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上宮則幸

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川へ行こう

試したい事が沢山あって、釣具屋でルアーを仕入れて川に来た。

下げの効いてる川で流れが止まるまでの30分ほどそれを試して、なんかまだ違うと思ったけど今日はこれくらいに止めといて、レジャーシートを川縁の草むらに敷いて寝転んでもの思いにふけってる。
土の地面と草のクッションが心地いい。
空気が少し冷たくなってきた。

秋がくる。

ソル友で釣具屋のスタッフさんとさっき話した事をぼんやり思いうかべてる。

この釣りをやればやるほど、理屈で説明がつかない事の多さに時に戸惑うって話だ。

例えば、釣り竿を持って堤防から魚がいないか覗いてみると際の小魚がいっせいに散ったり海藻に隠れるのに、昼休みにお弁当持って堤防にやって来た時には小魚は慌てる素振りも見せなかったりとか、何でかいな?と思うような不思議が多い。

おれの中では、こないだ書いた爺の事ももちろん端的な例でいまだに謎が多い。

「護岸際を遡上しているススキ(鱸)を見てる」とかまずありえない。
30メートルも離れた場所から護岸際の水面はまず、視界に入らない。
護岸の陰に隠れるからだ。
嘘をついているかと言えば決してそうではなく、実際に目の前で「今釣る」とまで言って易々と巨大鱸を釣り上げる。
まるでススキの何かを感じてたみたいに・・・

「気」の存在を強く感じる。

スタッフさんもそれに気づいて自身の課題にしているようだ。
人間の「気」はどうやらあるらしい。
しかし魚の「気」ってあるのだろうか?
あるんだろうな。

またあの爺に会って話がしたい。
10年前にはわからんかったことが、その存在すら心にも思い浮かばんかったことを語ってみたい。
爺はまたあの落ち窪んだ目で笑いもせずにばかにしたように「知らんとか」っていうにちがいない。

そういえば爺は当時「もう今は釣いはせん」と言ってた。
「いれば釣れるし、いるかいないかもはっきりわかる」なら、なぜ「釣いはせん」のか?
まるで竿を持たない釣りをしてる言ってるみたいな口ぶりだったよな・・・

今の自分には竿を持ってラインで鱸と繋がっているときが、唯一鱸の意思が伝わる時だ。
やがて自分も竿を持たずに鱸と気を通わすことがあるのだろうか?
その日が来るまではおれは川に浸かって竿を振ろう。
いっぱい振ろう。

秋がくる。
また鱸と幾多の意志のやりとりをする。

よし!
川へ行いこう。













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