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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

「一夜一本」釣りのスタンス。

今日、福岡県筑後地方に小雪が舞った。

少し寒波が緩むとまた次の寒波、春遠からずとはいえ1月はやはり冬だ。

今日はPCに向かっている。

僕は、このfimoの中でアドバンスなんていう立派な肩書きを頂いているのに、滅多に釣に行けない人間である。

どうして僕は釣りに行けなくなったのだろうか?
答えはわかっている、それを選んだのである。


これは大昔話だが、毎朝、毎晩、毎朝、晩、朝、晩、と、1週間は7日しか無いのに、10回以上釣行していた時代があった。

夕方は利根本流でサクラマス、そのまま夜は東京湾で夜明けまで、帰りに朝霞ガーデンでフライ、そのまま秩父の渓流でルアー、帰りは眠くて眠くて、何処かの山道で朝まで寝ている・・・そんな日々だった。愛車ランクルという名の動くタックルボックスに、釣具と寝袋とキャンプ道具を積み込み、何処でも生活出来るようにしていた。

自らを「釣り乞食」と呼び、無精ひげが伸び、風呂にも入らず釣り、釣り、釣り。仲間が飯を差し入れしてくれり、キャンプ仲間がソーセージをくれたり、煙草とコーヒーを持ってきてくたり。

ある意味、川の住人、そういうプロだった(笑)

自由な時間と自由な人生、無限の孤独。

社会との接点を極力無くして、今、この瞬間の釣りだけを考え、明日を考えずに生きる。

実は独り身であれば何とかなるもので、朝から夜中までのバイト、10日稼ぐと10万そこそこになった。

そして残りの20日は釣り、釣り、釣り、明けても暮れても釣り。
何時しか30歳を迎え、それでも、その道で良いと思っていた。

そんな日々の中で利根川本流に立ち、ふと、通勤ラッシュで渋滞している橋を見上げた。

「あ~ああいう普通の暮らし方もあるよね~」と、雲の上から見上げていた。

僕は今、自由という雲の上にいる、だから下界の暮らしには戻らない。
そういう意識だったっという事。

しかし、逆の人生を想像してみた。

普通の社会人としての30歳ってどんなだろうか?
僕の人生に釣りが無かったらどうなっていたのだろうか?

きっと、サラリーマンで嫁がいて子供がいて、マイホームを買って。
趣味は釣りをちょっとだけ、家族サービスと仕事の両立か・・

それも良いかもしれないな、普通になるか?
親も心配するし、そうすっかな・・(笑)







あれから10年。



 

強制的に仕事に生きると決め、現在に至るのである。


軌道修正は何とか間に合った?という感じではあるが、10年以上、自分勝手に好き放題やってしまったから、釣りや遊び以外の事は全て、もやることなすこと全て、他の人からすれば、10年遅れている。
やっちまった感はあるが、それでも後悔はしていない。

現在はサラリーマンだから会社の都合でしか休暇は無く、有給休暇は子供の行事でと決まっている。

そして病弱な子(2歳)を持つ父親なので、休暇の殆どは大学病院への通院か、入院中の子供の看病で過ごす事が多い。朝早くから釣りに行くなんて事は、年に1回か2回程度、殆どの釣行は深夜、家族が寝静まる時間に静かに家を抜け出し、夜の川へ向かう。

今、僕の釣は趣味である、趣味は余暇を有意義に過ごす為の遊びである。

釣りに行く時間は殆ど無くなった。

それでも、不幸か幸せかと問われれば、幸せだと思っている。
なぜなら、この生き方を自分で決め、自分が選んだのだから。

しかし趣味程度の時間を本気でやれば、誰かがチャンスをくれるという事を知った。
チャンスを掴んでも、活かすも殺すも自分自身である。

社会人は、主体性と協調性とコミュニケーション能力が問われる。
全部嫌いだったけど、釣りに関しての主体性だけはあるかもしれない。
根の部分では、他人の意見は聞かないし、基本的に人の釣果は信用しない。

孤独が好きか嫌いか?と言えば、自ら望まない孤独は無いほうが良い。
本来、釣師は孤独を選ぶものであるけど、完全に孤独のままでは、孤独、自由になる意味を失う。

僕の父は、祖父は、友人達はどうだったのだろうか?

釣りをしない人生に、孤独な男の逃げ場は無い。
酒か?ギャンブルか?夜の街か?

僕の場合は、それが釣りで良かった。

 

そういえば、最近気になることがある。
最近の釣師は魚の扱いが雑すぎないか?

釣れた魚、逃がすなら丁寧に、殺すなら速やかに。
それが僕のモットーである。

釣具屋でよくある写真、釣り人は死んだ大魚を両手に抱え、満面の笑みで写真に写っている。
やったぜ、自慢の大物!ってね。

でも、それは、農家のおじさんが、おらが大根をみてんね?という顔と同じだ、例えは農家のおじさんには悪いけど、悪気は無い。魚が食べ物になっているという意味である。

釣りは魚の命を殺め、傷を付ける行為だ。
綺麗ごとを言っても、それが事実だ。

本来の釣り、そのあるべき姿は、魚を食べる事で間違いなく正しい。
僕らはリリースを推奨する、それも、魚は限りある資源、ある意味正しい。


 

けれど、僕は釣った魚が死んだら、哀しい。


本当に殺める必要があったのかを問う。


魚を殺すのは、好きになれない。


でも、釣りを止める事は出来ない。


無限の矛盾、その自問自答のループを歩きながら、答えを探す事しか出来ない。

釣りは狩猟民族だったころの僕らの遠い記憶。

本能がそうさせるのだから釣りたい欲はどうしようもない。

理性はわかってる、無闇に生き物を殺す事は悪いこと。

すると、食べる分を釣り、その恵みに感謝をして、命を頂き、我が命を繋ぐこと。
笑顔になる釣り人の気持ちはわかるが、その先を知ってほしい。

命を殺める事への責任を果たせと言いたい。

僕の「一夜一本」という言葉。

その意味は、自分の名声の為に、それ以上の命がいるか?という意味である。

全ての釣りブロガーに対する警告でもある。
鱸を、一夜一本釣ることが出来る、貴方は十分名人です。

もう一度言います、お一人様、一本限りです。
今夜の大切な一本を、その出会いを大事に釣ってください。

鱸が好きな人はわかるよね?何年かけてその大きさに育ったのかを。

もちろん、たまに爆釣しても良いです。

年に一度や二度はそういう事もあります、でも、それは貴方の腕がそうさせたのでは無く。
フィールドの懐が深いのです、自然が偉大だったのです。

僕の、僕らの釣りのスタンスはここにあります。
総じてそれを押し付ける気はありません。

釣に魚に愛を。

賛成、共感ではなく、異論、反論でも構いません。

 

皆様の様々な意見を聞かせて下さい、未来のために。

 

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