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村岡昌憲
東京都
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▼ 11月19日は
- ジャンル:日記/一般
今から14年前。
正直な話で言えば、今の数倍の情熱でスズキを追いかけていた。
高校生からこの釣りを始めて無我夢中の時代を経て、19年前にマーゲイから始まった僕のプロアングラーとしてのStoryはX-80SWを産み、ロクテンの時代を作り、そしてレアフォース、ネオンナイトの時代へと続いていった。
そんな最中、大きな転機になったことがある。
それはミラクルワークスとの出会いであり、増田聡氏との出会いだった。
最初は激しい対立から始まったが、勇気を出して神奈川に乗り込んでいったら意気投合し、色々なしがらみの中で自分の立場を理解してくれながら、立場的には遠く、精神的には近い位置で自分を支えてくれた。
プロアングラーとして、という前に一人の人間として未熟な自分を、時に小便をちびるほどの怖さで叱ってくれた。
その経験、言葉は今も自分の中に確固として存在している。
自分がテレビ番組に出る時にシーバスという言葉をあまり使わず、スズキという言葉を多用するのは彼の大きな影響である。
彼は決してシーバスという言葉を使わなかった。
僕は60cm以下をシーバスと呼び、それ以上をスズキと呼ぶことに決めた。
そして今のシーバス業界にある程度浸透しているリリーススタイルを最初に提唱し、実践していったのも増田氏を中心とするSBMのメンバー達だった。
シーバスブームの発祥の地である湘南は、一方で資源枯渇の最初の舞台にもなった。
減りゆくシーバスの魚影に、増田氏は「スズキを殺すな。」というメッセージを投げかけていた。

※ライトも竿もボガグリップも全てが懐かしい(笑)
あの時の僕は80up、90upのスズキを東京湾奥で次々に捕獲していて、湾奥メーターオーバーも時間の問題と思えるところまで詰まっていたように思う。

だが、結局この96cmで記録は止まった。

「おい、村岡。メーターオーバーは狙わなければ釣れねーんだよ。」
という言葉はまさに真実である。
マグレで出る事もあるけれど、それを待っていてもそれは宝くじが自分にもいつか当たると思って買い続けているようなものだ。
「60cmを10本釣って70が1本出るのがスズキ釣りだ。」
「ランカーを釣りたければ70cm10本釣れる釣り場でやれ。」
「メーター超えたければ90cmをひたすら狙え。」
地方ではそれを忠実に狙って、過去に2つのメーターオーバーをこの手にしたけれど、東京湾奥では未だに届いていない。
そして東京湾奥にも訪れた資源枯渇。
80cmになるのに10年も掛かるスズキを殺していけば減るのは当たり前。
こういう話を書けば、すぐに漁師が獲る量がどうのこうのと始まるがそういうことじゃない。
釣り人の目の前にいた魚は釣り人が殺している。
目の前にあんなにいた魚はほとんどいなくなった。
それは当時のスズキ釣りの最前線にいた人たちには、明らかな実感として残っているだろう。
俺もその罪の先鋒を担いながら、リリースを提唱し続けていたが、流れを変えるまではできなかった。
が、そんなに悲観はしていない。
スズキが釣れなくなれば、釣り人は減り、業界は廃れる。
釣り人も業界も勢いを細めれば10年でスズキは戻る。
この地球の長い時間軸から見たらそれだけのことだ。
だけど、あの頃には本当に夢があった。
今も夢はあるのだろうけど、なんでかな、追う雰囲気が無くなった気がする。
日本も変わったし、自分も周囲も歳を取ったからだろうか。
タックルボックスに眠る当時のルアー達も、毎年1度整理整頓されながら、今も出番を待っているのかもしれない。

何でいきなり、こんな事を書いているのかというと、先週、館山に行った時にサウスエンドの遠藤さんと話し込んだからだ。
半分以上の話は、当時の、増田氏の、ミラクスワークスの話だった。
そしたら急に投げたくなったんだ。
「遠藤さん、久しぶりに投げませんか?」
「いいね。」
「だったら11月19日にしましょうよ。」
「それはいいね。あいつも喜ぶよ。」
ミラクルワークスのルアー達を持っている古き<s>悪き</s>良きスズキ釣りの人たちよ。
11月19日の夜は彼の2回目の命日。
旧江戸川あたりで彼を偲びつつ、ミラクルワークスを投げませんか?
正直な話で言えば、今の数倍の情熱でスズキを追いかけていた。
高校生からこの釣りを始めて無我夢中の時代を経て、19年前にマーゲイから始まった僕のプロアングラーとしてのStoryはX-80SWを産み、ロクテンの時代を作り、そしてレアフォース、ネオンナイトの時代へと続いていった。
そんな最中、大きな転機になったことがある。
それはミラクルワークスとの出会いであり、増田聡氏との出会いだった。
最初は激しい対立から始まったが、勇気を出して神奈川に乗り込んでいったら意気投合し、色々なしがらみの中で自分の立場を理解してくれながら、立場的には遠く、精神的には近い位置で自分を支えてくれた。
プロアングラーとして、という前に一人の人間として未熟な自分を、時に小便をちびるほどの怖さで叱ってくれた。
その経験、言葉は今も自分の中に確固として存在している。
自分がテレビ番組に出る時にシーバスという言葉をあまり使わず、スズキという言葉を多用するのは彼の大きな影響である。
彼は決してシーバスという言葉を使わなかった。
僕は60cm以下をシーバスと呼び、それ以上をスズキと呼ぶことに決めた。
そして今のシーバス業界にある程度浸透しているリリーススタイルを最初に提唱し、実践していったのも増田氏を中心とするSBMのメンバー達だった。
シーバスブームの発祥の地である湘南は、一方で資源枯渇の最初の舞台にもなった。
減りゆくシーバスの魚影に、増田氏は「スズキを殺すな。」というメッセージを投げかけていた。

※ライトも竿もボガグリップも全てが懐かしい(笑)
あの時の僕は80up、90upのスズキを東京湾奥で次々に捕獲していて、湾奥メーターオーバーも時間の問題と思えるところまで詰まっていたように思う。

だが、結局この96cmで記録は止まった。

「おい、村岡。メーターオーバーは狙わなければ釣れねーんだよ。」
という言葉はまさに真実である。
マグレで出る事もあるけれど、それを待っていてもそれは宝くじが自分にもいつか当たると思って買い続けているようなものだ。
「60cmを10本釣って70が1本出るのがスズキ釣りだ。」
「ランカーを釣りたければ70cm10本釣れる釣り場でやれ。」
「メーター超えたければ90cmをひたすら狙え。」
地方ではそれを忠実に狙って、過去に2つのメーターオーバーをこの手にしたけれど、東京湾奥では未だに届いていない。
そして東京湾奥にも訪れた資源枯渇。
80cmになるのに10年も掛かるスズキを殺していけば減るのは当たり前。
こういう話を書けば、すぐに漁師が獲る量がどうのこうのと始まるがそういうことじゃない。
釣り人の目の前にいた魚は釣り人が殺している。
目の前にあんなにいた魚はほとんどいなくなった。
それは当時のスズキ釣りの最前線にいた人たちには、明らかな実感として残っているだろう。
俺もその罪の先鋒を担いながら、リリースを提唱し続けていたが、流れを変えるまではできなかった。
が、そんなに悲観はしていない。
スズキが釣れなくなれば、釣り人は減り、業界は廃れる。
釣り人も業界も勢いを細めれば10年でスズキは戻る。
この地球の長い時間軸から見たらそれだけのことだ。
だけど、あの頃には本当に夢があった。
今も夢はあるのだろうけど、なんでかな、追う雰囲気が無くなった気がする。
日本も変わったし、自分も周囲も歳を取ったからだろうか。
タックルボックスに眠る当時のルアー達も、毎年1度整理整頓されながら、今も出番を待っているのかもしれない。

何でいきなり、こんな事を書いているのかというと、先週、館山に行った時にサウスエンドの遠藤さんと話し込んだからだ。
半分以上の話は、当時の、増田氏の、ミラクスワークスの話だった。
そしたら急に投げたくなったんだ。
「遠藤さん、久しぶりに投げませんか?」
「いいね。」
「だったら11月19日にしましょうよ。」
「それはいいね。あいつも喜ぶよ。」
ミラクルワークスのルアー達を持っている古き<s>悪き</s>良きスズキ釣りの人たちよ。
11月19日の夜は彼の2回目の命日。
旧江戸川あたりで彼を偲びつつ、ミラクルワークスを投げませんか?
- 2014年8月29日
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