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プロフィール
村岡昌憲
東京都
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▼ にも、かかわらず。。。
- ジャンル:日記/一般
- (つぶやき)
僕は阪神大震災の直後に被災者支援で現地入りしたことがある。
その時、僕が復興の現場を見て思ったこと。
それは全く正しいと思えることが、いざ当事者になればまるで考え方も違うって事だった。
若くして正義心の強かった僕は、一大観光地となった三宮のそごう倒壊現場前で写真を撮る観光気分の人間に心の底から腹を立てていた。
が、現地の人々は、それは心の中で苦々しく思っていた人もいたけど、それ以上にとにかく神戸に来てくれること、そして神戸でお金を使ってくれることに対して、
「それだけでもありがたい。」
という言葉を誰もが使った。
「それでもくやしい。」
このときの僕の言葉だ。
だけど、その時の衝撃的な価値観の変化は今でも植え付けられたままだ。
頑張ろうとか、立ち上がれとか
精神的な言葉で語られがちな復興支援。
だけどその震災で崩れた神戸を訪れ、そこでご飯を食べ、フィルムを買い、ジュースを買うという行為ですら、現地で再度商売を始めようとしていた彼らへの支援だった。(自覚しているかどうかはともかく)
お金を回すという考え方。
全国の様々な企業からの依頼に対して仕事をする僕は、その日以来、必ず出張先でご飯を食べる時は現地資本の、できる限り家族規模でやっているお店に行くようにした。
それは今でも変わらないし、僕の下で育った会社の幹部連中もそれを引き継いでいる。
顧客である地方の大企業からもらったお金を、東京の僕らがもらった分全部持って帰ったら、地方にはますますお金が回らない。
だからその地方の仕事の最中の滞在費用などでできる限り地元に落としていく。同じお金を使うでも地元に回るように心がける。
そうやって、人がお金を使い、お金が回ることで、お金は初めて生き、人が生きるのだ。
最初と最後だけ見れば、人が人を生かすのだ。
ということを痛烈に意識した瞬間だった。
それが前回のログで言いたかったこと。
地震の翌日は朝からスーパーに行った。
東京の混乱もひどい展開をたどると、数日分くらいは備蓄がないと家族が困ると考えたので、食料と子供のおむつなどを買った。
すぐ横では血相を変えて何十個もカップラーメンやビスケットなどを買い込む人もいたけど、彼らもこういう形でお金を使っているので別にいい。
すでに店頭にある分が被災地に回るわけではない。
これも不安解消行動の一つで、時間が解決する問題。
目くじら立てたって不安な人はやめない。
帰りに花屋に寄った。
余震も激しいし、テレビでは悲惨な映像が流れているこんな日にもかかわらずやっていた花屋さん。
「こんな日はお客も少ないでしょうに。」
という僕の声に、
「ええ、でもこんな時こそ、お花が活躍する時ですから。お花は人を笑顔にしたり心を安らかにする力を持ってると思いますから。」
「どんなに最悪な状況でも、
その状況に対する自分の態度を決める自由。
それだけは決して失われない。」
僕はガラスケースの中にあった一番大きいブーケを注文した。

家に帰ってリビングに飾る。
昼寝から起きてきた嫁さんが、それを見た時、最高の笑顔を見せてくれた。
今も深刻なニュース映像を流す横で、この花が心を安らかにしている。
「どんなに最悪な状況でも、
その状況に対する自分の態度を決める自由。
それだけは決して失われない。」
この言葉は自分の血肉となっている哲学でもある。
この言葉を読んだのはフランクルのこの本だ。
[夜と霧」

第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ収容所。
人類が考え尽くした限りの、この世の地獄。
そこから無事に生還した作者が書いた言葉。
僕は中学生の時に読んで、それ以来数年に1回読み直しながらこの体験を血肉としてきた。
この凄惨な状況を自分のベースとできた場合、僕が今までの人生で出会ったどんな状況すら「はるかにマシ」な状態である。
実際、僕の人生も色々と修羅場はあったけど、ストレスとか鬱とかそういう言葉と無縁であり、そういう状況でも常に光を求め続けることができるのは、間違いなくこの悲惨な地獄絵図が自分の人生経験に組み込まれているからだと思っている。
今回の震災で、自分にできること、こういう困難な状況での自分のあり方に疑問を持った人もいると思う。
これが答えとは言わないし、自分の考え方ばかりが正しいとは思わない。
だけど、僕はこれで強い自分を手に入れられた気がする。
ぜひ読んでみてほしい。
Amazon 夜と霧 新版
もう一つこの本で。
収容された人々がほぼ100%死に至っていく状況で、最後の希望の光とは何だったのかということ。
それはユーモアであった。
もう絶望的にもかかわらず、人々は歯を見せて笑うのである。
そこに希望は宿り、人間の精神を安定させるのである。
危機の時こそ、笑え。
ユーモアは、「にもかかわらず」 の時こそ光を放つのである。
月曜日はfimo緊急会議。
各員、大混乱の電車を乗り継いで集合。
余震が激しく、ヘルメットを足下に置いての会議。
事実、一度震度3。

不安な状況の中で、僕は土曜日の出来事を話した。
浅見が褒めてくれる。
「村岡さんはいつも落ち着いているんですね。」
僕はユーモアで返した。
「浅見さんと一緒に働いて、震災慣れしたんだよ。」
「歩くメルトダウンみたいなもんだからね。」
「どういう意味ですか!」
と笑いながら怒る浅見に、
「一度、燃料棒と浅見さんは海水で頭まで使って冷やした方がいいね。」
これを不謹慎と言う人もいるだろうけど、僕はリラックスさせて知恵を発揮させるリーダーの仕事だと思っている。
大変な混乱にもかかわらず、である。
ここに書くべきかどうかは別ね。
そこで決定したfimo被災地支援プロジェクト。
ぜひ皆さんも参加してもらえれば嬉しい。
特にフィーモポイントの寄付活動。(会員のみ見られます)
皆さんの手持ちのフィーモポイントを寄付しようと。
1フィーモ=何円にするかという議題に、
「ええい、男は黙って1フィーモ=1円だ。換算なんてめんどくさい!」
と押し通す。
翌朝。さすがに顔の血の気が引いた。
こんな大変な状況にもかかわらず、凄い金額と人数のポイントが集まった。
本当にたくさんの人、応募して頂いてありがとう。
だけど、ちょっと困った状態。
そんなにfimoにはお金がない。
尾形も浅見も
「村岡さんが1フィーモ=1円でいいと言うからです。」
と。
でも、フランクルは書いたのである。
どんなに最悪な状況でも、その状況に対する態度だけは自分で決められるという自由がある。
「よ、よし、それじゃ、ちょっとカッコ悪いけど、fimoショップで商品を買ってもらって売上を増やすようお願いしよう。」
ということで、お願いがあります。
fimo会員の皆様、非会員の皆様もこれを機に、fimoショップでぜひfimoでお買い物をお願いします!



フィーモペンチ1900円!(安いです!)大野ゆうきデザインのTシャツ(寒くても着て!)などなど盛りだくさん。
追伸
もちろん、例え、地に這いつくばったとしても、皆さんからお預かりしたフィーモポイントは必ず寄付します。
追伸2
横浜のフィッシングフェスティバル中止。楽しみにしている人もいっぱいいる中で、関係者も苦渋の判断だったと思います。御判断は支持します。関係者の皆さん、あの会場で振りまかれるはずだった笑顔の分、各地でそれぞれで咲かせましょう。それだけが僕のお願いです。
その時、僕が復興の現場を見て思ったこと。
それは全く正しいと思えることが、いざ当事者になればまるで考え方も違うって事だった。
若くして正義心の強かった僕は、一大観光地となった三宮のそごう倒壊現場前で写真を撮る観光気分の人間に心の底から腹を立てていた。
が、現地の人々は、それは心の中で苦々しく思っていた人もいたけど、それ以上にとにかく神戸に来てくれること、そして神戸でお金を使ってくれることに対して、
「それだけでもありがたい。」
という言葉を誰もが使った。
「それでもくやしい。」
このときの僕の言葉だ。
だけど、その時の衝撃的な価値観の変化は今でも植え付けられたままだ。
頑張ろうとか、立ち上がれとか
精神的な言葉で語られがちな復興支援。
だけどその震災で崩れた神戸を訪れ、そこでご飯を食べ、フィルムを買い、ジュースを買うという行為ですら、現地で再度商売を始めようとしていた彼らへの支援だった。(自覚しているかどうかはともかく)
お金を回すという考え方。
全国の様々な企業からの依頼に対して仕事をする僕は、その日以来、必ず出張先でご飯を食べる時は現地資本の、できる限り家族規模でやっているお店に行くようにした。
それは今でも変わらないし、僕の下で育った会社の幹部連中もそれを引き継いでいる。
顧客である地方の大企業からもらったお金を、東京の僕らがもらった分全部持って帰ったら、地方にはますますお金が回らない。
だからその地方の仕事の最中の滞在費用などでできる限り地元に落としていく。同じお金を使うでも地元に回るように心がける。
そうやって、人がお金を使い、お金が回ることで、お金は初めて生き、人が生きるのだ。
最初と最後だけ見れば、人が人を生かすのだ。
ということを痛烈に意識した瞬間だった。
それが前回のログで言いたかったこと。
地震の翌日は朝からスーパーに行った。
東京の混乱もひどい展開をたどると、数日分くらいは備蓄がないと家族が困ると考えたので、食料と子供のおむつなどを買った。
すぐ横では血相を変えて何十個もカップラーメンやビスケットなどを買い込む人もいたけど、彼らもこういう形でお金を使っているので別にいい。
すでに店頭にある分が被災地に回るわけではない。
これも不安解消行動の一つで、時間が解決する問題。
目くじら立てたって不安な人はやめない。
帰りに花屋に寄った。
余震も激しいし、テレビでは悲惨な映像が流れているこんな日にもかかわらずやっていた花屋さん。
「こんな日はお客も少ないでしょうに。」
という僕の声に、
「ええ、でもこんな時こそ、お花が活躍する時ですから。お花は人を笑顔にしたり心を安らかにする力を持ってると思いますから。」
「どんなに最悪な状況でも、
その状況に対する自分の態度を決める自由。
それだけは決して失われない。」
僕はガラスケースの中にあった一番大きいブーケを注文した。

家に帰ってリビングに飾る。
昼寝から起きてきた嫁さんが、それを見た時、最高の笑顔を見せてくれた。
今も深刻なニュース映像を流す横で、この花が心を安らかにしている。
「どんなに最悪な状況でも、
その状況に対する自分の態度を決める自由。
それだけは決して失われない。」
この言葉は自分の血肉となっている哲学でもある。
この言葉を読んだのはフランクルのこの本だ。
[夜と霧」

第二次世界大戦中のアウシュヴィッツ収容所。
人類が考え尽くした限りの、この世の地獄。
そこから無事に生還した作者が書いた言葉。
僕は中学生の時に読んで、それ以来数年に1回読み直しながらこの体験を血肉としてきた。
この凄惨な状況を自分のベースとできた場合、僕が今までの人生で出会ったどんな状況すら「はるかにマシ」な状態である。
実際、僕の人生も色々と修羅場はあったけど、ストレスとか鬱とかそういう言葉と無縁であり、そういう状況でも常に光を求め続けることができるのは、間違いなくこの悲惨な地獄絵図が自分の人生経験に組み込まれているからだと思っている。
今回の震災で、自分にできること、こういう困難な状況での自分のあり方に疑問を持った人もいると思う。
これが答えとは言わないし、自分の考え方ばかりが正しいとは思わない。
だけど、僕はこれで強い自分を手に入れられた気がする。
ぜひ読んでみてほしい。
Amazon 夜と霧 新版
もう一つこの本で。
収容された人々がほぼ100%死に至っていく状況で、最後の希望の光とは何だったのかということ。
それはユーモアであった。
もう絶望的にもかかわらず、人々は歯を見せて笑うのである。
そこに希望は宿り、人間の精神を安定させるのである。
危機の時こそ、笑え。
ユーモアは、「にもかかわらず」 の時こそ光を放つのである。
月曜日はfimo緊急会議。
各員、大混乱の電車を乗り継いで集合。
余震が激しく、ヘルメットを足下に置いての会議。
事実、一度震度3。

不安な状況の中で、僕は土曜日の出来事を話した。
浅見が褒めてくれる。
「村岡さんはいつも落ち着いているんですね。」
僕はユーモアで返した。
「浅見さんと一緒に働いて、震災慣れしたんだよ。」
「歩くメルトダウンみたいなもんだからね。」
「どういう意味ですか!」
と笑いながら怒る浅見に、
「一度、燃料棒と浅見さんは海水で頭まで使って冷やした方がいいね。」
これを不謹慎と言う人もいるだろうけど、僕はリラックスさせて知恵を発揮させるリーダーの仕事だと思っている。
大変な混乱にもかかわらず、である。
ここに書くべきかどうかは別ね。
そこで決定したfimo被災地支援プロジェクト。
ぜひ皆さんも参加してもらえれば嬉しい。
特にフィーモポイントの寄付活動。(会員のみ見られます)
皆さんの手持ちのフィーモポイントを寄付しようと。
1フィーモ=何円にするかという議題に、
「ええい、男は黙って1フィーモ=1円だ。換算なんてめんどくさい!」
と押し通す。
翌朝。さすがに顔の血の気が引いた。
こんな大変な状況にもかかわらず、凄い金額と人数のポイントが集まった。
本当にたくさんの人、応募して頂いてありがとう。
だけど、ちょっと困った状態。
そんなにfimoにはお金がない。
尾形も浅見も
「村岡さんが1フィーモ=1円でいいと言うからです。」
と。
でも、フランクルは書いたのである。
どんなに最悪な状況でも、その状況に対する態度だけは自分で決められるという自由がある。
「よ、よし、それじゃ、ちょっとカッコ悪いけど、fimoショップで商品を買ってもらって売上を増やすようお願いしよう。」
ということで、お願いがあります。
fimo会員の皆様、非会員の皆様もこれを機に、fimoショップでぜひfimoでお買い物をお願いします!



フィーモペンチ1900円!(安いです!)大野ゆうきデザインのTシャツ(寒くても着て!)などなど盛りだくさん。
追伸
もちろん、例え、地に這いつくばったとしても、皆さんからお預かりしたフィーモポイントは必ず寄付します。
追伸2
横浜のフィッシングフェスティバル中止。楽しみにしている人もいっぱいいる中で、関係者も苦渋の判断だったと思います。御判断は支持します。関係者の皆さん、あの会場で振りまかれるはずだった笑顔の分、各地でそれぞれで咲かせましょう。それだけが僕のお願いです。
- 2011年3月17日
- コメント(53)
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