投げて巻く https://www.fimosw.com/ 釣果情報・シーバス、メバル、イカ、チヌ、青物、ヒラメ、マゴチ...ソルトアングラー支援サイト、日本最大のWEB釣り大会『凄腕』、釣り動画fimoTVなど(会員登録無料) ja 地球のご機嫌と釣り人の業 https://www.fimosw.com/u/hachiko0723/fxte5or58swstu 2025-05-02T13:03:00+09:00
魚にとっても釣り人にとっても都合がよく、双方が「おっ、今日は悪くないな」と思えるような絶妙なタイミングを見計らって、
スマートにポイントへ入り込み、涼しい顔で釣果をあげてくる。
その様子たるや、もはやアングラーの皮をかぶった漁師である。いっそ漁師の魂が釣竿に宿ったといっても過言ではない。

そこへいくと、私はまったくもって下手くそである。
自然にはそっぽを向かれ、時には癇癪を起こされ、尻尾を巻いて撤退するのが常だ。

とくに若かりし頃など、それはもうひどいものだった。
「釣りたい!」という己の一念のみを頼りに浜へと出向けば、待ち受けていたのはうねり・暴風・小雨・大雨・雷・毒魚の刺突である。
ここに挙げた災厄のどれを取っても、ひとつ間違えば割と真剣に命を落としていた可能性がある。

私は釣りをするときは徹底して一人になりたいタチである。
だから当然、誰も来ないような人気のない場所へ向かう。
そして当然、そこで何かが起きたとしても、誰にも気づかれない。
誰にも、だ。

自然災害×孤独という組み合わせは、なかなかにハードである。
こうなるともう、人間の力では抗えない。
抗えぬのであれば、本来、近寄らないというのが唯一の防衛策である。
君子危うきに近寄らずというやつだ。

ところが、人間というものは、ときおり文明を忘れ、近寄らずに済む脅威へと自ら近寄る事がある。
特に釣り人というものは、文明より先に業(ごう)が前に出てしまう。
「釣り場へ行かねば!釣りたいのだ!今すぐに!」
という、原始人じみた情熱に火がついてしまえば、もはや知性など残っていない。

そんなことを、低気圧真っ只中の浜で、無限に釣れる海藻をより分け、美味い種類なら儲けものともぐもぐ噛みしめながら、ふと考えた。
そして一時間も経たぬうちに竿をたたみ、そそくさと浜を後にした自分を、私は心の底から褒めた。
「よくやった。今日のお前は偉い。よくぞ粘らずすぐに立ち去った」と。

なお、そもそも釣りをしない事が正解なのだが、残念ながらそこまでの境地には至っていない。

自然に翻弄され、苦笑いを浮かべながら帰るのもまた、
釣りのだいご味なのである。]]>
Takuan
かつて釣れた、という物語を増やしたくはないのです https://www.fimosw.com/u/hachiko0723/fxte5or894kf7y 2025-04-17T20:45:00+09:00 そんな回顧録じみたセリフが飛び交う釣り場ほど、私は寂しさを覚える。



なぜか。
なぜならそれは、我々がまいた種によって失われた風景だからである。

たとえば、マナーの悪化で釣り禁止となった堤防。
あるいは、果てしない釣果自慢の末に、すっかり姿を消してしまった魚たち。

これらは神の機嫌ではないし、自然のいたずらでもない。
我々釣り人の、ちょっとした業(ごう)の積み重ねに過ぎない。



まずはマナーについて申そう。
釣り場にゴミを捨てる。
これは、愛してやまない水辺に対する、最大級の裏切りである。
漁港で漁師と揉めたという話も聞くが、それもまた、十中八九は「釣り人」という種族に対する長年の積もり積もったストレスの結果なのだろう。

「いきなり怒鳴られたんです!」という主張もある。
だが私はこう思う。人間関係における「いきなり」などこの世にそう多くは存在しない。
だいたいは、ちまちまと積もった何かがあるのだ。
ほんの少し、相手方の背景に思いを馳せる余裕を持ちたい。

ちなみに私は漁師さんに怒られたことがない。なぜなら礼を尽くすからである。
どんな礼か。いきなり酒でも酌み交わすのか?そうではない。
挨拶だけでも、人間関係という名の海はずいぶんと穏やかになるものだ。

それでも、どうにもこうにも話が通じない、こじれの化身のような方に出くわした場合は?
もう、潔くあきらめて他の釣り場へ旅立てばよい。
日本は広いのだ。こじれや場所に執着するより、魚に執着した方が健康的である。



さて、次は釣りすぎ問題である。
これはもう、自制と理性、あるいはルール。その中での揺れ動きの話だ。

私は陸っぱり派ではあるが、船釣りにも時折浮気する。
中でもバチコンアジング。あれはもう、釣れてしまうのである。

釣れる、釣れてしまう、釣れすぎて怖くなる。
楽しすぎる釣りだ。

実は一時期、束釣り(100匹越え)を狙い通い詰めた事もある。
しかし問いたい。100匹釣って、どうするのか。

冷蔵庫を満杯に? 
冷凍庫をアジで埋め尽くし、ファラオの軍勢よろしく並べて悦に入る?
いや、ご近所に配るのか?それとも魚好きの親戚が自宅の周りに円を描くように住んでいるのか?

もちろん、住んでいない。

もちろん、人には人の事情がある。私の想像力では到底及ばぬ深い背景もあるかもしれない。
しかし、忘れてはならぬのは、釣りもまた、漁であるという事実。



そして漁には、確かな「圧力」がある。

ざっくりと算数をしてみよう。

1人30匹釣ったとして、10人乗りの船なら1便で300匹。
これが年間200日稼働すると……1年で60,000匹のアジが海から消える。

6万匹だ。これはもう、笑えない。
「たかが釣り」と思っていた背中に、じわじわと冷たい潮が迫ってくるのを感じないだろうか。

ましてやこんな船が全国にいくつもあるのだとしたら。
我々が思っているよりずっと、海には圧がかかっているのだ。

釣り船の集客方法も見直すべきではないかと思う。
「竿頭○○匹!」というアピールはわかりやすく魅力的だが、
1名あたりの上限匹数を定め、できれば「目標達成!船中全員個人上限に到達!」のような、
スマートな魅せ方をした方が、美学としても健やかである。

そして思うのだ。
この文章を読んで「それがどうした」と思うか、「これはまずい」と思うか。
それはきっと、その人の中にある釣り人としての流儀が問われているということなのではないか。

絶対の正解を論じているつもりは毛頭ない。
だがしかし、多少なりとも身近な問題提起はしているつもりだ。

最後に。
この手の話をする以上、妄想ではいかん。
根拠がなければ、ただの悲しき暗黒ポエムである。

というわけで、苦手な統計資料に脂汗を垂らしつつ、マアジの資源量についても調べた。結果はこうだ。

1996年:資源量ピーク(16.2万トン)

2022年:5.6万トンまで減少。約1/3以下。

若齢魚に偏っており、成熟魚(2歳以上)は少ない。

親魚量も低く、6.0万トン必要なところ2.6万トン。

漁獲圧は2020年まで過剰、2021年以降やや改善。

今後、漁獲圧を80%以下にまで抑え続ければ2031年までに回復可能性60%との試算。

こうしてみると、我々にできることは意外にあるように思う。
だからせめて、「かつて」の釣り場をこれ以上増やさぬように、今日も釣り場に立つ前に、少しだけ立ち止まりたい。
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Takuan
釣りたいのに、釣れない日々に釣られて https://www.fimosw.com/u/hachiko0723/fxte5orjw96i7v 2025-04-15T08:00:00+09:00 仕事が手に付かぬことがある。しかもわりと頻繁に、である。
その理由は明白。わたしはただ、釣りに行きたいのだ。
釣りの合間に人生をやっているのだ、それも仕方がない。
 

毎週末、せめて半日でも竿を振りたい。
人としての体裁など、もうどうでもよくなるくらい、なりふり構わず自分の世界に没頭したいのである。
そして、それが叶わない事もある。なぜか。しがらみである。
 

本来、あまり口にはしたくない言葉である。
口にすればするほど己が「大人」になってしまったようで悔しい。
しかしここではあえて言おう。どうしようもないしがらみが、わたしをどうしようもなく縛るのだ。
 

「行きたい。行く。」
この単純明快な行動原理に従って生きられる人は、まことに幸福である。
そういう人を見ると、羨ましくて脇腹を小突きたくなるほどだ。
 

しかし。かといって。私もこの生活をイヤイヤやっているわけではない。
自ら選んだ結果である。悔いはない。いや、ないはずだ。ないったらないのだ。
 

しかし、心というものは時として、勝手に溢れる。
わたしは根が素直なのだ。実に困った話である。
 

実は先週、大阪へ出張していた。
もちろん、スーツケースの底にはアジングタックルをひっそりと忍ばせていた。
もはやこれは遠征時の作法である。南港のあの雰囲気が、妙に肌に合うのだから通わない手はない。
 

しかし、時間がなかった。体力もなかった。
初日、朝から晩まで、商談・雑談・相談。談に次ぐ談。
体力ではなく、もはや精神の海で延々と泳ぎ続けるような感覚。
宿に着いた頃には、口だけが有酸素運動をしていたな、という感想しか出てこない有様である。
 

結局、夜の港に、はたまた街に繰り出すでもなく、眠ってしまった。
これはもう、釣り人としての敗北宣言である。
 

翌朝。再び打ち合わせ。
Web会議という文明の利器が、私の時間を寸分の隙なく食い尽くしていく。
移動、会議、移動、会議…気が付くと飛行機の時間が来て、すごすごと帰路につくほかなかった。

今回の出張で得た教訓は二つ。
一、釣り道具を持っていれば釣りができると思うなかれ。
一、体力とコミュ力は、釣行より先に鍛えるべし。
 

とはいえ、今週末は釣りに行きたい。いや、行く。
さて、今夜もこっそりタックルを磨いておくとしよう。

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Takuan