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村岡昌憲
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▼ 僕の夏休み2012
- ジャンル:釣行記
- (area-釣行記-)
物心ついた時から、東京で釣りをしていた。
野球球児だった僕は、練習が終わると、小学校の頃も高校生の頃も夕マヅメのアナゴ釣りに出かけていた。
19歳の時、初めて愛車、レビンを買った。
活動範囲が一気に広がり、毎週末は関東のあらゆる釣り場、船宿に通い詰める日々。
その中で出会ったのが館山の海だった。
当時は、アクアラインもなく、千葉市内の浜野インターまでしか高速がない時代。
そこから16号線、127号線を100km近く走らないといけないという、まさに関東の陸の孤島といっていいくらい遠い。
しかし、そこに僕は毎週のように通い込むようになった。
その理由は館山の圧倒的な魚影が一番だった。
北条海岸から手こぎボートを借りて漕ぎ出せば、早朝の3時間ほどで100匹を超えるシロギスが釣れる。
夏には堤防でソーダガツオやサバが釣れ盛る。
堤防の下を少し探れば、すぐにタコが釣れ、エギを投げればイカがすぐに抱きついた。
僕はすっかり館山という海にはまっていた。
22歳の頃、全財産をはたいてポーターボートを買った。
これ↓
これで、僕は館山の海へと漕ぎ出した。
釣果は数倍になり、オフショアの対象魚という新しいターゲットも手に入れた。
夏には長さ2.9mしかない船に、1.3mのシイラが横たわり、意気揚々と帰るのがとても楽しかった。
その後、東京湾奥にボートを買い、ポーターボートを売り払った僕は毎年夏になると、館山まで船を走らせ、2ヶ月間の間、係留して館山の海を楽しんだ。
僕の釣りの原点は、地元のハゼ釣りとアナゴ、カレイの釣りし、そして田舎の新潟の海のシロギス釣り、そして大人になってからは館山の海がもたらした経験なのである。
そんなこんなでもうすぐ40歳を迎える僕であるが、今年一つの大きな転機を迎えた。
それはある不動産物件が紹介されたことから始まった。
とある事情で買うことになった、館山の海辺の家。
そのオーナーだった人も釣り人であり、館山に惚れ込み、築44年の古民家を釣り人仕様に改造して住んでいた。
そして歩いて1分で海があり、船も置いてある。
僕は直感でびりびりと感じて、予算的にはかなりきついものの、その物件を見てみようと思った。
交渉の最中に、僕と元オーナーの人は、館山湾にある、ひとつの根の話でとても盛り上がった。
関東屈指の潮の速い根。
そこでの2人の釣りの思い出話をしているうちに、すっかり意気投合したんだと思う。
僕はとんでもない破格で素敵な家と船を手に入れることになった。
が、僕は別荘が欲しかったというわけではない。
そういうステータスが欲しいわけでも無い。
別荘という、基地。
基地という遊び道具。
僕が子供の頃、東京の都会には、もう基地を作るような空き地は無かった。
(が、それでも団地の非常階段の奥に基地は作ってエロ本を隠したりはしていたが。)
僕がこれからやろうとしているのは、僕の遊びの集大成。
平均寿命の半分を折り返し、残りの半生をどうやって生きていくか。
仕事と遊び、そして家族。
その遊びを考えるとき、僕が子供の頃に本当にやりたかった遊びの焼き直しをしてみようと思うのだ。
そして、今年の夏休みが訪れた。
初日、会社の花火大会観覧。
東京湾大華火祭。
これを会社で屋形船を貸し切った。
社員の家族も、乗ることができるという企画。
社員と社員の家族が一堂に集まる。
普段の業務についている社員がいて、その社員の活動を支えている家族がいる。
その全部が順調にいって会社は成り立っていく。
それを認識できる機会を、一年でたった一日でいいから作るべきだといつも考えていた。
それが実現する。結婚式に参列した社員の相方の健在ぶりも年に1度確認することができる。
人間は、仕事のできるできないについて、私生活の状況が大きく左右するものである。
盤石な家庭があってこそ、大きな仕事ができるものだ。
そして、その盤石な家庭生活ぶりを社内にPRする事も(日本人はあまりしないが、海外では常識だ)、これからの社会人として重要なことでは無いかと思うのである。
それが終わって、僕ら家族はそのまま館山へ向かった。
翌朝、僕はさっそく船を出した。
たった4mしかない小さな小舟は、快晴の青空の下、快調なエンジン音を響かせて沖へと向かう。
釣り竿は持っていなかった。
ただ、沖に出たかったのだ。
猛烈な暑さに、沖合でエンジンを止めてライフジャケットを外し、僕はバク転で海中へ飛び込んだ。
10分ほど船の周りを泳いだら、身体がすっかり冷えた。
僕はまた船に乗り、あまりの気持ちよさに大声で叫んだ。
次の日の早朝から続々と友達家族が訪れてきた。
僕は前日にタフな事をしたこともあり、午前中はぶっ倒れていたが、午後から子供達に混じって遊んだ。
満潮前のタコ釣りの時合はわずか四投でキロオーバーのタコを仕留め、子供達はそれに群がった。
家に帰る道は、タコが先頭で、全ての子供達がそれに続くタコ行列になった。
庭にはビニールプールを用意していた。
暑くて身体から汗が止まらない時は、シャワーを浴びるより、プールに飛び込む方が身体が冷えて気持ちいい。
日本では売ってないアメリカ製の水鉄砲がとても強力で子供達はすっかり夢中になっていた。
タコの刺身はおやつに大人気だった。
夏のタコは本当に美味い。
その後は、スイカ割り。
子供達は子供らしく。
それを見ているのが微笑ましく、俺も歳を取ったなぁと。
庭の端には池を作った。
元々、エビやカニは一杯いて、メダカと金魚を追加した。
子供達は一所懸命に網ですくって取っていた。
休み中、連夜のようにウナギ釣りをした。
館山はきれいな川が多く、釣ったその日に食べても臭みが少ない。
井戸水で生かしながら、毎日蒲焼きを食べた。
深夜は白焼きで焼酎をちびりと。
早朝は、夏のカワハギとシロギス釣りを楽しんだ。
館山に来て次の日には釣り友達ができた。
僕の隣に船を置いている素敵なおじさん。
スーさんだ。
もう引退して、隠居生活の悠々自適の人。
毎朝の釣行が楽しみの一つという。
朝マヅメ2回、スーさんの船に乗せてもらって、一緒に出撃した。
スーさんやその仲間の人が繰り広げる釣りは、普段僕が目の前にしている釣りとだいぶ違う釣りだった。
だけど、釣りは釣り。
どんな釣りでも楽しい。
大きなアジがたくさん釣れるんだ。
そして、イケスにはアジと黒ムツがわんさと入った。
この場所は僕が初めて館山にポーターボートを浮かべたところだった。
この時から、そこを通る度にいつも小さい船が集まって釣りをしていて、僕には何をどうやって釣りをしているんだろうと思っていた場所だった。
10何年ぶりにそこに戻ってきたというか、ようやく知ることができた世界になったうれしさの中で僕は大きなアジをたくさん釣った。
アジは僕らの食卓をとても豊かにしてくれた。
そして、夏休みの最後の日。
fimoのサマフェスがやってきた。
運営は若いスタッフに任せていたので、僕は選手として思いっきり楽しませてもらうことにした。
夕方から釣具屋さんに行って、細かい機材を補充。
アタック5では、シーライドもしっかりと置いてくれてた。
開幕前に、僕はとある川の河口にいた。
時間前からライズ音が聞こえていて、イナっ子がしきりに逃げ回っていた。
開幕と同時にキャスト開始。
結構良さげな感じだったんだけど、なんとなんとのノーバイト。
その後、堤防で頑張ったり、船周りでつついてみたんだけど、シーバスからの反応は無い。
館山でのシーバスは現状厳しいと判断し、マルチ戦へと趣旨変更。
少し仮眠をして、朝マヅメ。
マルチ戦はオフショアOKなので、僕の船を出した。
8日間の夏休みで、最もきれいな青空が迎えてくれた。
ヤマリアさんが作ってくれた、ローデッドのfimoサマフェスカラー。
これでシイラをまず1本。
そう思って、湾内を走り回ったがシイラの姿が見えず。
自衛隊堤防でも釣れてる話を聞くので、どうにかしたかったが残念。
サバのナブラがあって、シイラ付きでないかと思ってキャストしたポップクイーンにヒット。1本目。
その後、サバが10本くらい。
シイラがダメとなっては、ジギングしか無いなということで、僕は洲崎の沖の根に向かった。
この一帯は素晴らしい根を持つ割には、ルアーの遊漁船が少なく、ジギングは未開拓というか、とてもスレてない状態。
この秋の開拓テーマにしようと思っている。
シーライド180gで探っていたら、難なくワラサがヒット。
これで2本目。
風が全く無く、暑い。
だけど、都会のどこか逃げ場の無い蒸し暑さでは無く、日陰に入れば汗も引く暑さというのが田舎のいいところ。
もちろん小さい小舟の上には日陰は無く、僕はたまらず2度海に飛び込んだ。
オキナヒメジなんかも釣れたが対象魚外。くー残念。
で、ますます風も無くなって、船を止めると暑くて死にそうなので、ガソリンが無くなるまで僕は走っていた。
でも、この暑い中で多くの人がきっと自分の魚を脳裏に描いて釣りをしている。
その感じの共有ができるサマフェスってのは、なかなか面白いものでは無いかと思った。
昼前に戻って少し寝た僕は夕方からラストチャンスを狙う。
それがとても調子いい感じのウナギ釣り。
エサだとかなりアタリがあるのでワームでもいけるだろうと。
においと味付き系ので頑張ってみるが、なかなかどうしてアタリが取れないし、根掛かり連発。
せっかくアタっても大型のハゼばっかり。
19時30分を過ぎ、そろそろあきらめて20時のタイムアップを待とうかと思っていたら、待望の引き。
よっしゃーと抜きあげると、小さいウナギ!
メジャーでは30cmジャスト。
よっしゃ、よっしゃとリミット達成感最高。
夏休みもこれで終わり。
休み明けから、また忙しい日々が始まる。
だけど、今年手に入れた最高の遊び道具でどうやって遊ぼうかと考えるとワクワクが止まらない。
釣り道具もそうだけど、多くのものは買うだけでは何も生み出さない。
それをどう使うか。
人生で最も高い遊び道具を、どう使って遊ぶか。
それをこの10年追っかけてみようと思うんだ。
野球球児だった僕は、練習が終わると、小学校の頃も高校生の頃も夕マヅメのアナゴ釣りに出かけていた。
19歳の時、初めて愛車、レビンを買った。
活動範囲が一気に広がり、毎週末は関東のあらゆる釣り場、船宿に通い詰める日々。
その中で出会ったのが館山の海だった。
当時は、アクアラインもなく、千葉市内の浜野インターまでしか高速がない時代。
そこから16号線、127号線を100km近く走らないといけないという、まさに関東の陸の孤島といっていいくらい遠い。
しかし、そこに僕は毎週のように通い込むようになった。
その理由は館山の圧倒的な魚影が一番だった。
北条海岸から手こぎボートを借りて漕ぎ出せば、早朝の3時間ほどで100匹を超えるシロギスが釣れる。
夏には堤防でソーダガツオやサバが釣れ盛る。
堤防の下を少し探れば、すぐにタコが釣れ、エギを投げればイカがすぐに抱きついた。
僕はすっかり館山という海にはまっていた。
22歳の頃、全財産をはたいてポーターボートを買った。
これ↓
これで、僕は館山の海へと漕ぎ出した。
釣果は数倍になり、オフショアの対象魚という新しいターゲットも手に入れた。
夏には長さ2.9mしかない船に、1.3mのシイラが横たわり、意気揚々と帰るのがとても楽しかった。
その後、東京湾奥にボートを買い、ポーターボートを売り払った僕は毎年夏になると、館山まで船を走らせ、2ヶ月間の間、係留して館山の海を楽しんだ。
僕の釣りの原点は、地元のハゼ釣りとアナゴ、カレイの釣りし、そして田舎の新潟の海のシロギス釣り、そして大人になってからは館山の海がもたらした経験なのである。
そんなこんなでもうすぐ40歳を迎える僕であるが、今年一つの大きな転機を迎えた。
それはある不動産物件が紹介されたことから始まった。
とある事情で買うことになった、館山の海辺の家。
そのオーナーだった人も釣り人であり、館山に惚れ込み、築44年の古民家を釣り人仕様に改造して住んでいた。
そして歩いて1分で海があり、船も置いてある。
僕は直感でびりびりと感じて、予算的にはかなりきついものの、その物件を見てみようと思った。
交渉の最中に、僕と元オーナーの人は、館山湾にある、ひとつの根の話でとても盛り上がった。
関東屈指の潮の速い根。
そこでの2人の釣りの思い出話をしているうちに、すっかり意気投合したんだと思う。
僕はとんでもない破格で素敵な家と船を手に入れることになった。
が、僕は別荘が欲しかったというわけではない。
そういうステータスが欲しいわけでも無い。
別荘という、基地。
基地という遊び道具。
僕が子供の頃、東京の都会には、もう基地を作るような空き地は無かった。
(が、それでも団地の非常階段の奥に基地は作ってエロ本を隠したりはしていたが。)
僕がこれからやろうとしているのは、僕の遊びの集大成。
平均寿命の半分を折り返し、残りの半生をどうやって生きていくか。
仕事と遊び、そして家族。
その遊びを考えるとき、僕が子供の頃に本当にやりたかった遊びの焼き直しをしてみようと思うのだ。
そして、今年の夏休みが訪れた。
初日、会社の花火大会観覧。
東京湾大華火祭。
これを会社で屋形船を貸し切った。
社員の家族も、乗ることができるという企画。
社員と社員の家族が一堂に集まる。
普段の業務についている社員がいて、その社員の活動を支えている家族がいる。
その全部が順調にいって会社は成り立っていく。
それを認識できる機会を、一年でたった一日でいいから作るべきだといつも考えていた。
それが実現する。結婚式に参列した社員の相方の健在ぶりも年に1度確認することができる。
人間は、仕事のできるできないについて、私生活の状況が大きく左右するものである。
盤石な家庭があってこそ、大きな仕事ができるものだ。
そして、その盤石な家庭生活ぶりを社内にPRする事も(日本人はあまりしないが、海外では常識だ)、これからの社会人として重要なことでは無いかと思うのである。
それが終わって、僕ら家族はそのまま館山へ向かった。
翌朝、僕はさっそく船を出した。
たった4mしかない小さな小舟は、快晴の青空の下、快調なエンジン音を響かせて沖へと向かう。
釣り竿は持っていなかった。
ただ、沖に出たかったのだ。
猛烈な暑さに、沖合でエンジンを止めてライフジャケットを外し、僕はバク転で海中へ飛び込んだ。
10分ほど船の周りを泳いだら、身体がすっかり冷えた。
僕はまた船に乗り、あまりの気持ちよさに大声で叫んだ。
次の日の早朝から続々と友達家族が訪れてきた。
僕は前日にタフな事をしたこともあり、午前中はぶっ倒れていたが、午後から子供達に混じって遊んだ。
満潮前のタコ釣りの時合はわずか四投でキロオーバーのタコを仕留め、子供達はそれに群がった。
家に帰る道は、タコが先頭で、全ての子供達がそれに続くタコ行列になった。
庭にはビニールプールを用意していた。
暑くて身体から汗が止まらない時は、シャワーを浴びるより、プールに飛び込む方が身体が冷えて気持ちいい。
日本では売ってないアメリカ製の水鉄砲がとても強力で子供達はすっかり夢中になっていた。
タコの刺身はおやつに大人気だった。
夏のタコは本当に美味い。
その後は、スイカ割り。
子供達は子供らしく。
それを見ているのが微笑ましく、俺も歳を取ったなぁと。
庭の端には池を作った。
元々、エビやカニは一杯いて、メダカと金魚を追加した。
子供達は一所懸命に網ですくって取っていた。
休み中、連夜のようにウナギ釣りをした。
館山はきれいな川が多く、釣ったその日に食べても臭みが少ない。
井戸水で生かしながら、毎日蒲焼きを食べた。
深夜は白焼きで焼酎をちびりと。
早朝は、夏のカワハギとシロギス釣りを楽しんだ。
館山に来て次の日には釣り友達ができた。
僕の隣に船を置いている素敵なおじさん。
スーさんだ。
もう引退して、隠居生活の悠々自適の人。
毎朝の釣行が楽しみの一つという。
朝マヅメ2回、スーさんの船に乗せてもらって、一緒に出撃した。
スーさんやその仲間の人が繰り広げる釣りは、普段僕が目の前にしている釣りとだいぶ違う釣りだった。
だけど、釣りは釣り。
どんな釣りでも楽しい。
大きなアジがたくさん釣れるんだ。
そして、イケスにはアジと黒ムツがわんさと入った。
この場所は僕が初めて館山にポーターボートを浮かべたところだった。
この時から、そこを通る度にいつも小さい船が集まって釣りをしていて、僕には何をどうやって釣りをしているんだろうと思っていた場所だった。
10何年ぶりにそこに戻ってきたというか、ようやく知ることができた世界になったうれしさの中で僕は大きなアジをたくさん釣った。
アジは僕らの食卓をとても豊かにしてくれた。
そして、夏休みの最後の日。
fimoのサマフェスがやってきた。
運営は若いスタッフに任せていたので、僕は選手として思いっきり楽しませてもらうことにした。
夕方から釣具屋さんに行って、細かい機材を補充。
アタック5では、シーライドもしっかりと置いてくれてた。
開幕前に、僕はとある川の河口にいた。
時間前からライズ音が聞こえていて、イナっ子がしきりに逃げ回っていた。
開幕と同時にキャスト開始。
結構良さげな感じだったんだけど、なんとなんとのノーバイト。
その後、堤防で頑張ったり、船周りでつついてみたんだけど、シーバスからの反応は無い。
館山でのシーバスは現状厳しいと判断し、マルチ戦へと趣旨変更。
少し仮眠をして、朝マヅメ。
マルチ戦はオフショアOKなので、僕の船を出した。
8日間の夏休みで、最もきれいな青空が迎えてくれた。
ヤマリアさんが作ってくれた、ローデッドのfimoサマフェスカラー。
これでシイラをまず1本。
そう思って、湾内を走り回ったがシイラの姿が見えず。
自衛隊堤防でも釣れてる話を聞くので、どうにかしたかったが残念。
サバのナブラがあって、シイラ付きでないかと思ってキャストしたポップクイーンにヒット。1本目。
その後、サバが10本くらい。
シイラがダメとなっては、ジギングしか無いなということで、僕は洲崎の沖の根に向かった。
この一帯は素晴らしい根を持つ割には、ルアーの遊漁船が少なく、ジギングは未開拓というか、とてもスレてない状態。
この秋の開拓テーマにしようと思っている。
シーライド180gで探っていたら、難なくワラサがヒット。
これで2本目。
風が全く無く、暑い。
だけど、都会のどこか逃げ場の無い蒸し暑さでは無く、日陰に入れば汗も引く暑さというのが田舎のいいところ。
もちろん小さい小舟の上には日陰は無く、僕はたまらず2度海に飛び込んだ。
オキナヒメジなんかも釣れたが対象魚外。くー残念。
で、ますます風も無くなって、船を止めると暑くて死にそうなので、ガソリンが無くなるまで僕は走っていた。
でも、この暑い中で多くの人がきっと自分の魚を脳裏に描いて釣りをしている。
その感じの共有ができるサマフェスってのは、なかなか面白いものでは無いかと思った。
昼前に戻って少し寝た僕は夕方からラストチャンスを狙う。
それがとても調子いい感じのウナギ釣り。
エサだとかなりアタリがあるのでワームでもいけるだろうと。
においと味付き系ので頑張ってみるが、なかなかどうしてアタリが取れないし、根掛かり連発。
せっかくアタっても大型のハゼばっかり。
19時30分を過ぎ、そろそろあきらめて20時のタイムアップを待とうかと思っていたら、待望の引き。
よっしゃーと抜きあげると、小さいウナギ!
メジャーでは30cmジャスト。
よっしゃ、よっしゃとリミット達成感最高。
夏休みもこれで終わり。
休み明けから、また忙しい日々が始まる。
だけど、今年手に入れた最高の遊び道具でどうやって遊ぼうかと考えるとワクワクが止まらない。
釣り道具もそうだけど、多くのものは買うだけでは何も生み出さない。
それをどう使うか。
人生で最も高い遊び道具を、どう使って遊ぶか。
それをこの10年追っかけてみようと思うんだ。
- 2012年8月21日
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