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村岡昌憲

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404d1bf6.jpg「なるべくなら嘘は無い方がいい。
嘘は言わない、そう心に決めて。嘘をつき続けて俺生きている。」
長渕剛は【Run】でそう人間の悲しさを歌った。

映画【サイダーハウスルール】の館長は、愛する孤児を守るために、
孤児本人だけでなく、周囲の人間にも、国にも一つの嘘をつき、それを墓場まで持って行った。死後数ヶ月経った時、その嘘は明るみになったが、その嘘は愛へと昇華していた。

 嘘にも色々ある。
 嘘は良くない。でも、その嘘が自分本位の、自分勝手な、という類のものでない時、人は時として嘘を言わなければ言わないときがある。

 例えば大切な人が余命わずかと知った時。それを本人が知らない場合、真実を知る人の心にある正直さと愛は真正面から葛藤するだろう。以前、親交が深かったある親子の姿からその葛藤をまざまざと見せつけられたことがあった。
 その人が真実を知りたがった時、だけどその後に壮絶な苦しみが生まれることを知っていた時、正直さと事実を隠すということはどちらが強さを求められるだろうか。正直に言ってしまうのは簡単ではない。その後に襲う絶望を思えば誰もがためらうだろう。例え一緒に闘っていく覚悟があったとしても、それは当たり前のことだ。
 いずれ知ることになるのだから、という正直さ、それでも少しでもその時間が短ければ、という愛。
 そんな葛藤を抱え、病室で笑い励まし、廊下で泣く娘と、どこかでもう悟っている様な父を見ていて、そんなに苦しいなら言ってしまえばいいのに・・といつも思っていた。でも言わないことも愛なのだ、とその子の心が出した答えなら、僕はその子を励ますだけだった。
 やがて父が亡くなり、しばらくして発覚したのは父は自分が死ぬ事を医者から聞いていたという事実だった。嘘は交差していた。
 娘に心配を掛けたくないからと嘘をつき続けた父。
 父を苦しませたくないからと嘘をつき続けた娘。
 
 こんな結果になるんだったら言うべきだった。一緒に闘病をすべきだった、と僕の肩で泣くその子に僕は何も言えなかった。父が何を望んでいたのかがわからなくなっていた。娘に心配掛けたくないという父の愛を思えば、きっと娘の口から病気を告げられる事は望んでいなかったのでは、と思う。が、その結果、この子は生涯の後悔を背負う事になった。それを父は見通していたのだろうか。そこまで見通していて尚、自分が知っている事を隠したのか。それとも死後の事までは考えてなくて、自分がこの世を去るまでの苦痛を避けるだけの愛だったのか。数日間、そのことばかり考えていたけど答えは出せなかった。でも今は後者だった気がする。 


僕ものたうち回ればよかったのだ。
全て背負って身動き取れなくなった自分の心に。
心は死んだ。いや、どうあっても結局死んでいた。
でも心の死を隠した結果、多くの人を傷つけた。それが痛恨。


自分がいかに優しくないかということについて、我が母が多くの他人の前で話す。
こうして母に傷つけられるのはいつもの事だ。子供の頃から食事やお金は十分に満たされたけど、母が心を一杯にしてくれる事はなかった。見かねて他人が励ましにきても心のうずきは止まらない。夜、目に涙をためて、花屋のネットショップで頼んでいた母の日の注文を取り消し、そしてまた再度注文する。

愛はすれ違い苦しいものだ。


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