プロフィール

関根崇暁

福岡県

プロフィール詳細

カレンダー

<< 2024/4 >>

1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

検索

:

アクセスカウンター

  • 今日のアクセス:763
  • 昨日のアクセス:2448
  • 総アクセス数:1092615

QRコード

BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

ブレていないか?

今日、fimoを始めた2010年8月11日の初ログを読んでみた。

あ、今回は完全に自虐ネタですので、笑ってやって下さいね(笑)


2011年8月のfimo「東洋式疑似餌釣研究所Ⅱ」にての初ログ

こちらでこれから活動したいと思っています。
沢山の方々との交流の中で 更に釣りの世界を広げて行けたらと思います。
数とかサイズでは語れない釣りの世界を楽しみたいと考えています。


これ、短い文章だけど、今の自分の事が濃縮されている文章だった。
結論、あの時から、「ブレていなかった」という事に少しだけ自信が出来た。


面白い事に、更に時間を遡る事、5年前。



初めてのブログ「東洋式疑似餌釣研究所」にての初ログ
2008年2月にブログを始めた時のものがコレ。
 
僕はルアーやフライで釣れるのなら何でも釣る釣師です。
西洋で生まれた釣はこの国、日本で50年近くの歴史を迎えもう他所の国の釣ではなくなってしまったと感じています。
僕がこの釣に出会った30年前そして現在。
多くの人々がこの釣をしているのは素晴らしいこと。しかし肝心のフィールドはどうなっているのだろうか。。
言わせて頂くが釣りのヒントはフィールドにある。
誰が何と言ったとしても、水の中に魚の近くに針を落とさない限り釣りは成立しない。
もう一つに魚を針まで誘き寄せる釣りというのもあるが、効率を考えるのか遊びとして捉えるのかでそこは変わる。
何れにせよ最終的には魚の近くに針(疑似餌)はある筈だ。
もうひとつ、釣り場に行くこと無く部屋などで考え事や物思いに耽る時に空想や妄想の釣りも重要であるが、それは感動や興奮の余韻であり、言わば釣りの残り滓だ。
しかしその残り滓を疎かにしてはならぬ。
迷い貫いた先にある次の釣りにはそのプロセスが必要なのである。

それがイメージトレーニングである。



これを書いたのが自分だとは思えないのだけど、まあまあ60点くらいは言いたい事を云えてるかと?でも意味わかんないね・・この人(笑)

日本や中国などの諸国、アジアをまとめて東洋と呼ぶから、欧州や米国式で無い、日本のルアー・フライ釣りを紹介したいという趣旨のブログ名なのですが、そもそも東洋式って聞くと、マッサージ屋さんみたいで釣りには結び付かない(笑)


正直、ネーミングはシクジッタフィーリングが120%くらいあるのだけど、もう走り出してしまったし・・取り返しは付かないのでそのまま走ります。


この教訓を活かして、皆様が釣りログの名前を考える時は、じっくりやって下さい。


因みに、「関西疑似餌研究所」さんとか「秋田県能代市疑似餌研究所」さんとか、「おかっぱり・・」(爆)とかありますが、そんなのを知らずに付けてしまったブログ名なので、真似とかパクリの類いではありませんのであしからず。


あくまでも「疑似餌研究所」ですのでオリジナルです。

因みに「Ⅲ」は「Ⅰ」の過去ログと同一で保守、保存版ログなので、完全に無視して下さい。



ブログやって、ログを書いていて思うのだけど、自分の世界観って読み手の様に感じることが出来ない。


それが5年くらい経つと、このときの僕はこんなことが云いたかったんだねぇ~?って感じが何となく掴める様になる。

ちょっと込入った話になりますが、人間には「理性と感性」があってこれが厄介な部分なのです。


言い換えれば「思考と感情」 

感情、つまり心や気持ちでは、釣りたいのに、脳が「ノー」って云うんですよ。(ハイ・笑うところですよ、お客さん!勿論寒さに・・)

だから釣りたいけど釣らないって意味不明な表現になる。

その相反する行動を司る二つの源のバランスを計りながら、僕ら人間は日々生きてるんです。

かの有名な思想家は、「わかっちゃいるけど~ぉ やめられないっ♪」ていう名曲を歌い、僕らを希望の世界へ導いてくれました。今やそれも伝説と呼ばれて久しい。

さて、釣りにおける、慈悲の冥想についていう事で話を進めて・・いいや・・違った。

私は釣りログを書きたいけど、上手く書けるがわからないから・・・などと思いお考えの貴方に、公開設定を自分のみにして、思いのままを綴られてみてはどうでしょうか?

はい、ご提案です。

ご自身で読まれて、その内容に何かを得るものがあれば、それが貴方の世界観なのであると思います、幾度と無く書き続けて行けば、自ずと答えらしきものが見えてくるのではと思います。

ブレてなかったら、そのままで良いと思いますし、それがブレているのだとしたら、感情に素直になったほうが精神衛生上良いと思います。

社会的、家庭的なお立場でそれが困難であるとしたら、工夫されて時間を作られると良いと思います、時間が無いという言訳は簡単ですが、たとえば禁煙されるだけでその時間を得ることが出来ます。

煙草一本3分、1日1箱20本吸うとすると、はいっ1時間です。

一ヶ月30時間、ニコチンを取り入れ煙を吐く為に使うか?

自分の人生を考える為に使うか?

僕はその二択をしたとき、煙草を止める決心が付きました。


一時間、ログを書く時間にしてみれば、それは相当書けます。
書いては読み返す、また書いては読み返す。

本当の自分の言い分が見えてきます。

そして結果として「思考と感情」のバランスを計るときにそれが役立ちます。

自分のことを、他人に評価されるのは、ある意味、嫌なものです。

自分のことを自分で評価すること、自己評価は「生き様」を考える上で必要な事だと僕は考えています。

実はコレ、やってみると釣りくらい楽しいですよ。


僕は毎日、その自問自答を繰り返しています。
仕事の合間、寝る前、運転中、トイレの中、何処でも。

その前に僕は釣師ですから、生き様が無様な様では釣師として川原で死ねないと思います。

本望、それは川原に骨を埋めるのが、僕の本望。

釣師が釣師としての生き様を全うして、最期まで釣師であり続ける為に、生涯現役に有り続ける為に、そういう「精神」が必要という事かと思います。

なぜ、こんな事ばかり書いているのか?っていうと、どんなメソッドやテクニックよりもそれが大切だと思うからです。

必死に大物を釣るのも釣り、部屋の中で想いに耽るのもまた釣りです。

大物は釣ったら終わり、考えに没頭するのには終わりが無い。

あなたはどちらを選びますか?

僕は欲張りなので両方選びます、その上で釣りが楽しいと言いたい。

それでは、また



■何時も釣れない釣師のログをご覧頂きありがとうございます。


■皆様のご意見・ご感想をお待ちしています。


■もっと書いてくれと思っていただける方、遠慮なく、ソル友、ファン登録、fimo会員登録をお願い致します、お気軽にどうぞ。

コメントを見る

関根崇暁 さんのあわせて読みたい関連釣りログ