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村岡昌憲

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夏休み

なんやかんやと忙しい毎日。

アピアの倉庫から昔のポスターなんかが出てきていた。

30歳頃の俺は妙なことを考えていたんだな。






夜な夜な飲む日々もようやく終わり、体重は2kg増。






毎月触れあいたい、味わい深い人々。



釣りという趣味が、興味半分で仕事になり、長い副業期間を経て本業へとなっていく。

その何が素晴らしいかというと、やはり日本中の多くの人に自分という存在を知ってもらえたこと。

発信する場をもらえたということは、自分の人生にとってとても大きなことだった。

 その中で共鳴があったり反発があったり、そしてご縁がある人たちと出会って今の自分ができていく。


大阪で感動したラーメン。ラーメン人生JETって(笑)









残暑厳しい、夏の終わりの連休。

まともに泳ぐのは最後かな。

ということで、ウェットスーツを持って山へ。






前の台風の影響がまだ色濃く残っている。

水量も前に来た時(平水と思われる)よりも3倍は多い。




ウェット着ているので、頭を打って気絶することさえ気をつければ最後は入水地点まで流されていく。

時に岩にしがみつき、時に泳ぎ、時に渦に巻かれ、時に溺れる。

一心不乱に前へと進んでいく。








この夏も悲しい水の事故がたくさんあった。

年を追うごとに、「え?こんなところで!?」という事故が増えている気がする。

それは自然を知らないから、なんだろう。

シミュレーション力とか危険予知力と言ってしまえばくくりは早いけど、そういうことではない。

人間は自然をコントロールしようとし、コントロールできないものからは身を遠ざけて来た歴史がある。

だから、水辺に近づくなと社会は子供に教える。

池の周りにはフェンスが張られる。

そして自然を知らない子供たちが生まれる。




しかし、自然は自然から離れている人に対して厳しい。

どんなに水辺に近づくなと言っても、好奇心一杯の子供たちは水辺に近づく。


ある時、不慮の展開となった時、今までの経験値が試される。

そして不幸な事故が起きる。

中には避けられない事故もあると思うけど、もっと水辺で遊ぶ経験があったらこんな事にはならなかったと思う事故も多い気がする。


子供の頃にそんな不慮の展開がなかった人が、大人になって同じように事故にあう。






数年後、僕はこの滝の淵に我が娘を何度となく投げ込むだろう。

それが彼女を生涯にわたり、水の事故から守るためと知っているからである。






近所でも、親戚でも、そんな育て方は間違っているという。

幸い、釣り仲間は僕と同じ考えで子供を育てている人が多い。

自分の子供に比べて年齢的に先をを行く彼らの子供たちが極めて子供らしくあり、子供らしい笑顔をすることが僕の勇気でもある。




見上げれば、目を洗うような緑と蒼。




そう、いつしか谷の底から見上げる青空が好きになった。

だから、幽谷の谷へと足を踏み入れる。




そしてどうしても突破できないゴルジュが。

岩盤がオーバーハングして上がれないだけでなく、水量が均一で力強く、滝壺にすら到達できない。


ザックを置いて身軽になり、ロープだけ持って突破を計る。

ヘトヘトになるまで泳いだが、何度となく水圧にはじき返された。

水温も低く、これ以上粘ると体力を消耗し、嫌な予感がする。

仕方ないので少し戻って高巻き(横から回り道)して回避することに。

ところが、かなり高さがあるゴルジュでどこまで上がっても降りられる場所が無さそうな感じ。


高巻きの途中の写真。


写真の奥の方が突破できなかったところ。



ちなみにこの高巻きルートも失敗したら谷底まで真っ逆さま。

即死級である。

木が多く、失敗しそうな感じは無かったが、かなりの緊張を強いられた。

上に上がるのを止めて、川を下にくだろうかと思ったが、崖は上がるより降りるのが危ない。

途中まで上がってきたので、そのまま登山道まで藪こぎで上がってしまった。(これがけっこうきつい)








ある日は台風15号のうねりが半日ほど南房に打ち寄せる時間帯があり、ちょうど朝マヅメに重なるのでショアジギ&ヒラへ。

波も高く、風はほぼ無風で良い感じ。

と思っていたらあっという間に危険なレベルへ。

サラシでないところを探す方が大変なレベル。





高さ10m近い崖みたいな岩場の上からキャストができそうだ。

その上からサラシを撃つ。



それでも20分に1発のセットはかなりの波しぶきを岩場の上へと運んだ。





裂波のfimoオリジナルカラー、ブルーブルーで3ヒット。





こういう遊びは、常に自分の前に死線があるのが楽しい。

判断を間違えると死んでしまう可能性がある。

そして、その死線は自分の意志ではなく、森羅万象によって自分に近づいたり離れたりする。

そしてそれを感じる能力は、どれだけ自然の中にいたかで決まると思う。



10代の頃は死線の内側でなくては気が済まず、

20代の頃はその死線の動きを把握し続けることに情熱を燃やし、

30代となって家族ができてからは死線の内側でそれを楽しみながら遊ぶ。

40代はどうやるんだろうな。










朝日を浴びながらの釣り。

現代社会で進む一方の情報化。(fimoもそうだが)

釣り以外のもやもやしたこともいっぱいあるけれども、圧倒的な大自然を相手にする時だけは、それだけに集中したいもの。



それにしてもなんでこんなに高い場所なのに、濡れてるんだろうね。

台風来襲で釣りを見合わせた人も多いと思う。

だからこそ、台風の過ぎ去るのを感じながら、たまには自分の遊びの危険性を振り返ってみるのもいいかもしれない。






というような感じで山荘の一部屋に籠もっている時間がある。

最近、いい感じの釣具部屋になってきた。

釣り具に囲まれて寝るって幸せなことだ。








ある日は竹岡沖へあじ釣り。


久里浜のワラサが好調とのことで100隻近い船団。




それを横目に見ながらビシアジ釣り。

俺は電動リールデビュー。

ダイワの人気機種とバッテリーパック。

すごい高かったけど奮発した。(ルアーフィッシングやるより餌の方がお金かかるね)


船長の指示ダナは底から1mと30cmくらいと。

30cmってやけにシビアだね。

と思ったら、水深が13mしかない。




電動いらんやん。



という感じで、船の中でただ一人電動使用。

手返し悪っ!









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