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上宮則幸

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あの日

  • ジャンル:日記/一般
3月11日

その頃おれはまだ水商売やってて、客相手に楽しく喋くるのが仕事だった。

午後6:00に眠い目をこすってテレビの前に座って歯を磨いている手が止まった。

それが津波の映像だと言う事は一目でわかった。

町並みや人々の叫び声で東北だろうと思った。

数千いやひょっとして数万死ぬだろうと人事のようにただ、ぼんやりと思った。

夜中に相方から「こわくて眠れない」と、泣きながら電話があった。

鬱病から回復しつつあった、まだ心が壊れたままのおれはあの大惨事にもかかわらず、本当にぼんやりと、ただ「たいへんだぁ」と思っただけだったが、この災害は確実に日本全土に深い爪を突き立てる事はわかっていた。




「たいへんだぁ」ではすまなかった。

多くの死傷者が出た事実はあの頃はあまり実感がなく、親戚や友人に被害者がなかった事から益々関心がなくなったのだが、経済的影響は日本全土を直撃した。

苦しい苦しい日々が始まった。

病気にやられてたおれの苦しさは、自分の極間近のことだけでしかなかったが…










家族が亡くなるということ
明日の生活が危険にさらされていると言うこと
故郷を失うということ
お金が無いということ
仕事すら無いということ

なんとか病気を克服したアタマでそのことを考えると、悲しみを通り越した恐ろしさが込み上げる。

復興はどうなったのか?
まだ手付かずの街が取り残されてる。

原発は?
ようやく暴走をおさめられただけで、今後の対策には困難も多いことだろう。

国難はなおも続いている。

未だ帰らぬ家族を待つ人がいる。

そういうことを今夜は相方と語ろう。

おれの経済力でやれる復興支援なんて、被災地で生産された食品や日常品を買ってありがたくいただくぐらいしか出来ないけど、毎日の生活で意識することは続けていこうと思う。





あの大惨事は一生忘れない。

でも、災害に遭われた方々にとって、あの日が過去のことになる日がやって来ますように…
















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