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村岡昌憲

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2月   ~大阪&横浜フィッシングショー その1~

- Stage25 - 2009フィッシングショー大阪&横浜、近況。その1

2009年2月 
 
 
人生を生きる上でとても大切なこと。
 
 
 
変化こそ、常道
 
 
 
激しく変わる時代に合わせて、常に変わらなければならない。
 
変えなくてはいけないのは、自分たちの考え方、やり方。
 
だけど、変えてはいけないものもある。
 
それは生き方や信念だ。
 
自分が正しいと思った方向へ生きる。
 
 
 
 
 
 
 
不況まっただ中のフィッシングショー。
 
人の入りは上々だし、熱気がすごい。
 
最前線の現場で、これからの釣り業界の厳しくも明るい未来を感じた。
 
 
 
 
 
1991年にバブルが崩壊し、多くの人は堅実な遊びを選択するようになった。
 
その流れをもろに受けて始まったアウトドアブーム。
 
1995年にはオートキャンプ場が全国各地に作られた。
 
 
 
そのアウトドアブームの需要は釣りにも流れ、同年から釣り業界の活況が始まる。
 
そこから空前のバスブーム。そして続いて始まるシーバス、ジギング、エギング・・。
 
僕もこの需要に引きずり込まれる形でプロになっていったのだろう。
 
 
 
 
 
今回の不況もきっとその流れを産み出すだろう。
 
海外旅行に行っていた家族が国内旅行へ、国内旅行に行っていた家族が近郊デイキャンプへ・・・。
 
子供との触れ合いに非日常を求める親の思考はいつの時代も変わらない。
 
近所の公園では非日常は生まれにくい。
 
日帰りで少し離れたところに家族で釣りに行く・・・。
 
現在のエギングブームは数年前からその傾向を示している。
 
 
 
ゴルフと違い、釣りは道具さえ揃えばお金がかからないというイメージが強いのもこういう不況には追い風になるだろう。
 
実際はゴルフ以上に掛かるのだが・・・(笑)
 
 
 
 
 
しかし、前回と今回で違うのは車の所有者が減っていること。
 
前回のバブル崩壊時はバブル時代のスキーブームの影響で若者や家族がRV車に乗っていた。
 
しかし、今は都心部などで車を手放してしまっている人が多い。
 
それがどちらに転ぶかまだ判らない。
 
小さい車だからキャンプ道具を積むのは無理。
 
だけど、釣り道具なら、という展開も考えられるし。
 
 
 
 
 
 
 
今回、そんな流れをなんとなく感じながらの大阪と横浜。
 
大阪ショーの一週前から非常に忙しい状態。
 
山口、広島と出張で転戦。
 
激しい製造業不況で、うちの会社も影響が出始めている。
 
やれることはすべてやっておく。できることはどんどんと始める。
 

 
 
製造業の空気汚染は昔に比べればはるかに良くなったが、まだまだ住民のニーズは高い。
 
特に瀬戸内海沿岸の工業地帯は海と山に工場と住宅地が挟まれ、悪臭苦情や大気汚染が頻発する。
 
その調査の需要はまだまだ続く。写真の遠い煙突。
 
僕が立っている3km離れた位置でもニオイがするのである。
 
だけど、きっと住民は何のニオイかわからないだろう。
 
 
 
 
 
 
 
一日休んでの大阪入りのはずだったが、外せない用事ができて一度東京へ。
 
翌朝ののぞみで大阪入り。体が悲鳴を上げだした。
 
だけど、俺は作り笑いでも笑う。せっかく会いに来てくれる人がいるのだからね。
 
 
 
だけど、どんなに疲れていても、いざ始まってしまうと本当に楽しくなる。
 
器用な性格なんである。
 
 
 
 
 
 
 
ダイワのブースで友草清一さんを発見。渋いポーズありがとうございます。
 
今年こそはオオニベ釣りたいです。九州の雄としてこれからも頑張ってください。
 
あと甘いものは控えめに。
 

 
 
後ろはご存じ、おプリ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
アムズブースで着替えてセミナー。
 
セミナー前に井上裕樹さん、ヒデ林さん、堀浩輔さんと写真。
 

 
 
 
 
アムズのセミナーは大阪にもかかわらずかなりの人が集まってくれた。
 
本当に感謝。
 
 
 
 
 
 
 
邪道ブースで藤澤さん発見。関西で絶大な人気を誇る藤澤さん。
 
一日中サインしてたけど、一体何人にサインしたんだろう。









ショーのセミナー時間が終わり、一足先に会場を出る。
 
新幹線で東京へ。
 
翌日の7時発の飛行機で中国出張。
 
 
 
 
 
 
 
初日はお客さんに連れられて北朝鮮国営の朝鮮料理店へ。
 
 
 
駅ビルの上の階のレストラン街に普通にある感じ。
 
入って驚いたのが女性スタッフの美しさ。
 
銀座のクラブでもあり得ない美女揃い。
 

 
 
だけど、事情を知れば憂鬱になる話。
 
彼女らは外貨を稼ぐためにはるばる上海まで来ている。
 
厳しい監視の中、3~4年働いて北朝鮮へ戻るのだそうだ。
 
そして貧しい生活がまた待っている。
 
 
 
 
 
彼女らの眩しい笑顔の後ろに厳しい表情をした管理者らしき人が見え隠れする。
 
彼女らは何を思い、歌い、踊るのだろう。
 
世の中には、変えることのできないこともある。
 
それは絶望にすら僕には見える。
 
だけど、それでも彼女らは精一杯明るく、僕たちに微笑むのだ。
 
 
 
 
 
「グダグダ御託を並べてる場合じゃないだろう。
 
やれることもやらねえでお前は何を言ってんだ。」
 
 
 
昔、結果が出ないで言い訳ばかりする僕に、金さんは言った。
 
その言葉を思い出す。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
翌日から車で3時間。
 
都心から1時間も走ると、一昨年行ったベトナムそっくりの街並みが現れる。
 
 
 
リアル・チャイナ。僕が興味深く見ている世界の一つ。
 
 

 
 
 
ここで3日間。
 
昼間はとても大きい工場の屋上にいた。
 
試料の採取袋がみるみるうちにすす汚れていく空気。
 
その汚染度合いは日本の比ではない。
 

 
 
 
 
空気は世界中につながっている。
 
中国の空の汚染はやがて日本のを空を汚染する。
 
 
 
 
 
 
 
1972年、高度成長期の最後に僕が生まれたときにはすでになかった本当に綺麗な空気
 
その空気をいつか知りたいという夢。
 
僕に何ができるのか、その闘いが中国でも始まった。
 
 
 
 
 
 
 
木曜日、帰国前に上海市内で中国料理店へ。
 
大好物の酔鶏と豚角煮。






夜は金さんと飲みに行く。社員の数人が一緒に来てくれた。
 
金さんはうちの社員に、またも言った。
 
 
 
 
 
「結果出さなきゃ見えない世界がある。
 
御託は結果を出してから言え。格好悪いことすんじゃねぇ」
 
と。
 
 
 
 
 
本当にその通り。
 
勇気だ覚悟だ信念だ。それを口にする人間は数多いが、動かないんじゃ何も始まらない。
 
動けば全てが始まる、全ての運命が動き出す。
 
まず動くのだ。
 
その先にきっと知ることになるあの感覚、それを社員に教えてあげたい。
 
熱くなった会話は冷めることなく、時計は0時を回った。
 
 
 
 
 
 
 
翌朝、いよいよフィッシングショー横浜。
 
全身に鉛がベッタリと貼りついたように重くて動かない。
 
シャワーを浴びるだけで精一杯。
 
顔がむくみ、顔色がむちゃくちゃ悪い。一度布団に潜り込んだ。
 
8時に現地入りするはずが10時に。
 
 
 
 
 
だけど、会場に入ったらそんな顔したらいけない。
 
タウリン2000mg×2本で勝負。
 
 
 
 
 
 
 
ダイワのリールを見に行ったら大野ゆうき
 

 
 
今年は彼の本当に闘いの年になると思う。
 
昨年は、この業界で彼の実力を疑うものはいなくなった年。
 
そして今年は本当に大事なものを築きあげる年。
 
 
 
どんな仕事も喜びや感謝を作り出すものでなくてはならない。
 
誰かの役に立つこと。誰かのためになること。誰かの心を支えること。
 
常に目の前にいる人に対して、自分は何ができるだろうかを考えること。
 
その結論の全てが真のプロフェッショナルだ。
 
そして今年のうちに俺を越えるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高橋ミッチーさん。
 
初めてお話ししました。本当に素朴な釣りが大好きな人。
 
いつか一緒に竿を振ってみたい。
 

 
 
 
 
 
 
鳥井靖生さん
 
僕がプロになる前からSWを引っ張ってくれた人。
 
今後も緻密な検証力で業界を支えてください。
 

 
 
 
 
 
 
エノさん
 
釣り人と行政の敵対関係をなんとか改善しようと闘う人。
 
行政の環境に対する努力を釣り人は唯一証明できる存在。
 
だからこそ、釣り人は環境に対しての意識をもっと持たないといけない。
 
ホントにその通り。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
藤澤さん
 
関西を支えてきた兄貴。関西のおばちゃんみたいなノリ、今後も見たいです。
 
そして関西のスズキ釣りに光をもっと。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回、もしかしたら最後になるかもしれない。
 
そんなことを大阪でふっと思った。
 
辞めるとか辞めないとか、そういうことではない。
 
 
 
 
 
今年、僕は過去に持ったことのない大きなものを背負い、大きな闘いに挑む。
 
その闘いに挑むために必要なものは情熱。
 
その血がたぎるような情熱の中で僕はきっと求め始めるものがある。
 
それを求めたら僕はここにはいられない。そう思ったから。
 
そんな寂しさを胸に、全てを懐かしむように写真を撮っていく。
 
 
 
 
 

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