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村岡昌憲
東京都
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▼ スタイル 前編
- ジャンル:日記/一般
長崎での釣りは企んでいたのだけど、結局一度も釣りをすることなく道具を持って帰ってきた。責任感から来る[常時万全でありたい]という気持ちが釣りをしたいという気持ちに押し勝つ。「ほほう、自分にもこんな責任感というものがあったのか」
そう、思うほどだ。
そして、何もない時間はホテルの部屋ではStyleのライティングにいそしむ。Styleもこれが完成して三代目となる。過去に何度も出版化の話が出た。毎年のように年賀状に単行本化の話を書いてくれる方がいる。認められたことについては本当に感謝しているが、どうしてもいまいち単行本化する気が起こらない。
釣りとは一生勉強であると思うからである。
過去に自分が書いた一つの記事、その時に完璧と思っても後で読むと思慮の浅さに甚だ閉口するばかりだ。その過去の経験全てをつぎ込んだ記事が、やがてその後に体験するたった1回の釣りで、完膚無きまでに叩きつぶされ、全てが覆される。これが、あるがままのさまが引き起こす総体である。
そんな森羅万象の世界を、文章で解説すること自体がおこがましいことではないだろうか。釣りとは、水面の色を視覚で感じ、肌に当たる風を、指先で水中を触覚で感じ、水面の音を聴覚で感じ、水中から発せられる臭気を嗅覚で感じ、最後に経験と勘、時に運をも使って魚を追い求めていくというものではないのか。よって脳裏に浮かぶ微細かつ神秘なイメージを文章で書き表すのは、とうてい不可能ではないか。常々そう思うのである。
ただ、プロがそれを言っちゃぁおしまいよ。
ってのも重々承知している。
言うなれば、職人とも言えるこの世界であるが、職人の世界には二通りあると思う。宮大工や料理人、作家などのように物を作る、もしくはレシピや文章として、後世に自分が存在した証を残すことのできる職人、次に演奏家や美容師などのように、自分の技術や知識を、形として残すことができない職人と。
釣りのプロは言うまでもなく後者であるが、もし形として残したいのであれば攻略法や解説法を残せばいい。
簡単に考えれば、これでいいではないか、と。
だから僕は常時書き直しという作業が行えるこのネットという場でStyleという形にして発信する事を選んだのだ。
ちなみに、もし、単行本化するときがあるとしたら、どんな時なのだろうか。少し空恐ろしい想像をしてしまう。
- 2003年1月12日
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