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村岡昌憲
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▼ 死に場所をみつけるということ
- ジャンル:日記/一般
 
前に「死に場所」を探すことについて書いた。
僕が言う「死に場所」とは文字通りの死ぬ場所ではない。
死に方を常に考えるということである。
この究極最終的な哲学を腹の底に括り付けることと同義なのだ。
たとえば死の宣告をされたとして、それを冷静に受け止め、残された時間を有意義に使うことができるかどうかということなのだ。今の僕ではきっと激しくうろたえ、青ざめた顔でおろおろし、夜はむせび泣くであろう。死ぬということはどこで終わろうとそこで全てなのだ。その死への覚悟を持った上で死に方を決めたいのだ。それが死に場所を見つけるということである。そして必ずしも志し半ばでその形にならなくてもいいと思う。
自分はこの道でいつか死ぬ。
その究極最終的な死に方さえ決まれば、その過程の全てに腹を括ることができる。職業も趣味も恋愛も育児もやり尽くしたと胸を張れることができるのではないかと。そこに大海原のような懐が持てるのではないかと。それが自分らしい人生を歩むと覚悟を持った大人ではないかと。
- 2003年7月19日
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