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村岡昌憲

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20年という年月の重み

18歳の時、実家を飛び出る様に家を出て、僕は一人暮らしを始めた。

自立したい一心で家を飛び出したものの、一人で暮らすことの大変さを感じながらの暮らしが始まった。

飲食店で朝から晩まで働いて金を稼いだが、趣味のバイクに乗るのにお金がかかりすぎて、給料日前は食パンの残り枚数を数えながら暮らすような日々。

ただ目の前の欲望に素直に従いながら、純粋に大きな夢と希望を持って生きていた。




ある休みの日、僕はバイク仲間の友達の家へと行った。

そこは近所でも有名な猫屋敷。

いつも家の内外に40匹くらいの猫がいて、家の中にも下から上まであらゆるところにいる。

玄関の引き戸を開けると、部屋の中の猫が一斉にこちらを見るのは毎度の圧巻な光景。

靴を脱いで家に上がる際は、友人のご両親よりまず猫たちに「お邪魔します」と挨拶してしまう。


友達と遊んでいる最中、ちょうど昨日生まれたばかりの子猫を友達が見せてくれた。

「いいなぁ、かわいいなぁ。」

「いいじゃん、飼ってみれば?」


友達の一言に、こちらも飼ってみようかと何となく思った。

「でも、俺一人暮らしだよ。飼えるかな・・・?」

「簡単さ。」



友達は何匹かの子猫の首の後ろを順番につまみ、

「お、こいつが賢いし、しっかりした猫になるよ。」

そう言って、一匹の子猫を僕の手の平に置いた。

「首根っこをつまんだ時、手と足をしっかりと仕舞うことができる猫はきちんとした遺伝子を持っている。」

そう友達は説明し、

「大人になると、見た目はこの母親みたいな猫になるな。」

と言った。



僕は手のひらの上の猫とその隣の母猫を見比べながら、この子猫がいつか母親みたいになる事を想像してみた。

「よし、飼ってみるよ。でも、もし無理だったら引き取ってもらってもいい?」

こうして自分が住む狭いワンルームマンションの中での僕と子猫の長い長い物語が始まった。

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子猫にパロと名付けたのは、友達のアドバイスだった。

猫は人間の口から出る破裂音、パ行とマ行という、一度口を閉じて発音する名前をつけるとすぐに自分の名前と認識するらしい。

「パ、パ、パ、パ」

と名前を考えながらつぶやいていたら、たまたま漫画雑誌にパロという言葉が書いてあった。

「パロか、これで行こう。」

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パロは雑種と思われるが、とても美しいメス猫であった。

常に艶のある非常に細い毛。
全く太らず、いつも美しいフォルムをしていた。

気が強く、何者も寄せ付けないオーラを常に纏い、だけど、自分にだけはとてもよく甘えてきた。

飼いだして数年もすると、仕事が順調になり、むちゃくちゃに忙しくなった僕は家も留守にしがちで、寂しく暗い部屋で猫一匹で待っている時も本当に多かったと思う。

自分が玄関のドアの鍵を開けると、足元まですっ飛んできてそれから寝るまで全力で甘えてきた。

そして、僕も、いつしか心の拠り所がこの猫になった。







ご飯はドライキャットフードを主食としていたが、大好物は魚だった。

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釣りでリリースに失敗したスズキを持ってきては半身に下ろし、電子レンジでチンして、鰹節をたっぷりと掛けたものが大好きで、猫舌全快でいつもかじりついていた。


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他にも海苔が大好きで、乾物の引き出しを少しでも開けっ放しにしようものなら、留守の間に必ず引き出しから海苔の袋を引きずり出し、無理矢理こじ開けて全て食べてしまうほどだった。




若い頃はケンカもたくさんした。

心が未成熟だった僕はいつも面白くないことがあれば、八つ当たりをしたし、パロも気が強いので反撃して本気で噛みつき、引っ掻いてくる猫だった。

他人に慣れない猫で、僕の家には毎晩のように友達が来たのだけど、パロはそれをいつも侵入者と見なして隙あれば攻撃をした。


ワンルームマンションで外に出さないで猫を飼うと、自分の縄張りに他の生き物が侵入する事に慣れないので攻撃的になるらしい。



「パロに許される。」

それが僕らの仲間のステータスの一つだった。

麻雀したり、ゲームしたり、酒を飲んでいつも大騒ぎしている僕の部屋で、僕の膝の上か、すぐ横で友人達の存在をうっとうしそうにしながらも、自分の存在感を必ずアピールできる位置で寝ている。

それが彼女の日課だった。

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パロは部屋猫ということもあって家の外が全くダメだった。

たまに連れ出そうとしてみたが、腰を抜かしてしまい、立って歩くこともできないくらい怖いらしい。

旅行なんてもってのほかだった。

出張や家族旅行の際には、ワンルームマンションに置いていき、実家の母や義理の母に世話をしてもらった。



2度の引っ越しして、起業して、プロアングラーの仕事を始めて、シーバスガイドを始めて、そして愛する人と結婚して家族ができても、パロはいつも僕のそばにいた。

猫屋敷の友達が言った通り、とても賢い猫だった。

爪研ぎや排泄などで粗相をすることは全く無く、本当に飼いやすいお行儀の良い猫だった。

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やがて子供が生まれて、猫が家の中を歩き回ると困る期間は、ゲージの中に入れるのだが常に寂しそうにしていて、僕はそのことで嫁さんともよくケンカをした。

が、慣れるもので、パロはゲージの中でくつろぐようになり、僕は檻越しにパロの機嫌を確かめるのだった。




そして長い月日が経った。

この数年は本当に忙しく、家の中にいてもパロの相手ができなくなっていた。

世話は嫁さんに任せっきりで、僕の心に余裕がない。

それでも、一大転機となる瞬間、大きな決心をする瞬間、大切なものを捨てる瞬間、このfimoを始める事を決意した時も、僕はいつも彼女に語りかけ、心の整理をした。

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ある日、膝の上に来たパロを撫でながらテレビを見ていた。

ディスプレイの中では家族ドラマをやっていて、家族が飼っていた犬が死んだとかで子供がおいおいと泣いている。

「そういや、お前はいつ死ぬんだ?」

パロは「にゃあ」と答えた。

僕はパソコンに座って、検索サイトの画面に「猫の寿命」とキーボードを叩いた。


  - 猫の寿命は通常15年 -



それを読んでから、僕は指を折って彼女の歳を数えた。

「今年で18歳か。あと2年で20歳だな。」

毛色も艶々だし、衰えなんか全く見られない。

だけど、永遠にそばにいると思える彼女にもいずれ寿命というものがやってくる。

というか、通常と言われる寿命の期間をもう過ぎている。。。

そう認識した瞬間の事を今でも覚えている。

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そして、今年3月、パロは20歳の誕生日を迎えた。

18歳の時から20年間。

38歳の僕の人生の半分以上を一緒に過ごしたという事実。




しかし、元気さはあるものの体はずいぶんと痩せた。

家の中を走り回ることもせず、段々と活動が無くなっていくのに気付いていた。

一方、7月に入り僕の忙しさは苛烈を極め、もう家にいる時間もほとんどない状態。

家に帰る度に、寝ている彼女が目に入る。

いずれ来る日のことをわかっていても、何となく考えたくなくて、そのことから目を反らした数ヶ月。






そして9月のある日、力無く僕の横に歩いてきた彼女を抱き上げた際、顔の血の気が引いた。

あまりにも体重が軽い。

そうか、もうこんなに。。。


そして覚悟を決めた。

「もう20年も生きたんだから。」

「ごめん、最近は一緒にいられなくて」

僕は残りの時間を少しでも彼女に振り向けるようにした。




とはいっても、会社は成長まっただ中で忙しさは変わらず、ろくに家にも帰れない。

9月に休日をろくに取っていない僕は10月の最初の三連休を別荘でのんびり過ごすことにした。

パロは日に日に衰えが目立ち、いつその時が来てもおかしくないように見えた。

仕事に出掛ける際と帰宅した際の一瞬しかパロに会えない僕は、彼女をそっと抱きしめ、少しでも長生きしてくれと祈るくらいしかもうできない。

明日も生きていますように。

そう毎晩願って、僕は彼女をクッションの上に置いた。




そして10月8日からの3連休。

僕にとっては2ヶ月くらいぶりの休日らしい休日。

前の夜から、僕は千葉の別荘に3日間滞在することになっていた。

前日、もう立ち上がるのもやっとの彼女を抱いた時、嫁さんが「一緒に連れて行ってあげたら。」と言った。

「そうだな、そうだね。」

こうして、彼女にとっては初めての旅行が始まった。


別荘について、僕は彼女のお気に入りのフリース製ベッドを部屋の端っこに設置し、そのすぐ横にトイレと餌も用意した。

彼女は苦しそうにトイレに入り、トイレを済ます。

今考えるとすごいと思うんだけど、こんなになるまでの今日の今日まで一度も粗相をすることがなかった。




2日目、友達が朝から集まって、僕の船で釣りに行く。

アジを釣り、カンパチを釣り、夕食は友達が料理してくれて大宴会。

彼女はフリース製のベッドの中で、僕のすぐ横にいる時間を過ごした。



夢と希望しかなかった若い頃と変わらない、友達と過ごす深夜の大騒ぎ。

あの時のように、自分の存在感を示すことを彼女はもうしないけど、自分のすぐ横に彼女がいたあの時と同じような時間がそこには流れていた。

夜も更け、友達も続々と帰り、宿泊組もそれぞれ寝袋の中に収まった。



「おやすみ。」

先ほどから寝ているばかりの彼女の手を握ったら、彼女はかすかに手を動かした。

僕は少し安心して寝た。






翌朝、僕は起きるなり、彼女の様子を確認しに近づいた。

そして、パロがこの世を去ったことに気がついた。

涙が溢れ出た。

いつかこの日が来ることは十分にわかっていた。

こんなに愛する存在を突然失なうことがなかっただけ、とても幸せだということもわかっている。

ましてや、20年という猫にとってはとても長い時間、人間に置き換えれば100歳を超えるくらいの長生きをしてくれたことも。



友達が起きて、事情を察し、続々と帰って行く。

猫の心配をしてくれた人もいたけど、同情を僕は望んでいなかった。

そして、別荘から家族以外の誰もいなくなって、本当の静かな時間が僕らの世界を包んでいく。




僕は正座をして、彼女をベッドから抱き上げた。

彼女はうっすらと目を開けたまま息絶えていた。

亡骸の彼女を抱いて僕は声を出して泣いたんだ。






3日目、全く予定のない日だった。

僕は夕方に彼女をお墓に入れるまでの時間、ゆっくり彼女と過ごした。

嫁さんがこんなことを言った。

「あなたとゆっくりできる日をずっと彼女は待ってたんだね。」






あれから一週間。

喪に服す暇も無いほどの忙しさが僕の目の前にある。

それは僕の喪失感を反らすことには役に立っているけれど、家に帰ればすぐにわかる。

とても大事なものが無い。

20年間ずっといつだってあったものがそこにいない空気に僕は未だ慣れない。




それから1ヶ月が経った。

ようやく心の整理をしてみる決意ができた。

だから、こうして書いている。

16年ほど書いてきたこの東京シーバスネット。

その更新をいつも僕の横で見ていた彼女にこの記事を捧げよう。





パロ、今までありがとう。

どうか安らかにお眠りください。


           2011年10月9日 









釣りの話でもないのに、お付き合いありがとうございました。

自分が出演した初めてのDVD。観てくれた人は分かると思いますが、終盤のインタビューの際に膝の上に来て彼女が出演してくれたのを見てくれていればとても嬉しいです。


来週より復活します。
 

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