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連載第10回 『雷鳴~長い長いトンネルの出口で見えたもの~』

  • ジャンル:日記/一般
  • (小説)
第五章 僥倖

ボクは清夏にメールを送った。
「二か月間の疲れも溜まっているから、打ち上げは後日にしよう」
今日は十二月四日、ボクと恵美の結婚記念日だ。このところ忙しかったために、渋谷のフレンチレストランC・Mの予約もしていなかったし、花束の一つも買って帰らずに打ち上げに行くのは気が引けた。
清夏からはすぐに返信があった。
「私なら大丈夫です(^_^)v 谷山さんさえ良ければ、今日これから飲みに行きませんか?どこか綺麗な夜景を見られるお店に連れて行ってください♪」
恵美に対する気兼ねがあったが、一緒に仕事を乗り越えた「戦友」とも言える清夏と一緒に豊潤なムードに浸りたいとも思っていた。今日までの間、清夏との間に親密な関係を築いてきたのだ。下心がないと言えば嘘になる。正直に言えば、清夏を抱きたいという衝動を抑える自信はなかった。
協働のプロジェクトが終わった今、今日を逃すと、次にいつ清夏と飲みに行けるチャンスが訪れるか分からない。人生にとって最も大切なことは、タイミングを逃さないことなのだ。
ボクは、恵美に電話をかけた。
「今日ようやく例の案件が片付いてね、これから打ち上げに行くことになったんだ。結婚記念日なのにごめん。遅くなると思うから、ボクの分の食事は用意しなくていいよ」
「わかったわ。疲れているんだから、飲みすぎには注意してね」
ボクは、嘘はついていない。
 

ボクは、新橋のDホテルの二十一階のレストラン・バーに清夏を誘った。ただ、十二月の、しかも金曜日の夜に空きがあるかどうか分からなかったが、ダメ元で電話をしてみると、運良く窓際の眺めの良い席にキャンセルが出ていた。
ボク達は、タクシーでDホテルに移動し、二十一階に上がった。入口でボクの名前を告げると、レインボーブリッジとフジテレビとパレットタウンの観覧車がよく見える席に案内された。
「わー、こんなに夜景の綺麗なお店に連れてきてもらったのは初めてです。ありがとうございます!」
このバーも、清夏と同年代の男には到底選べない店だ。清夏は、少女のようにはしゃいで喜んでくれた。
席に着いたボクが煙草を吸ってもいいか清夏に尋ねたら、彼女の表情が曇った。清夏は煙草が大の苦手だった。今まで清夏の前で吸おうとしたことがなかったので、気づかなかった。
「好きになった人が煙草を吸っていたら、それだけで気持ちが冷めちゃうくらい、私にとっては煙草を吸うか吸わないかは大問題なんです」
ボクは、清夏のために煙草をやめた。一目惚れの「魔法」のおかげだろうか。禁煙には何の苦もなかった。
清夏は次々とビールを飲み干した。どうやら相当お酒が強いようだ。ボクも清夏に付き合って飲んだせいか、いささか酔いの回りが早かった。
清夏が、大西氏のことについて口を開いた。
「自慢でもなんでもないんですけど、大西さんが私を見る視線って、仕事以上のものを感じました」
「ボクも同感だよ。正直嫉妬していたんだよ。大西さんは絶対に君に気があるよね」
ボクは、笑い飛ばして応じたが、胸の内では、清夏の本心が気になって仕方がなかった。
清夏と飲む酒はとても楽しいものだった。笑いが絶えず、ひたすら愉快だった。
ウイスキー党のボクが、ラガブーリンのロックを飲んでいる一方で、清夏は、ハードリカーベースのカクテルのグラスを空にした。
ボク達は、小説の話をした。山本文緒の『恋愛中毒』が話題に上った。元夫や愛人との関係がこじれても、彼らとの繋がりに固執し、関係を修復しようとして彼らの周辺の女性を排除し、果てはストーキングまで犯して刑事罰を受けたのに、それでも懲りない女性の物語だ。清夏はその話に共感するところがあったようだ。
「ストーキングはいけませんが、好きな人にはなんでもしてあげたいし、その気持ちを全部受け止めてもらいたい。そうでないと、とても辛くて寂しくて、その気持ちを何かにぶつけたくなるのは自然な感情だと思います」
清夏は、自分の気持ちに素直に、正直に生きるタイプの女性なのだろう。ただ、ボクは、清夏の恋愛に対する思いの「重さ」を感じたが、この時はその意味がよく分かっていなかった。
 
ウェイターがやってきて、閉店を告げた。十一時になっていた。
ボクは、腹を決めた。
テーブルで会計を済ませた後、お手洗いに行くふりをして、ホテルのフロントに電話し、ダブルルームを予約した。
席に戻る前に恵美にメールを送った。
「このままカラオケに流れることになった。帰りは朝になるだろうから、気にしないで先に寝ていてくれ」
ボクは嘘をついた。
バーに戻ったボクは、清夏の耳元でこう囁いた。
「部屋を取ってある。今夜は二人きりにならないか」
清夏は伏し目がちになり、無言のまま小さく頷いた。
 

フロントでチェックインを済ませると、ベルボーイが部屋まで案内してくれた。非常口の説明をしてくれていたが、そんな言葉は全く耳に入らなかった。
そんな短い時間さえもどかしく感じた。
ホテルマンが辞するが早いか、ボク達は唇を重ねた。清夏の唇は、とても柔らかかった。そして微かに震えていた。酔いにまかせた大胆さはどこにも見当たらなかった。
清夏の緊張を少しでも解きほぐしたくて、ボクは両腕を清夏の背中に回して力強く抱きしめ、耳元で「好きだよ」と囁いた。ボクの首に回した清夏の腕にも力がこもった。
ボクは清夏のポニーテールをほどいた。
今日の清夏からは、オードパルファムの香りはしなかった。清夏なりに予感するものがあったのだろう。清夏の香りがボクに移ることはなかった。そのかわり、シャンプーの柔らかく控えめな香りが、かえってボクを官能の世界に誘った。
一糸纏わぬ清夏の裸体は、神々しいほどに美しかった。
下品な言い方をすれば、恵美の比ではない。ボクは、この身体を抱ける僥倖を噛み締めた。
清夏の身体はまだ緊張していた。ボクは清夏を悦ばせたい一心で愛撫を続けた。身体の隅から隅まで愛おしむように口づけをした。清夏の身体が、ほんのりと桜色に染まってきた。清夏はとても敏感で、ボクの愛撫だけで何度もエクスタシーに達した。
清夏の喘ぐ姿は、ボクにとって何物にも代えがたい幸せだった。清夏は受け身がちではあったが、それでも、ボクの愛撫に応えてくれた。その動きはとてもぎこちなく、お世辞にも上手いとは言えなかったが、清夏の柔らかな舌の感触は、ボクの疲れを溶かしてくれた。
二か月間の激務の疲れなど忘れてしまうほどだった。ボク達は、何度も身体を重ね合わせた。幾度となく愛を告げた。清夏の緊張は次第にほぐれてきた。
ボク達は、時に優しく、時に激しく、一つになった。ボクはこの夜、三度射精した。そのたびに、興奮と感動がボクの身体を貫き、全身がしびれ、歓喜に打ち震えた。清夏が何度絶頂に達したのかは分からなかった。汗でシーツがびっしょりと濡れていた。
ボク達のセックスの相性はすこぶる良かった。肉体的な快感と精神的な充足感の両方が強く満たされた。
一緒にシャワーを浴びた後、夜明けまでの僅かな時間を惜しむように、肌をあわせ、静かに語り合った。
「以前の私は、不倫する人なんて愚かだと思って軽蔑していました。でも、谷山さんに会ってからは、自分の気持ちを抑えることができませんでした。隣の席に移ってから、読書の話をしたり、一緒に仕事をするようになって、その気持ちがどんどん強くなっていったんです。私、谷山さんのことが好きです」
「勇輝でいいよ」
「ありがとう。じゃあそうしますね。今となっては、勇輝さんが結婚しているとか、そういうことは関係ないんです。勇輝さんのことが好きだっていう気持ちに正直になろうと思っています。だから、今日勇輝さんと結ばれて、本当に幸せなんです。でも、勇輝さんの家庭を壊すようなことをするつもりはないから安心してください。だから、私といる時だけは、奥さんのことは忘れてほしいんです」
清夏は、ボクの薬指の指輪を触りながら、甘えたような目でボクを見つめた。ボクは清夏の頭を優しく撫でた。
ボクは、少なくとも清夏との間には、明るく確かな未来が来たのだと感じた。一目惚れがもたらしてくれる「魔法」が、永遠に続くと思っていた。たとえそれが、許されない恋だとしても。
翌朝自宅に帰ると、恵美は既に起きていて、朝食の支度をしていた。
「お帰りなさい。大変だったわね」
恵美は、いつもと変わらぬ調子で声をかけてきたが、その眉間には深い皺が刻まれていた。

第六章 蜜月 に続く

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