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▼ 北海道旅行記 2022
- ジャンル:釣行記
- (遠征)
11月18日から同22日まで北海道へ。
今回の旅は妻の観光が主目的なので、釣りが出来るかどうかはわからないが、隙があれば竿を出そうと企んでトラウトタックルを大中小の3セット持参した。

11/18
昼前に千歳空港着。
レンタカーを借りて白老町に新しく設立されたアイヌの民族博物館へ。

どうやら妻は「ゴールデンカムイ」という漫画に影響されたようだ。家にはアイヌにまつわる書物が2点ほど読まれることなく放置されている。
ここではアイヌの民族舞踊の見学や木弓の試射などを体験した。
苫小牧泊。
11/19
妻は「根室はなまる」という回転寿司を本店(?)で食べたいらしく、当日の宿は根室とのこと。
そういうわけで苫小牧から根室へ大移動。
日高山脈では降雪あり。危ない。
根室へは予想外に早く到着したので、根室半島の付け根あたりを風蓮湖へ流入する別当賀川で30分ほど竿を出す。

少し調べてみたところ別当賀川は近くを流れる有名河川である風蓮川と同様の魚類相であるらしく、今回釣りをした下流域でのルアーターゲットはアメマスおよびイトウ。
11月の道東河川では河川規模にかかわらず中流から下流にかけて大物のアメマスが狙えるので少し期待していたのだが、別当賀川は予想していたより規模の小さい川で水深浅く流速も遅いため、釣りをして楽しい川ではなかった。
そんなわけで別当賀川での釣りは30分ほどで終了。

納沙布岬を観光し、根室の市街地に泊。

11/20
根室から当日の投宿地である斜里へ向かう。

道すがら風蓮川、春別川、西別川、当幌川等々釣りで有名な川を横目にみて素通りしていく。垂涎の好ポイントをやり過ごすのは身を切られるようにつらい。風蓮川の最下流にかけられた橋の付近では10台近くの車が駐車されていた。今がまさに湿原アメマスとイトウ釣りの最盛期であることをまざまざと見せつけられる。

釣りが出来ないフラストレーションは魚を鑑賞することではらそうということで、道中にある「標津サーモン科学館」に立ち寄る。

この標津サーモン科学館は学生時代に同級生が近くを流れる忠類川にサケの産卵床調査を行った際にお世話になっており、そのとき私も何度か調査の手伝いに訪れたことのある懐かしい場所だ。

入館してすぐ目につく館長挨拶文の署名に懐かしい名前をみた。学生時代のサケ産卵床調査の指導あたってくれていたIさんという方が館長になっていたのだ。15年前である私の学生時代にはまだたしか学芸員だったと記憶しているから、この間に出世したことになる。
出世といえばもう一人私が大学生時代に所属していた研究室の講師だった人もここ最近で大きく出世を遂げていた。
この講師だった方は15年前で30を少し過ぎたくらい年齢だったが、あれよあれよという間に教授になり、数年前には副学長になっていた。
この方はただ「勉強が出来る」という一般的に理解されるものとはまた違うベクトルの頭の良さがあり(もちろん勉強もできたであろうが)、公平中立な視点から論理的かつ科学的思考で物事を考えるように繰り返し教示してくださった。
才覚ある若者というのは謙虚に振る舞っていても必ず傲慢さがどこかに透けて見えるものだが、この講師だった方はその優秀さからは考えられないほど自然体で、鋭く才気の走った感じがなく、私のような劣等生にも分け隔てなく接してくれていた。
この方は海外の研究機関から僻地の馬鹿大学の講師になったという経緯があるので、私の邪推だが、この間に何か挫折を味わっったのかもしれない。困難や挫折は人を珠にするものだ。
この方は私がこれまで出会った人物のなかで最も尊敬出来る人物だが、そんな人を若くして適切に出世させた大学の懐の広さは関心したものだ。
私が北海道から離れて15年という歳月が過ぎた。
北海道の雄大な自然は依然として変わらないが、人とその営みは少しずつ変化している。いや、変わらざるを得ない。
ふと、自分は当時から何か変わったか自問してみた。
何も変わっていない。
今でも変わらず魚を追うことを主眼においた生活を続けている。むしろ魚を仕留めようという執念は以前より確実に強くなっている。
出世を遂げた上記の2名と遊び呆けて何ら社会に益することない自分を対比させると恥じ入るばかりだ。
だが、魚を追うことの無い生活もまた私には考えられない。それは人生の価値の喪失を意味するからだ。
変わったものと変わらないもの。
心の故郷であるこの道東の地でこのことに思考を巡らせていると寂寞の念を禁じ得なかった。
斜里に到着。廃校を利用した宿に宿泊する。どうやら私達の泊まる部屋は教員宿舎跡地のようだ。値段のわりに広くて快適である。

チェックイン後、妻が昼寝をするというので、短時間勝負で斜里川へと釣りに向かう。
斜里川では上流でオショロコマの数釣りを楽しめるが今回はアメマスの最盛期に訪れているので、イチかバチか大物を狙おうと思い下流域にエントリーした。

斜里川では最上流域と河口でしか釣りをしたことがなかったので下流域は初場所である。魚のいるポイントは全くわからないが、アメマスは中流から下流のどこかで群れとなって身を潜め、越冬の準備をしているはず。だが、やはり夕マズメの30分では魚の居場所は見つけられずボウズで終了。
斜里川は釣果情報を聞くことが少ない川だが、水量、川幅、流速ともに釣りをするにはちょうどよく、再訪してじっくりと狙ってみたいと思える良い川だった。
遠征の釣りではどうしても釣果の堅い場所に足を向けがちだが、今後は斜里川のような未知の川をじっくり攻めるような冒険的釣りも進めて行きたい。海と川を何度も行き来するアメマスは海で大きく成長するので、海から上る魚を隔てる堰がなければどんなに小さい川でも大物のチャンスがある。未知の川で大アメマスを釣りあげることできたら、きっと思い出深い釣行になるはずだ。
また一つ楽しみが増えた。
11/21
斜里から山間部の屈斜路湖を周り網走へと向かう。


↑霧のせいで素晴らしい景観はお預け。
道中どうしても立ち寄りたい川釣りポイントがあったので妻に1時間経過もしくは一匹魚が釣れたら終了という条件で釣りをさせてもらった。
このポイントは網走在住時に友人が見つけた場所で、ちょうど今回と同じ11月に初めて訪れた時に大アメマスが連発して以降、家から近いという理由から平日でも時間があれば通っていたといういわば当時の”ホームポイント”としていた思い出深い場所である。
ちなみにその友人は今思えばなかなか先見の明のある男で当時は全く注目されていなかった網走のウミアメ(海で釣るアメマス)も積極的に狙っていて、私が同行している時に大物を仕留めている。何の情報も無い中で自分の読みと勘だけで魚を仕留める彼の姿勢は刺激となったものだ。
私も彼のマネをして(当時は彼にくっついてマネばかりしていた)しばらくウミアメ狙いで通ってみたが2回バラしがあっただけで魚の顔は拝めなかった。
妻を車内に残し川まで下りていく。
川幅は狭く、キャストに力は不要。軽く投げて対岸のボサ下を打っていく。河川内には落葉が多く流下しており、たびたびルアーに引っ掛かってきて鬱陶しい。
一見すると川の様子は15年も経過しているので流石に少し変わっていたが、カーブの位置や深みの場所など、水面から下については想像の域をでないがさほど変わっていなさそう。
さて、当時と同じように障害物の下や深みに大アメマスは潜んでいるだろうか?
このポイントでは常にウェーディングしている状態となるのでウェーダー越しに冷涼な川の水を感じる。
往時、ここでは厳冬期でも釣りをしていたのだが、当時高価なネオプレーンウェーダーなど持っておらず、安物のナイロンウェーダーで立ち込んでいたので三十分ごとに車に戻り、車内で暖をとっていたものだ。体が寒冷地に適応していない今となっては北海道の厳冬期に釣りをすること自体が絶対不可能だろう。
今回の使用ルアーは”D-コンタクト72”というヘビーシンキングミノー。
このルアーはNZ釣行時に友人が使用しており、通常のシンキングミノーを使用して魚のチェイス止まりで終わっている私を尻目に、ヒットを連発させていた恐るべき”釣獲力”を誇るルアーである。
通常私が行っている「ミノーイングで高活性の魚を足を使って抜いていく」というスタイルなら川の規模から考えて7~9cmのミディアムダイブミノーもしくはノーマルタイプのシンキングミノーで十分なのだが、今回の釣りは時間も場所もかなり制約があるので、ある程度低活性の魚も食わせることを念頭においてこのルアーをチョイスした。
釣り開始から30分ほど経過して対岸の深みを狙っているとググっと竿が引き込まれた。合わせを入れると、竿に重みが加わる。同時に対岸の水面では銀色で細長いシルエットの魚がグネグネと体をくねらせ、のたうち回っている。
アメマスだ!しかもなかなか良型。
流れがなかなか強いのでラインを回収していくと魚はこちらの岸に向かいつつも同時に徐々に下流へ行ってしまう。
私もウェーディングしながら下流へ向かい魚との距離を詰め、魚を休める水辺がないので土手に引きずり上げてランディング。
魚は50cmを少し切るくらいのサイズのアメマスだった。

やはりここには昔と変わらず魚がいてくれた。
この川とそこに生息しているアメマスを釣ることは私のルアーフィッシングライフの原点ともいえるので、特別な思いがある。

たまたま前日にこの15年で変わったものと変わらないものについて考えていたのだが、変わらないからこそ良いものも、また存在するであろう。
人の世、社会というのは常に時間経過とともに変貌していくものだが、この自然と川辺に潜むアメマスはいつまでも変わらずにいてほしい。釣りあげたアメマスをみてそう感じた。
さて、釣りである。
妻には一匹釣ったら戻ると言ったが、実際に一匹つれたら「まだ釣れるだろう」という欲が出てくる。
時間的に刻限の内にあるし、すこし上流にはこのポイントの核心部があるのでスケベ心を出して釣りを継続してみた。
そして、その核心部に到着。
ここは私だけの釣果でもアメマスのランカーサイズといえる60cmオーバーが4~5匹釣れている屈指の大物ポイントである。
当時より川幅が少し広がり、全体的に水深が浅くなっているかもしれないが、まだまだ一見して好ポイントだということが川の様子からありありとわかる。
結果はすぐに出た。
ポイントに到着後、5投ほどでヒット。
ディープウェーディングしているので魚との距離が近く、水面直下でグネグネともがくアメマスの様子にも迫力がある。
アメマスは引きの強い魚ではないので、竿を溜めているだけで下流方向を円弧の軌道を描きこちらの岸へ寄ってくる。後はこちらがラインを回収しながら下流へと向かってやれば簡単にランディングできる。
こちら側の背後は倒木がびっしりと詰まっており、ランディングに適した場所がないのでかなり下流まで魚を誘導してやる。
パッと見た感じ先ほどのアメマスと同等か少し大きいくらいか。
もう二匹目だし魚を水から出さずにリリースしようと考えていたが
「せっかくだから一応測ってみるか?」
と、メジャーをあててみると予想を裏切る良型で62cmもあった。
魚が60cmオーバーだとわかると途端に興奮してきて、それまで水に浸けていた魚を陸に引きずり上げて写真撮影しまくる。

陸にあげてしまうと魚にあたえるダメージが大きくなってしまうが、万一水に浸けたままでろくに写真を撮らないうちに魚に逃げられたら目も当てられない。今回は自分の欲望優先だ。

くだらいこだわりかもしれないが、同じアメマスでも59cmと60cmの間には大きな隔たりがある。それはスズキの79cmと80cmにおいても然り。

どこかに基準を設けないと大物かそうでないかの判断が曖昧になってしまい面白さが半減してしまう。メートル法を定め、長さの単位を統一したという点においては革命時のフランスは偉大である。
それにしても、これが大物釣りの場合なら魚の全長は尾ビレの折り具合で簡単に5~10cmくらい変わる(大概大きいほうで申告する笑)ので長さは全く軽視され、重量が重要になってくるのだから、釣人の心理というのは全く不思議なものだ。
まだ魚が出そうだったが、ケータイをチェックすると、とうに刻限は過ぎており妻からは早く戻ってこいという旨のLINEが送られてきている。
名残惜しいが、明日の朝もこのポイントを攻められるので車へと引き返して観光旅行を再開した。

↑網走といえば監獄

↑網走の海といえば帽子岩。網走の地名の由来なんだとか。現在は立ち入ると検挙されるらしい。
網走市内の観光地巡りったのち昔お世話になった人に挨拶に行くなどし、網走湖畔の宿に宿泊。当日の夕飯はフランス料理だったのだが、作法がわからず困惑。やっぱりフランスはダメだ。

11/21
最終日。
朝マズメに前日のポイントへ。
前日と同じ場所、同じルアーで釣りをしているのに何故か全く魚からの反応は無し。
北海道の冬場の釣りは通常最も魚の活性が高まる早朝よりも、むしろ日が昇り切り水面が温められた正午前後くらいのタイミングが良いことが多いので、今回もそのパターンだったのかもしれない。
とにかく最終日は思い出の地でパーフェクトノーバイトの丸坊主。
しかし、それもよかろう。
釣りは”釣れないかもしれない”という緊張感があるからこそ面白味があるというものだ。最初から釣れることがわかりきっているなら、やる価値もないだろう。
それに最後にうまくいかなったからこそ、再訪する理由ができたとも思える。
当日は網走市から津別を経由し、阿寒湖で観光。

ボート乗り場に「釣り可能」というような張り紙がしてあったので妻に「やってみる?」と提案してみたが、にべもなく却下される。

夕方に釧路空港に到着し。帰路に就く。
釣りにしても観光旅行としても良い旅だった。おそらくだが妻にも満足してもらえただろう。
来年は友人とニジマスを狙って北海道に行く約束をしているので、その時再び面白い釣りができることを期待している。
今回の旅は妻の観光が主目的なので、釣りが出来るかどうかはわからないが、隙があれば竿を出そうと企んでトラウトタックルを大中小の3セット持参した。

11/18
昼前に千歳空港着。
レンタカーを借りて白老町に新しく設立されたアイヌの民族博物館へ。

どうやら妻は「ゴールデンカムイ」という漫画に影響されたようだ。家にはアイヌにまつわる書物が2点ほど読まれることなく放置されている。
ここではアイヌの民族舞踊の見学や木弓の試射などを体験した。
苫小牧泊。
11/19
妻は「根室はなまる」という回転寿司を本店(?)で食べたいらしく、当日の宿は根室とのこと。
そういうわけで苫小牧から根室へ大移動。
日高山脈では降雪あり。危ない。
根室へは予想外に早く到着したので、根室半島の付け根あたりを風蓮湖へ流入する別当賀川で30分ほど竿を出す。

少し調べてみたところ別当賀川は近くを流れる有名河川である風蓮川と同様の魚類相であるらしく、今回釣りをした下流域でのルアーターゲットはアメマスおよびイトウ。
11月の道東河川では河川規模にかかわらず中流から下流にかけて大物のアメマスが狙えるので少し期待していたのだが、別当賀川は予想していたより規模の小さい川で水深浅く流速も遅いため、釣りをして楽しい川ではなかった。
そんなわけで別当賀川での釣りは30分ほどで終了。

納沙布岬を観光し、根室の市街地に泊。

11/20
根室から当日の投宿地である斜里へ向かう。

道すがら風蓮川、春別川、西別川、当幌川等々釣りで有名な川を横目にみて素通りしていく。垂涎の好ポイントをやり過ごすのは身を切られるようにつらい。風蓮川の最下流にかけられた橋の付近では10台近くの車が駐車されていた。今がまさに湿原アメマスとイトウ釣りの最盛期であることをまざまざと見せつけられる。

釣りが出来ないフラストレーションは魚を鑑賞することではらそうということで、道中にある「標津サーモン科学館」に立ち寄る。

この標津サーモン科学館は学生時代に同級生が近くを流れる忠類川にサケの産卵床調査を行った際にお世話になっており、そのとき私も何度か調査の手伝いに訪れたことのある懐かしい場所だ。

入館してすぐ目につく館長挨拶文の署名に懐かしい名前をみた。学生時代のサケ産卵床調査の指導あたってくれていたIさんという方が館長になっていたのだ。15年前である私の学生時代にはまだたしか学芸員だったと記憶しているから、この間に出世したことになる。
出世といえばもう一人私が大学生時代に所属していた研究室の講師だった人もここ最近で大きく出世を遂げていた。
この講師だった方は15年前で30を少し過ぎたくらい年齢だったが、あれよあれよという間に教授になり、数年前には副学長になっていた。
この方はただ「勉強が出来る」という一般的に理解されるものとはまた違うベクトルの頭の良さがあり(もちろん勉強もできたであろうが)、公平中立な視点から論理的かつ科学的思考で物事を考えるように繰り返し教示してくださった。
才覚ある若者というのは謙虚に振る舞っていても必ず傲慢さがどこかに透けて見えるものだが、この講師だった方はその優秀さからは考えられないほど自然体で、鋭く才気の走った感じがなく、私のような劣等生にも分け隔てなく接してくれていた。
この方は海外の研究機関から僻地の馬鹿大学の講師になったという経緯があるので、私の邪推だが、この間に何か挫折を味わっったのかもしれない。困難や挫折は人を珠にするものだ。
この方は私がこれまで出会った人物のなかで最も尊敬出来る人物だが、そんな人を若くして適切に出世させた大学の懐の広さは関心したものだ。
私が北海道から離れて15年という歳月が過ぎた。
北海道の雄大な自然は依然として変わらないが、人とその営みは少しずつ変化している。いや、変わらざるを得ない。
ふと、自分は当時から何か変わったか自問してみた。
何も変わっていない。
今でも変わらず魚を追うことを主眼においた生活を続けている。むしろ魚を仕留めようという執念は以前より確実に強くなっている。
出世を遂げた上記の2名と遊び呆けて何ら社会に益することない自分を対比させると恥じ入るばかりだ。
だが、魚を追うことの無い生活もまた私には考えられない。それは人生の価値の喪失を意味するからだ。
変わったものと変わらないもの。
心の故郷であるこの道東の地でこのことに思考を巡らせていると寂寞の念を禁じ得なかった。
斜里に到着。廃校を利用した宿に宿泊する。どうやら私達の泊まる部屋は教員宿舎跡地のようだ。値段のわりに広くて快適である。

チェックイン後、妻が昼寝をするというので、短時間勝負で斜里川へと釣りに向かう。
斜里川では上流でオショロコマの数釣りを楽しめるが今回はアメマスの最盛期に訪れているので、イチかバチか大物を狙おうと思い下流域にエントリーした。

斜里川では最上流域と河口でしか釣りをしたことがなかったので下流域は初場所である。魚のいるポイントは全くわからないが、アメマスは中流から下流のどこかで群れとなって身を潜め、越冬の準備をしているはず。だが、やはり夕マズメの30分では魚の居場所は見つけられずボウズで終了。
斜里川は釣果情報を聞くことが少ない川だが、水量、川幅、流速ともに釣りをするにはちょうどよく、再訪してじっくりと狙ってみたいと思える良い川だった。
遠征の釣りではどうしても釣果の堅い場所に足を向けがちだが、今後は斜里川のような未知の川をじっくり攻めるような冒険的釣りも進めて行きたい。海と川を何度も行き来するアメマスは海で大きく成長するので、海から上る魚を隔てる堰がなければどんなに小さい川でも大物のチャンスがある。未知の川で大アメマスを釣りあげることできたら、きっと思い出深い釣行になるはずだ。
また一つ楽しみが増えた。
11/21
斜里から山間部の屈斜路湖を周り網走へと向かう。


↑霧のせいで素晴らしい景観はお預け。
道中どうしても立ち寄りたい川釣りポイントがあったので妻に1時間経過もしくは一匹魚が釣れたら終了という条件で釣りをさせてもらった。
このポイントは網走在住時に友人が見つけた場所で、ちょうど今回と同じ11月に初めて訪れた時に大アメマスが連発して以降、家から近いという理由から平日でも時間があれば通っていたといういわば当時の”ホームポイント”としていた思い出深い場所である。
ちなみにその友人は今思えばなかなか先見の明のある男で当時は全く注目されていなかった網走のウミアメ(海で釣るアメマス)も積極的に狙っていて、私が同行している時に大物を仕留めている。何の情報も無い中で自分の読みと勘だけで魚を仕留める彼の姿勢は刺激となったものだ。
私も彼のマネをして(当時は彼にくっついてマネばかりしていた)しばらくウミアメ狙いで通ってみたが2回バラしがあっただけで魚の顔は拝めなかった。
妻を車内に残し川まで下りていく。
川幅は狭く、キャストに力は不要。軽く投げて対岸のボサ下を打っていく。河川内には落葉が多く流下しており、たびたびルアーに引っ掛かってきて鬱陶しい。
一見すると川の様子は15年も経過しているので流石に少し変わっていたが、カーブの位置や深みの場所など、水面から下については想像の域をでないがさほど変わっていなさそう。
さて、当時と同じように障害物の下や深みに大アメマスは潜んでいるだろうか?
このポイントでは常にウェーディングしている状態となるのでウェーダー越しに冷涼な川の水を感じる。
往時、ここでは厳冬期でも釣りをしていたのだが、当時高価なネオプレーンウェーダーなど持っておらず、安物のナイロンウェーダーで立ち込んでいたので三十分ごとに車に戻り、車内で暖をとっていたものだ。体が寒冷地に適応していない今となっては北海道の厳冬期に釣りをすること自体が絶対不可能だろう。
今回の使用ルアーは”D-コンタクト72”というヘビーシンキングミノー。
このルアーはNZ釣行時に友人が使用しており、通常のシンキングミノーを使用して魚のチェイス止まりで終わっている私を尻目に、ヒットを連発させていた恐るべき”釣獲力”を誇るルアーである。
通常私が行っている「ミノーイングで高活性の魚を足を使って抜いていく」というスタイルなら川の規模から考えて7~9cmのミディアムダイブミノーもしくはノーマルタイプのシンキングミノーで十分なのだが、今回の釣りは時間も場所もかなり制約があるので、ある程度低活性の魚も食わせることを念頭においてこのルアーをチョイスした。
釣り開始から30分ほど経過して対岸の深みを狙っているとググっと竿が引き込まれた。合わせを入れると、竿に重みが加わる。同時に対岸の水面では銀色で細長いシルエットの魚がグネグネと体をくねらせ、のたうち回っている。
アメマスだ!しかもなかなか良型。
流れがなかなか強いのでラインを回収していくと魚はこちらの岸に向かいつつも同時に徐々に下流へ行ってしまう。
私もウェーディングしながら下流へ向かい魚との距離を詰め、魚を休める水辺がないので土手に引きずり上げてランディング。
魚は50cmを少し切るくらいのサイズのアメマスだった。

やはりここには昔と変わらず魚がいてくれた。
この川とそこに生息しているアメマスを釣ることは私のルアーフィッシングライフの原点ともいえるので、特別な思いがある。

たまたま前日にこの15年で変わったものと変わらないものについて考えていたのだが、変わらないからこそ良いものも、また存在するであろう。
人の世、社会というのは常に時間経過とともに変貌していくものだが、この自然と川辺に潜むアメマスはいつまでも変わらずにいてほしい。釣りあげたアメマスをみてそう感じた。
さて、釣りである。
妻には一匹釣ったら戻ると言ったが、実際に一匹つれたら「まだ釣れるだろう」という欲が出てくる。
時間的に刻限の内にあるし、すこし上流にはこのポイントの核心部があるのでスケベ心を出して釣りを継続してみた。
そして、その核心部に到着。
ここは私だけの釣果でもアメマスのランカーサイズといえる60cmオーバーが4~5匹釣れている屈指の大物ポイントである。
当時より川幅が少し広がり、全体的に水深が浅くなっているかもしれないが、まだまだ一見して好ポイントだということが川の様子からありありとわかる。
結果はすぐに出た。
ポイントに到着後、5投ほどでヒット。
ディープウェーディングしているので魚との距離が近く、水面直下でグネグネともがくアメマスの様子にも迫力がある。
アメマスは引きの強い魚ではないので、竿を溜めているだけで下流方向を円弧の軌道を描きこちらの岸へ寄ってくる。後はこちらがラインを回収しながら下流へと向かってやれば簡単にランディングできる。
こちら側の背後は倒木がびっしりと詰まっており、ランディングに適した場所がないのでかなり下流まで魚を誘導してやる。
パッと見た感じ先ほどのアメマスと同等か少し大きいくらいか。
もう二匹目だし魚を水から出さずにリリースしようと考えていたが
「せっかくだから一応測ってみるか?」
と、メジャーをあててみると予想を裏切る良型で62cmもあった。
魚が60cmオーバーだとわかると途端に興奮してきて、それまで水に浸けていた魚を陸に引きずり上げて写真撮影しまくる。

陸にあげてしまうと魚にあたえるダメージが大きくなってしまうが、万一水に浸けたままでろくに写真を撮らないうちに魚に逃げられたら目も当てられない。今回は自分の欲望優先だ。

くだらいこだわりかもしれないが、同じアメマスでも59cmと60cmの間には大きな隔たりがある。それはスズキの79cmと80cmにおいても然り。

どこかに基準を設けないと大物かそうでないかの判断が曖昧になってしまい面白さが半減してしまう。メートル法を定め、長さの単位を統一したという点においては革命時のフランスは偉大である。
それにしても、これが大物釣りの場合なら魚の全長は尾ビレの折り具合で簡単に5~10cmくらい変わる(大概大きいほうで申告する笑)ので長さは全く軽視され、重量が重要になってくるのだから、釣人の心理というのは全く不思議なものだ。
まだ魚が出そうだったが、ケータイをチェックすると、とうに刻限は過ぎており妻からは早く戻ってこいという旨のLINEが送られてきている。
名残惜しいが、明日の朝もこのポイントを攻められるので車へと引き返して観光旅行を再開した。

↑網走といえば監獄

↑網走の海といえば帽子岩。網走の地名の由来なんだとか。現在は立ち入ると検挙されるらしい。
網走市内の観光地巡りったのち昔お世話になった人に挨拶に行くなどし、網走湖畔の宿に宿泊。当日の夕飯はフランス料理だったのだが、作法がわからず困惑。やっぱりフランスはダメだ。

11/21
最終日。
朝マズメに前日のポイントへ。
前日と同じ場所、同じルアーで釣りをしているのに何故か全く魚からの反応は無し。
北海道の冬場の釣りは通常最も魚の活性が高まる早朝よりも、むしろ日が昇り切り水面が温められた正午前後くらいのタイミングが良いことが多いので、今回もそのパターンだったのかもしれない。
とにかく最終日は思い出の地でパーフェクトノーバイトの丸坊主。
しかし、それもよかろう。
釣りは”釣れないかもしれない”という緊張感があるからこそ面白味があるというものだ。最初から釣れることがわかりきっているなら、やる価値もないだろう。
それに最後にうまくいかなったからこそ、再訪する理由ができたとも思える。
当日は網走市から津別を経由し、阿寒湖で観光。

ボート乗り場に「釣り可能」というような張り紙がしてあったので妻に「やってみる?」と提案してみたが、にべもなく却下される。

夕方に釧路空港に到着し。帰路に就く。
釣りにしても観光旅行としても良い旅だった。おそらくだが妻にも満足してもらえただろう。
来年は友人とニジマスを狙って北海道に行く約束をしているので、その時再び面白い釣りができることを期待している。
- 2022年12月3日
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