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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

釣りを比べない 競わない 楽しみ方

釣りの楽しみ方は多種多様である。

純粋に釣る楽しみ。

遊びとして釣る楽しみ。

食味として釣る楽しみ。

色々とある。

フライフィッシング・ルアーフィッシングはゲームフィッシングとして、日本に紹介された。ゲームという言葉の語意は広いが、遊びという要素が強い。

遊びほどその中に本気の要素を入れることで面白くなるものは無く。

真面目や本気は遊びの要素を入れることで面白くなるものである。


日本には、そして世界には様々なゲームフィッシュがいて、それぞれの釣りに醍醐味があるわけで、そもそも釣りにおいて、何より勝る何々は無い。

どんな魚も簡単に釣る事も出来れば何をどうやっても釣れない時もある。
釣り人にとって、苦労の末に達成感を味わう事は快楽である。

それでは、その快楽欲しさに釣りをしているのか?問われるとしたらそれも少しニュアンスが違う。

釣りで必要なのは想定外の出来事、意外性であり、予想もしなかった状況の中で唯一の魚を見つける為の出口を見つけた時に感じる、あの光の様な感覚も楽しみの一つである。

結局は、釣れたか?釣れなかったのか?釣られたのか?釣らなかったのか?色々とあるけれど、釣り人は魚と出逢えた方が幸せであることに違いは無い。

それでも食料としての魚でなくなってしまったら、結果としての釣果がどうだったのかはあまり意味を持たないのかもしれない。

きっと出逢う事に意味がある。

釣れても釣れなくても、釣りたいと思える魚に出逢える事こそが大きな意味を持つのではないだろうか?

それは小さなタナゴかもしれないし、大きなカジキマグロかもしれないが、狙うは、憧れの魚であるべき。

そしてゲームフィッシングであるのならば、憧れの魚をキャッチしてリリースする事で完結するのであるが、釣れたとしても、釣れなかったとしても、結果がどうであれ、それは遊びであることを忘れてはいけない。

○○さんよりも、○○さんのほうが上手い。

というのもよくある話であるが、そこに上手い下手の基準は無くて。
偶然、釣れた魚が大きかったか小さかったかの話である。

釣れなかったけど楽しかった。

小さかったけど嬉しかった。

バラして悔しかったけど負け方が気持ち良かった。

本当は、それこそが最高の釣りである。

人に何かを示すとき、誇るとき、大きさや数という数字はわかり易い指標であるが、楽しんだ内容は、釣りとしての質は数字には表す事ができない。それを表現する世界があるとしたら、釣りログくらいかもしれない。

その釣りの楽しみを分ち合える仲間がいるとしたら、本当に最高であると思えるもの。

釣り人は出逢うべき釣り人に出逢う事を望むべきである。

もし、今、近くにそんな存在がいるのであれば、その一瞬を大事に生きて行くべきなのかもしれない。


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