思います。

約15年ぶりに味わったスマホのない日常はたった1ヶ月半ではありましたが、今後の趣味の楽しみ方や人生の豊かさにまで影響を与えるような、とてもインパクトの強い経験だったと思います。

SNSと釣り。

あたなは1日に何回、他の釣り人に対して不満を表す投稿を目にしますか?

自分は釣りにSNSは必要ないと思います。

もちろん私自身これまで多くのことを学ばせてもらい発信してきましたし、多くの繋がりも手に入れることが出来ました。

それらは言うまでもなく大切な財産でありますが、SNSやインターネットがなくてもきっと問題ないと思います。

地球という自然で遊ばせてもらう全ての人々は出逢うべくして出逢うものであり、特に釣りという有限な資源を分け合う者同士ならば尚一層、そうであるべきではないかと思うのです。

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