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ブログ15周年目

※長くなります。


最初に書いたブログの内容は何だったか?
どんな事を書いていたのか?
始めたきっかけは何だったのか?
そんな事は全く覚えていなくて、とても勿体ないと今は思う。
(とてもじゃないが恥ずかしくてきっと読み返す気にはならないだろう)
当時流行っていたmixiで僕は魚釣りの最初のブログを書いたことは記憶にある。
当時はYouTubeなどは今のような流行り物では無く、誰もがブログを書いたからといってなかなか注目される世界でもなく、僕の書いたブログのアクセス数なんて笑っちゃう程だ。
いろんなメソッドや情報、技、テクニックの"ヒント"は、雑誌や有名アングラーのブログ(当時の上州屋net?だったかな?)
を読んでは大きく頷き、そのまま現場と照らし合わせてバカ正直に実践し、自分なりに考えて、オリジナルと称し少しずつテクニックを加えていった。
鱸を夢中になって追いかけた日常の中に自然と溶け込んできたブログはいつしか、文字を起す事を楽しんでいたように思う。
僕のブログに目を通し、mixiにもコメントを下さる方々はいた。
本当に有り難かったし、嬉しかった。
自分の思いをもっと伝えたい!
そんな流れが少しずつ本流を押してきていて"ブログを書く"っという人は少しずつ増えてきた時代で、動画を自分なりに編集して投稿する強者も何人かいた。
僕はと言えば、当時攻めていた河川の流れを、事細かく読んで釣りに向かっていたのを覚えている。
小さい川ながらも本流筋から枝分かれした運河が2本迂回しており、本流筋の流れのパワーによってどちらの流れが引っ張られるのか?
ヨレができる場所なんて決まっているが、そこにいつ着くのかは流れ次第だったし、右迂回の支流の流れが効いた後は、とある薄暗い橋下には必ず鱸が付き、面白いようにそれを読んでみせた。
果てしない上流域も開拓したし、普段付かない壁際に鱸が多く付いた時は仲間に無理やり電話したほどだ。笑
釣行を共にすれば、完璧なタイミングに仲間を呼び、幾度とヒットに持ち込ませた事を記憶している。


■みなとみらいの鱸■
 
ラパラCD7
浸水ギリギリのジャクソン、アスリート7S
タックルベリー産、謎のシンキングミノー
最強、ビーフリーズ
タックルハウス、TKLM
バスディ、レンジバイブ
マリア、マールアミーゴ

ペットボトル保冷用の袋を腰に、その他数個のルアーを忍ばせて!ネオンが水辺に溢れる黒い海の鱸を追った青春期。
流れ、地合い等考えつく知恵は絞ったものの、結局はとにかく歩き回るのが僕の術だった。
当時気にしたと言えば、潮位と多少の流れと風。それとベイトの種類と量であろうか?
気にした所で何をどうすれば良いのかわかっておらず、パタパタっと釣れる"時間と潮位"で回遊する鱸のコースを予想したように思う。
20時からは夏の鱸は回遊する時間だったかな?そんな記憶がある。
とにかく鱸と出会いたかった。
鱸のバイトを手に感じたくて、がむしゃらだった。
落とし込みヘチ釣りでは幾度と釣ってきた鱸と言う魚であったが、ルアーフィッシング独特の手にくる"あの吸い込みバイト"
気がついた時にはあのバイトの虜で、同じ楽しさを知る人々や周りの釣りがとても気になって行った。
何で釣ったのか?
どーやって読んだのか?
何故この場所を選んだのか?
その表現の一つとして"ブログ"と言う独特の世界があり、その人の文才によって受け方は少し変わった物になるし、ルアーで鱸を釣るっと言うだまし合いの行為だからこそ、今、目の前にいる魚をどう食わす?
だけの思考だけでは成り立たない魚釣りであって、その奥深さを知り、その面白さを知った日をいつも懐かしく思う。

■当時読んだブログで役に立った技■

①下げ潮は横の潮目を打て※
②上げ潮は縦の潮目を打て※
③明暗が効くのは朝※
④縦、横、線、点の釣りを意識しろ
⑤ラインメンディング
⑥ストップ&ゴー
⑦トップウォーターはゆっくり動かせ※
⑧レンジ※

※印が付いた釣りは実際に体験する事ができ、為になった。

今となっては当たり前の話かもしれないが、それを実体験して実践出来た事でルアーフィッシングの面白さが僕は大きく広がった。
特にこの潮目と明暗について。
潮目については、下げ潮と上げ潮で釣りを変えるきっかけとなった。
何も考えず流れを感じるよりずっと有意義で、みなとみらいの中でも上げの潮目、下げの潮目はできる場所が変わり、そこで回遊待ちをする事によって、少しずつタイミングが読めてきて何故このタイミングに回遊してくるのか?
斜めに伸びるタイミングの方が長く潮目を引けるのではないか?
もっと流れが太くなれば、もっと大きなスクールが回ってくるのではないか?
この潮目がどこまで伸びたら、ベイトは回ってくるのか?または、浮いてくるのか?
浮く前に鱸は食うのか?
見えてないが下にいるのか?
潮汐の大・小でどう変化がでるのか?

何もわからず余計な事を考えていた今までとは違って、明らかに鱸に近づいている思考になっていると自分でも思う。
ブログから拾ったヒントで、鱸に大きく近づいていると実感した賜だ。
そして、明暗。
朝マズメの明暗ゲームだ。
朝方、鰯につく鱸が回遊するパターンを掴んでいた夜明けの事。
当時、横浜観覧車下の岸壁にはうっすら明暗ができ、この足元をテクトロやミノー、バイブで幾度と攻めても夜に釣れた試しが無かった。

朝マズメの地合い前。
空がうっすら明るくなる直前に、ラパラXラップ9F(だったかな?)
岸際にチョンっと軽く飛ばしてステイ。
完全に浮き上がってからゆっくり巻いてくると、2本の鱸が同時に飛び上がった。
僕は同じ際で6本の鱸をキャッチ。
ヒットは余裕のつ抜けである。
Xラップ、B-太、CD7、で同じ際を行ったり、来たりし、アクションとスピードを変えて行く事で何本も鱸が飛び上がった時、なかなか食わないと思っていた鱸もしっかりパターンとしてハメて、少しずつ攻め方を変えていけばこんなに反応させられるのか?と感動したのを覚えている。
これは、誰かが見つけたパターンであり、習性であり、この技のひとつを読み物として僕の目に入ったからたどり着いた釣り。
もしかしたら、いつまでも気づかない釣りだったのかもしれない。


■アクセス数とフィーモ■

フィーモ立ち上がりからブログを書かせて頂いているが、今ように定期的では無く、当時は月に1記事書くかどうか。
内容も薄いし、昔のブログはいくつも消してしまっている。恥ずかしくて。笑

何年間か書かない時期もあったし、またちゃんと書いて、続けてみようと行き当たりばったりであっても、フィーモが無くならず、運営を続けてる事にとても感謝している。
僕のような独り善がりのブログにも、多い時には1日に1000アクセスを超す事もあるし、800を超えるアクセスが何週間も続く事もあった。
知らぬ間に僕のログがTwitterに上がり仲間から連絡をもらった事もあったし、運営側から注目を広げてくれるのは正直嬉しい事である。
フィーモでなければここまでアクセスは伸びて無いのかな?とも思うし、他のサイトでブログ書くことは可能だが、今のところそのつもりも無いので、眈々と自分の思いを書き続けようと考えている。
僕のブログを読み物として誰かが大きく頷き、面白いと思い、それを実践し、誰かの成長のきっかけとなったらもしかしたら成功なのかもしれないし、そんな嬉しい出来事が起こったならば是非連絡をください。笑
書くことだけに意味があるならそんなものは関係無いとも思うし、まだまだこれから続けていけば良いだけの話。
歳を重ねるほどブログに向き合う"時間"が大人は無くなってしまう事は避けたくて、
60歳、70歳、80歳になっても鱸に対する愛を語り、気がついた自然を語り、四季を語ってるようで天気を語り、鱸を語るようで女を連想させ、人間の欲望とちょっとのスケベ心を上手く利用した魚釣りをずっと楽しむ姿勢を語り続けようと思う。
少しずつ確立しつつある僕の釣りはまだまだあって、そこの答え合わせとこの釣りを完成さたいと思っている。 

#桜の開花600℃の法則と鱸
#梅雨の鱸雨量○○○mlとデイ
#秋の鱸と海と川
#パンツの妄想(色の想像と妄想のドリフト)

など笑
まだ書ききれないのは"確立しつつある釣り"であるからだ。
もし確立できれば書き応えはあるような気がして、今はそこに向かって一生懸命生きてる道筋の途中である。
これからも、フィーモへの応援と感謝の気持ちを込めて、15周年目のブログを書きました。
まだ僕の放つ言葉は一つ一つが軽い。
少しずつ、少しずつ、その重量を増していけるよう精進である。

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