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関根崇暁

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フライフィッシングと僕。 その1

最近フィーモでフライ関係の釣行ログが上がるたびに嬉しくなります。

さて、道具とかキャスティングが難しそう?なフライフィッシング。

やりたけど。。どうやれば?とか 始めたけどどうも上手く出来ない?

そんなお悩みがあると思います。

フライは釣りをするまでの準備、プロセスを楽しむ部分が大きく、自分のアイデアで釣りを考える部分が沢山あります。

そんなわけで、今回は僕のフライ経験談を、少しお話しましょう。




僕がフライロッドを初めて手にしたのは、8歳の時。

これは完全に叔父の影響です、叔父は当時栃木県、日光にある中禅寺湖に通うフライマン。

子供には相当重い8番の湖用のタックルを渡されて、キャスティング練習。

ロッドの角度を10時から初めて、2時で止めて、10時で止めて。

何十回も練習して、言われた通りに出来たとき、スルスルーっとラインが伸びるあの感覚が忘れられない。

そしてタイイング、バイスに挟んだフライフックに、グデブロッドのスレッドを巻いて行き、次々に鳥の羽や、動物の毛やキラキラのティンセルを巻きつけて行きます。子供ながらに食い入る様に見とれていた。


それでも、子供の僕がフライの道具を買う事などは無理。


しばらくは、叔父にワガママを言っては近所の荒川でフライ釣りをします、キャスティングが上手く出来ないときはこうやれ、とウェットフライを川の上流からラインごと流して、回収、流しては回収。

そんな事をしていた記憶があるが、不思議と魚が釣れた事はありません。

初めて覚えたフライの名前は「ロイヤルコーチマン」これぞフライというくらい美しいフライだった。

僕が見様見真似で巻くと「ろいぁるこぉつまん」っていうブッさいくなフライになった。

その後、僕の釣はルアー釣りをメインに、何時かは、かっちょいいフライマンにという憧れだけを胸に秘めていたのである。

そして時が流れて、高校生の夏。

ブラックバスに夢中だった僕等だっだけど、ブラックバスのフライフィッシングを友人が始めて、僕もフライやろう!っとこいうことで、工場の手伝いバイトで貯めたお金を元に、ウエダのグラスロッド、FWF-704にコータックのフライリール、バイスにフックにマティリアルに色々揃えて2~3万円くらいだっただろうか?

それで、ブラックバスを沢山、小さいのを沢山、釣って過ごした。

秋になると管理釣り場、上尾の水上公園とか、寄居のYGLとか、加賀FAとか毎週行ってた、バスのシーズンが終わってからでも、十分釣ができるから、楽しくて楽しくて。

何が楽しいか?って自分の巻いたフライで魚が釣れるってこと。

ところが、キャスティングだけは一向に上達しない我流のまま。

すぐにリーダーもぐちゃぐちゃ、フライも何処かに引っ掛けて失くしたままキャストして、釣れないなあ?と思ってみるとフライがなかったり、針が折れてたり。

ここから急に面倒でつまらなくなって一旦は止めたくなったのだけど。

18歳になって免許を取ると、行動範囲が広がって、清流のウグイやオイカワを始めて、それがまた楽しくて、のめり込んでいくことに。

そして、何時かはヤマメが釣りたい、そう思うようになった。

あとから散々、ルアーで渓流魚を釣るのだけど、最初はフライでないと釣れないと思っていたし、フライで釣らないと意味が無いと思っていた。

初めてヤマメを釣ったのは19歳の時、群馬県の赤谷川だった。

あれから20年過ぎたけど、あの感動は忘れられない。

つづく。


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