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浸かるのは踝まで

  • ジャンル:ニュース
"浸かるのは踝(くるぶし)まで"

私のスズキ釣りに大きな影響を与え、鹿児島から故郷へと帰っていった友人がくれた言葉。

それはシャローのスズキを釣る上での心得であるわけですが、"スズキ釣りで命を落とさない心得でもある"と私は強く思います。


上記ログの後半にて、- 私なりのウェーディングにおける一貫した立ち位置選択の意識を一応持っている - ということを述べました。

その意識というのが、浸かるのは踝までということになるのです。


■ 気軽に出来る釣りにも常に危険は隣り合わせ

自然で遊ぶ趣味は世の中に沢山ありますよね。
それも、誰もが気軽に出来るような遊びから、かなり洗練された知識やスキルを持って挑むような遊びまで幅広くあります。

その中で釣りという遊びは、"誰もが気軽に出来るような遊び"に位置付けされるのではないでしょうか。

もちろん磯で狙うヒラスズキだったりボートからのGTやカジキ釣りなど、釣りのジャンルの中でもかなり高い知識と技術を必要とする面もありますが、岸壁から餌をつけて糸を垂らすというのが釣りをしない人から見ても一般的な認識ではないかと思います。

「気軽に出来る=安全なのか?」と問われると、ある程度釣りをしたことがある人なら次第にわかっていくと思います。

気軽に釣りが出来る人気の場所である「岸壁」の危険性を。
ついつい安易に乗ってしまいがちな「消波ブロック」の危険性を。

上記箇所の危険性はすでに様々な情報発信がされており、初心者でも出来る釣り=安全な釣りとは直結しないことがわかるかと思います。

釣りは間違いなく危険が伴う趣味です。
フィールドの難易度と危険度はある程度比例すると思いますし、簡単なフィールドだからと言って危険度がなくなるかというとそうではなく、どんな釣りでも水に近付く以上危険なのです。

安全は正しい知識と正しい装備、そして1番重要なのが"常に恐怖心を抱く意識を持つこと"ではないかと私は考えます。

当記事はスズキ釣りの手段のひとつ、"ウェーディングにおけるリスクを減らす為の意識と実践していること"について、私なりの視点でお伝えしたいと思います。


■ 死へと確実に一歩近付くウェーディング

少し大袈裟に感じる表現だと思う方もいらっしゃるかもしれません。

しかし私は、誰がなんと言おうと"人間が水の中に一歩でも足を踏み入れる時点で、死へと確実に一歩近付く"と考えます。

ウェーディングでの危険ポイントについてですが、私はざっくりふたつの要素を考えました。

ひとつは、外的な要因における危険性。
たとえば、エイを踏んでしまってエイの毒針が身体に刺さること。

もうひとつは、内的な要因における危険性。
たとえば、上げ潮などの水位の上昇によって退路が経たれそのまま流される等です。

厳密に言えば両方の要因とも複合的に考えなければならないので断言することは難しいかとは思いますが、どういうことが言いたいのかといいますと…

エイの毒針が刺さる → 刺してきたエイのせい
水位上昇で帰れなくなる → 判断を見誤った自分のせい

という感じです。(そもそもエイを踏んだのは自分の不注意のせいだろ!というのは置いておいて)

ここでは、"内的な要因のリスクを減らす意識の部分"について取り上げたいと思います。


■ 浸かるのは踝まで

私がウェーディングで死なない為に意識していることは主に3つです。

1.釣るためのウェーディングをしない
ウェーディングをする目的については人それぞれと思いますが、極端な話私は"衣服を濡らさずに釣れた魚を蘇生する為にウェーダーを着用している"ような感じです。

好みの河川というのがフルキャストすれば対岸まで届くような規模が多いというのも、そのような考えに至る理由のひとつかもしれません。

たとえば私が思う釣るためのウェーディングとは、「100メートル先のブレイクを打つ為に腰上あたりまで浸かって岸から50メートルの位置でウェーディングをする」というような感じ。

ですが、ウェーディングアングラーであればこれはけっこう当たり前に実行することなのではないでしょうか。
特に干潟など浅瀬が続くエリアでのスズキ釣りでは、ごく一般的な行為なのかもしれません。

私自身、そのポイントを知っている友人と共に過去に数回だけ干潟の釣りを経験したことがあります。

けれども、それ以来やっぱり干潟の釣りはしてません。陸地から離れるのが怖いんですよね。

だからいつも遠くにいるウェーディングアングラーを眺めながら、手前のシャローエリアをウロチョロしています。

ウェーダー履いて2〜3時間の釣りを終えても、ウェーダーが一切濡れていないことなんてザラです。
魚が釣れてずり上げランディングしてから、その日初めて水に浸かることもよくあります。

ちなみに釣るだけなら長靴でも良いんです。
間違っても蘇生の為に水辺でしゃがみさえしなければ、です。(恥ずかしくてコンビニに寄れなくなります。笑


2.すぐに陸に上がれる場所でしかウェーディングしない
これはウェーディングする距離というよりは、"陸に上がれる場所がしっかり背後にあるかどうか"ということです。

過去に私が体験した失敗談なのですが、夏の時期に河川中流エリアをウェーディングで散策していた時でした。


当時のログを改めて読み返してみると、今回のトンガの津波でもまた同じ過ちを繰り返している…と少し情けなくなりますね(汗

この時の反省点のひとつが、"エントリー場所(数百メートル先)しか陸に上がれなかったこと"です。

実際に浸かっているのは膝下程度でも、陸までに背丈を超える水草(足が埋まるような泥底質)であったり急な斜面であったりして、とてもじゃないけれど安全に陸に上がることが不可能な場所だったのです。

干潟ですぐに引き返そうとしても何十分も掛かるのと同じような状況に、たった膝下の水深しかない場所で陥っていたわけです。

どれだけ魅力的なストラクチャーがあってもそこまで辿り着くリスクを低減できないのであれば、私はきっぱりと諦めて次のストラクチャーを探すことにしています。


3.浸かるのは踝までという意識を基礎にする
脛だの膝上だの腿だの…私自身なんだかんだとしっかり水に浸かってウェーディングをしているわけですが、浸かるのは踝までという意識を基礎とし常に持ち合わせることはそう難しいことではないと思うのです。

もちろん意識だけで済ますのではなく、私の釣りの入りは全て浸かるのは踝までから実践します(厳密に言うと最初からいきなり浸かるなんてこともしないのですが)。

初めての河川はもちろん、何年も通って勝手知ったるホーム河川でもそうです。
踏み込んでも数歩ずつ。それもしっかり状況を見極め、これ以上浸かる理由はなんなのか?をしっかりと見つめ直してからです。

特に理由もなく浸かるようなことをしなければいいのです。
立ち位置に迷うくらいなら、水深が踝の位置まで基礎にもう一度立ち返ります。

去年の秋から通い始めた新たな河川でも、ほとんどまともに浸かっていません。
秋〜冬にかけては日中に潮位が下がらないため、昼間に下見が出来ないことが主な理由です。

視界が確保できる日中に自分の足で地形を確認することが出来なければ、例え周りに多くのアングラーが浸かっていて大丈夫そうでも私は絶対に浸かりません。

もちろんそこで爆釣していても、です。
(踝の水位からだと周りの釣り人の動きがよく見えてしまうんですよね。「あ、あれはランカーいってるな…」とか。苦笑)


■ いいじゃないですか、魚が釣れなくったって

「なぜそこまでして浸からないのか?」

水が怖いんですよね。
流されたり溺れたりするのが怖いんですよね。
その気持ちに忠実に従っているだけです。

今のところウェーディングでの怖い実体験はみっつあります。

ひとつ目は、先日のトンガの海底火山の大噴火における津波。
ふたつ目は、夏の時期の河川中流域で体験した水位上昇。
みっつ目は、ウェーディングでの移動中に石に躓いて転倒したこと。

実際に体感したからこそ、自身が抱いている恐怖が嘘ではなかったことがわかるのかもしれません。

もし「今までウェーディングしていて特に何も起きていないから大丈夫」と思われる方も、ふとした時に思い起こしてもらえたら幸いです。

"浸かるのは踝まで"

「あのスリットを越えて行った先にパラダイスが待っている」って思われる方、いいじゃないですかパラダイスはパラダイスのままにしておけば。

生きてお家に帰れれば、のんびりテレビも見れるしあったかい風呂にも入れるし美味いものを食べられる。
どうせまた次の日もその次の日も、ロッドは振れるんです。

それに超大物は意外と手前にいるものかもしれませんよ?
それこそ踝すら浸かってしまおうものなら時既に遅し、というようなシャローを悠々と背鰭を出して、ね。

まぁ去年の10月からハイシーズンを通い込んでいて、一尾たりともスズキを釣っていない私が言ってもなんの説得力もないのですが(笑)


フィールドで移ろいゆく景色は素晴らしいものです。
登山者だからこそ見える景色があるように、ダイバーだからこそ見える景色があるように、釣り人だからこそ魚を釣るということだけではない釣りの景色を、各々がフィールドで拾っては記憶に焼き付けていることと思います

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- 静かに川に浸かり薄暮に紛れるのも釣り人の特権のひとつです -


明日もその景色を見るために、何度も何度も見続けるために、釣り人は決してフィールドで命を落としてはいけないのです。

"浸かるのは踝まで"

ウェーディングはそれだけで十分に、楽しいものなのです。

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