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ぼうず の意味を考える

  • ジャンル:日記/一般
釣り人で、「ぼうず」といえば知らない人はいない(と思う)し、「ぼうず」を経験していない人はいない(はず)。
「今日どう?」「いや丸坊主」みたいなやり取りもよく聞きます。
どんなに釣りがうまい人でも、必ず「ぼうず」ということがあるらしい。そんな釣り人にとって避けては通れない「ぼうず」。僕は逆にいえば「ぼうず」があるから「次こそは」「次こそは」と釣りにのめりこむのだと思います。「ぼうず」になって「次こそは」と思わない人は、正直釣りに向いていないか、釣りに興味がない人なのだと思っています。

では、なんで釣果のないことを「ぼうず」というのか?
これ知らないと、5歳のCGの女の子に
「ぼーっと生きてんじゃないよ!」と、叱られてしまいますね(笑)。

さて、「ぼうず」の由来、自分が子供のころ聞いたのは、お坊さんは殺生しないので、どんなにたくさん釣っていても釣果を聞かれると「釣れない」と答えるということで「ぼうず」なのだと。
しかし、ネットで見てみたら、いずれも諸説あるとしながらも、
 儲けがない→もう毛が無い→釣果なし という説
 おでこ説
 毛が一本もない→釣果がない という説
 百人一首のぼうずめくりは、もち札をすべて出さなければいけないから、手元に札がない→釣果がない という説
 
といろいろあるようです。

ほかの皆様はどのように由来を聞いているのでしょう。

そんなネットサーフィンでたどり着いたのが、こちら
https://hasunoha.jp/questions/1489
hasunoha という「お坊さんが答えるお悩み相談サイト」にある
魚釣りはよくないでしょうか?という問いの答え。なかなか面白い。

(斜字体は引用)
 仏門に入るときに釣りをやめると決意したお坊さんのお言葉
 私の「決意」は私個人にのみ当てはまるものです。反社会的な行為ではありえませんから、結局は一人ひとりの考え方に帰す問題です。
 
そして線引きばかり考えているうちは、魚そのものではなく「生活のため」とか「趣味の対象」という属性や他人の視線ばかり見ているのではないでしょうか?それって実は魚の生命と向き合っていないのではないでしょうか?
もっと目の前の魚と向き合い、魚を釣り、絞め、調理し、食べ、後始末をする中で、お子さんに生きるということがどういうことか伝えてあげましょう。

 

お子さんを連れて釣りに行って、仕方なくリリースした魚が死んでしまったときや、釣ってきた魚を食卓で頂くときにも、命の話をしてあげて下さい。

私たちは、動植物の命を頂いて自分の命を養っています。

私たちは数々の生き物たちの犠牲があって生かされて、生きることができているということをよく理解すると共に、なるべく無駄な殺生はできる限り慎んでいくのが、仏教における大切となる「不害」というものになるのではないだろうか


釣りは命を扱う娯楽なのですね。でもそれは決して否定的な意味ではなく、元来、ヒトに限らず命あるものは、ほかの命をいただいかなければ生きてはいけない。命の有難さを痛感し、魚をいただくときも、リリースするときも、魚に感謝をしなければならないですね。

新型感染症の折、釣りをしていて避けては通れない「ぼうず」から派生して、釣りを通して命について思い巡らせるという、思わぬ結果になりました。

これもコロナが与えてくれた時間のおかげでしょうか?

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