見える、という興奮について

釣りという営みにおいて、「水中を想像せよ」「見えない世界に思いを馳せよ」と、よく言われる。確かに、魚の気配も地形の変化もすべてが視界の外。想像力と妄想力をフル回転させ、見えぬ敵に挑む、それこそが釣りの醍醐味である、と。
なるほどまったくその通り。

なのだが。

私はあえて声を大にして申し上げたい。
「見えるものが好きだ」

https://youtube.com/shorts/MVMcxIzp-k4?feature=share

もちろん、見えないことのロマンはよくわかっている。だがそのうえで、私はなおも、見える世界のあけすけな魅力に惹かれてやまないのである。

そう、私が愛してやまないのはトップウォーター。
魚が水面を割って襲いかかる、あの瞬間の、心臓が跳ねるような高揚感。
まさに「見える釣り」の象徴であり、エンターテインメントの極みである。

思えば私のトップウォーター愛は、少年期にあったあのブラックバスブームの只中で芽吹いた。
世代的にドンピシャであった私は、ズイールだ、ヘドンだと、アルバイトの賃金を惜しげもなくルアーに費やし、宝石のようなルアーを眺めては悦に浸っていたのである。
当時の私にとって、根掛かりしない釣りという点も、また非常に大切なポイントであった。

そんな過去を経て、今の私は、もはや魚が水面を割るその瞬間を待ち望む日々である。
あの一閃、あの炸裂音。見えない世界から突如として引きずり出される魚の姿は、実に痛快。これこそが、私が釣りをやめられぬ理由の一つなのだ。

ああ、こうして文字にしていたら、いてもたってもいられなくなってきた。
釣りに行きたい。

今週末はどこへ行こうか。川か、エリアか、それとも海か。
いずれにせよ私はまた、見える世界の悦楽に身を任せ、
水面の一閃を待つであろう。


しかし、得意なのはボトムの釣り。
これもまた業なのか。

 

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