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村岡昌憲
東京都
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▼ 知るという責任
- ジャンル:日記/一般
無知ほど恐ろしいものはない。
しかし、知らないってことほど幸せな事もない。
人は自分の視野の中でしか物事を判断できない。
だから例え、それがもっと広い視野で見れば間違っていたとしても、目の前の判断として間違っていないと判断した本人はそれで十分なのである。
自分の視野だけの中で全てを判断し、幸せいっぱいできっと笑顔で死ぬのである。
だけど、だ。もっと広い視野を持った人から見たらそれはただの悲劇なんである。
その悲劇への道を笑顔で生きる友人に僕は焦りを覚えずにいられない訳で、だけどそれはどうしたって伝わる訳もなく、その広い視野を持つことができた事自体がむしろ不幸なことなのかと悶絶するのである。
絶対に渡り鳥に餌をあげてはいけない。
それは彼らの旅への覚悟を奪い、やがて彼らを死に至らしめるきっかけとなるからである。その渡り鳥にパンを投げる行為はどうだろうか。その自己満足と目先だけの善意は違う視野で見れば大悪なのである。いわゆる小善なのだ。大善とは、見たこともない遠い地に思いをはせ、その壮絶であろう旅の過程と本能が宿す寂静なる覚悟に、大地に生きる人として賞賛と敬意を持ってただ綽々と眺めるのみ。それこそが彼らにとって人ができる大善なのだ。
昨夜は河へ。ところが釣りどころではなくなった。
荘厳な儀式をぶち壊す無知に鉄槌。今回だけは神も許すであろう。
自分の中に潜む恐ろしいまでの幼稚性がむき出しになる。
年甲斐もない幼稚性は単なる残酷性と一線を画すことを知っただけの夜。
- 2004年6月25日
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