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上宮則幸

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おじいちゃん

  • ジャンル:日記/一般
少しの間、地元の古びた小さな工場にバイトで世話になったことがある。
大学浪人の時と、大学生になってからの長期休みで帰省した時、就職浪人をしていた時。
浪人多いな!と、言う突っ込みが入りそうだが、たびたび割と長期間お世話になった。

おれはその職場を大変気に入ってた。
経営者も同僚も良い人達ばかりだったし、稼ぎもそれなりに良かったのもあるが、何より仕事が楽しかったから。
楽しく仕事できたのは、あのおじいちゃんのおかげだ。



そこに70歳を過ぎた超ベテランの職人さんがいた。
とても小柄で凄く陽気なそのおじいちゃんは身のこなしから表情から服装まで、几帳面を絵に描いたような人だった。
作業服が凄く汚れる職場にも関わらず、染み一つないアイロンの効いた作業着をいつも身に着けていた。
メガネもいつもピカピカ。
「タバコ吸う暇があったら、わたしはメガネ拭きます」って言ってた。
素人目にも立派な職人さんに見えるた。

会社の忘年会に顔を出した時に私服を見たんだが、わざと着崩してはいるが良く似合う高そうなテーラードのジャケットを着て、襟ともは綺麗なラピスラズリのスカーフを巻いて、ちょっと田舎の古びた工場で働く高齢者には見えず、なんだか凄く立派な人に見えた。

誰でも知ってる大きな会社を定年まで勤めあげ、老後の生活は奥さんの地元の鹿児島で余生を送りたいと関西から移住してきたそうだが、そのおじいちゃんが大変な教え上手で、おれにどんどん仕事を覚えさせてくれた。

おじいちゃんは要領のいい手順や材料のちょっとした荒隠しとか、その工場にはない最先端の加工機械のことまで、ありとあらゆることに通じていたが、一番為になったのは仕事に対する姿勢だ。

ぺーぺーの素人でも大ベテランでも、業界誌をちゃんと読めと言うのだ。
職場で継承された伝統的な職人仕事はもちろん大切だけど、それにとらわれていると時代遅れな潰しの効かない職人になってしまうから、最新のテクノロジーを知っていないといけないと教えられた。
(それはDXがどうとか言う現在はなおさら痛感しているが)

就職浪人で工場に戻った時には、「かんちゃんはバイトって言ってもベテランやしもっと頑張ってもらわんとイカンから、わたしが親方に掛け合ってみますわ」と、日当の賃上げ交渉までしてくた。
「いいですか、かんちゃん!職人は仕事に見合う給料を会社に求めんと、腕も上がりませんからね」と言ったその言葉が、今も印象に残ってる。
その言葉をおれなりに変換して、稼ぎに見合う以上の仕事を追求しろ!と理解した。
それ以来、今もそれが信条だ。


それから15年ばかり経った頃、おれは客商売をやってた。
業界誌を取り寄せ、最新の現場オペレーションに触れて、心理学を応用した導線を学び、移ろう業態の未来を感じながら今の仕事をしていたのは、業種は違えどおじいちゃんからの教えがまだ心にあったからだ。

偶然、その店に工場時代に同僚だった年の近い男が客として現れた。
思い出話しをしているうちに、実は彼も魚釣りが趣味だと知り、懇意になった。

それからすぐに、その彼から「おじいちゃんが昨日亡くなった」と、報を受け一緒に通夜に行くことになった。
二人とも随分おじいちゃんには世話になった。
長く会わないが、義理がある。

道中、彼と同じ車の中でそのおじいちゃんとの思い出を語ったが、彼からもおじいちゃんが大変な好人物だったと言うエピソードを沢山聞いた。
だらしないくせに威張り散らしていた親方の弟を、おじいちゃんが叱り着けたなんて勇ましい話しも聞けた。

面白いのは、おじいちゃんがあの工場で高齢なのに働いていたのは、沢山いるお子さんやお孫さん達に小遣いを与えるためだと冗談混じりに言ってたらしい
そんなに孫がいるのか?
娘さんが七人いるのは当時から知っていた。
その娘さん達もみな子沢山だとかで、お孫さんも何十人も居るんだとか。


果たして斎場には…あまりに沢山の弔問客が。
祭壇は溢れんばかりのお花で、実際そこに収まりきらずに会場のぐるりを飾っている。
変ないい方だが、驚くほどに賑やかだ。

もちろんおれ達には誰が誰だかわかりはしないんだが、ご家族ご親戚と思われる人達が、生前おじいちゃんが言っていた通りとても大勢いらっしゃった。

豪勢な式なのだ。
なんだかスゲーな!と二人で目配せしながら席について茶をもらった。

そこで、同じテーブルの高齢の男性からおじいちゃんとの関係を尋ねられたが、その方との会話で初めておじいちゃんの素性を知った。

なんとなくそう感じていたが、おじいちゃんはものすごく立派な人だった。
長く勤めた会社での地位や業績はもちろんだ。
でもおじいちゃんは名の通った慈善事業を主幹されていたと言うのだ。
そして、僧籍を持っている人でもあったから、周りの弔問客達はおじいちゃんのことを『先生』と呼んでいた。

世の中には大した実力もないのに虚勢を張る輩が多い。
よせばいいものを「おれは出来る!」みたいに誰も関心しないのに威張っている頓珍漢が目立つ。

でも関わった人達みんな「立派な人、偉い人」って言うのに全然威張らない、おじいちゃんみたいな人が1億倍カッコいい。
亡くなった事をみんなが惜しんで、生前に感謝をしているのは彼がいかに尊い人であったかが良く伺える。

おれみたいな若造とも一緒になって鉄屑とアブラにまみれて、楽しそうに仕事してくれて、おれの人生を左右する位大切な事を教えてくれた。

おれの人生の手本で、一生忘れられない恩人だ。

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