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村岡昌憲

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本州最北端に挑む〜青森〜

BS釣りビジョン、筑後川編が毎日放送中です。

まあ頑張りました。次回に繋がる映像ということで(笑)







さて、その次回は本州最北端、青森県を指定されました。

いつもはぶっつけ本番で挑みますが、今回はロケハンに行ってきました。

青森は4月以来。
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そもそも青森にスズキなんかいるの?

みたいな感覚も4月の時点ではありましたが、ショーの時に多くの人に話を聞いて十三湖という場所ではシーズンになれば朝だけで何十人と押しかけて100本、200本みたいな場所もあると聞きました。

そういう釣りも面白そうだけど、シーバスジャーニーという番組はただスズキを釣ればいいというわけでもないし、たくさん釣る番組でもありません。

この場所で獲りたい。この1本を獲りたい。

スズキ釣りの究極の楽しみ方を凝縮した番組にしたいと、自分も釣りビジョンも考えています。

だからノーフィッシュを恐れないし、いや、実際は超恐れてるけど建前では恐れないのです。

だから、ノーフィッシュの番組放映も過去17シリーズにして5〜6回もあるという恐ろしく釣れていない番組です。

一方、その1本を追い詰めていく会心の回もあって、それは全国どこに行っても面白かったと言ってもらえるので、頑張っています。

1本という価値をどこまで追い求めるか。

そんな番組が指定してきたのは本州最北端の地。

ならば、ここで最高の1本を狙ってみよう。

十三湖含め、青森県内を車でグルグルと回ってきました。



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日本中が台風上陸で大騒ぎしている頃、青森は静かに冬の準備を始めていました。

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十三湖は海と繋がる水道部の混雑具合と、内水面の穏やかさがとても対照的。

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しじみラーメンは身体に優しい味でした。




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朝の外気温は6℃。
川に入った魚は落ちを意識する頃でしょう。


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各地の岬も回りました。
人を強く拒絶するような磯場は荒々しく、だけど恐ろしい魅力が詰まっていました。




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スズキ釣りは流れの釣り。
磯のスズキ釣りも基本的には流れの釣りです。
そういう点で、驚きを持って受け止める出来事がありました。
詳しくは番組でお話ししたいと思います。



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人っ子一人いない荒れたサーフには大石がゴロゴロと。
透明感溢れる海水はスズキのレンジを深いところへ落とします。
彼らが僕の前に現れるタイミングは、、、?



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サーフもたくさん歩きました。
風も穏やかで流れも無かったけど、Tracyを投げることで見えてくる地形変化は一旦流れが発生した時の恐ろしさを示していました。
アピアタッグバトルの時の伊良湖以上に凄い時は凄いのでしょう。




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夕飯は青森市内の有名寿司屋さんで。

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寿司12貫で3000円ちょっと。が、東京でこのレベルのお寿司なら2万円は出さないといけません。美味しく頂きました。

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東京で育った俺にとって、青森とは青函連絡船や青函トンネルの記憶が強いです。

若い頃に見たプロジェクトXの最も感動したシリーズの一つでしょう。

青森に限らずですが、先の見えないこの国の昨今において、戦後に日本人が進んできた道は本当にこれで良かったのか、これが幸せになる道だったのか、と迷う論調も見受けられます。

だけど、洞爺丸の事故やあの頃の農村の貧困を思えば、先人達は間違いなく俺たちを幸せになる様に導いてくれました。

過去を学び、今を知ることで、幸せは簡単に目の前にあることに気付かせてくれます。

今の自分が豊かで幸せであることに気付くことができたら、次に何をすべきかは自ずと見えてくると思います。

今に迷いがある人は、ぜひプロジェクトXを見てもらったらいいと思います。人が生きていく上で最高の教科書であると思っています。

情熱的に生きることは誰でもできることだと知ることができるでしょう。

そんなことを思いながら、竜飛崎を2周ほどしました。






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釣りビジョンで数々のランカーを出しているBlooowin!140S。
こういう場所に来ると本当にこのルアーの強さを知ります。飛距離、逆風性能、安定感、姿勢。信頼できるアイテムです。



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晴れた磯場は波も穏やかでスズキが出る気配はありませんでした。


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なんかいるようです。


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やはり、なんかいるようです。







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昼間に青森港に戻ると見覚えのある船が停泊していました。

まさか!?

やはりダイヤモンドプリンセスでした。

29歳の時に半年間、長崎でこの船の火災復旧事故の仕事をしました。

当時は2隻を同時建造していて、事故になった船はサファイアプリンセスと名前を変えたので、実際にはこの船で俺は仕事をしたわけではありません。

だけど、あの事故は自分の存在意義を確固たるものにしました。

それはどういうことかというと、自分という存在が世にもたらす付加価値に大きな自信を持ったということです。

その自信を元にそれ以降も色々と挑戦し続けることができました。

今でこそ、その数字はただの通過点であったような数字となってしまいましたが、間違いなくあの時の自分だけのプロジェクトXが生み出した価値は自らのプライドとなり、今を支えています。

そんな奇遇に胸を熱くして、また想いを新たにすることができました。

いや、自分だけのプロジェクトXではなかったかもしれませんね。
あの時、長崎造船所の人々、長崎経済の興亡を掛けてのプロジェクトでした。

自分の情熱と誰かの情熱が引火し合って凄いことを引き起こしていく。

世の中にたまにあるそんな瞬間に、一度でも関わることができて本当に幸せなことです。



今年は毎週のように飛行機に乗る生活をしてきましたが、訳あってあと2往復でそんな生活も終わりです。
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今年一番の飛行機から見る夕陽を眺めながら東京に戻りました。






 

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