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関根崇暁
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▼ 夢のサクラマスを求めて
- ジャンル:日記/一般
- (九州トラウトドリーム)
サクラマスやヤマメなどの本流のルアー釣りに夢中になっていた時代が今、僕の本流、流れでのルアー釣りのベースになっている。
あの頃、四六時中、我武者羅に釣りをする時代を超えた、今、僕という釣師がいる。
何かを人と比べたり、大物を求めたり、数を追いかけたりはしない。
それも釣師として如何なものかと思うが、結果だけを追う事に興味が無いのである。
過去に大物を釣ってしまった自分というのが居たとして、自分の記録を超えられない現在の自分というものは、大物を釣ったという過去の自分よりも経験を重ね成長している。
それが10年前、20年前ともなれば普通に考えて成長していないはずが無い、釣れた魚が釣った釣師を計るための尺度となるならばその小さな命は報われないのではないか?とすら思えるものだ。
最近、改めてスプーンの釣りの奥の深さを知ってしまった。
あの頃から相当な日数、場数を打ち込んで来てそれなりに使い方を熟知していたつもりでいたけれど、実はもっと深く、操作技術を磨く事が出来る事を見付けてしまったのである。
そういう意味ではこの道に終わりは来ない。

今から20年以上前、サクラマスや本流のルアーと言えばスプーンが主流だった。本流での的確なスプーンの操作を覚えない限り、魚に近づく事すら出来なかったそんな時代である。
ロッドも重い本流トラウトロッドに、3000~4000番のリール、ナイロンライン12lbがメインタックルである、針は自作で色々と工夫をしたけれど基本各スプーンの使い分けだけでシーズンを通していた。
釣れるなんて約束は何処にも無くて、釣れるかもしれないという期待感だけが全てのモチベーションだった。釣りとしてポピュラーになる前、確立されてないジャンルには名人と呼ばれる人達が必ずいるもの。
あの頃の僕は彼等の見えている世界を知りたかったしどうにかして自分のものにできないものか?と日々研究していた。
身近にその人達のテクニックを盗むには仲良くなる事がまず最初のステップである、挨拶、雑談、本題と話と数を重ねて行けば何時か本音の部分で教えてくれる人は多い。
僕は幸いにもそんな名人達に釣りを教えて頂いた。
僕は運良く出会えたから、遠回りせずに済んだけれど、同時期に釣り場で見かけた多くの人達がこの釣りを諦め離れ行くのを間近に見続けてきた。
今の時代、釣りの多くは結果を急ぎ過ぎている傾向にあると思う。
釣りたい気持ちは良く分かるけれど、長い目で見たとき釣りは結果を急ぐ事でつまらなくなるもので、上達して行く過程、覚え、学び行く時間が一番の醍醐味であると僕は考えている。
見た目に分かりやすい釣りの尺度で言えば結果を残す事である。
つまり大物を釣る事がエキスパートの象徴であるならば、フィールドに由来した大物という結果だけなら1年目のアングラーでも作り上げる事が出来るという事実をなぜ受け入れないのだろうか。
人種や国境に関係なく一人に人権があるように。
足元に横たわる貴方に釣れた魚には優劣は無い。
釣技、テクニックを語るのは自由であるけれど、本当の名人はテクニックを語りはしない、少なくとも僕の知り得る名人達は自らの持論を押し付けはしなかった。
ただ、こちらの質問や疑問に対して的確なアドバイスをしてくれた。
課題を与えてくれた。
つまりは釣師の育て方を知っている。

多くの名人、先生方の釣りを学び、試行錯誤を繰りかえし、やがて何時か自分の釣りに出会えた。
その時、たった一人でフィールドに向かう僕がいた。
結果に遠いとされる、釣り人に厳しいフィールドで見えない魚を追い続けた者にしか見えない世界がある。
その世界を少し知る事が出来た。
じっと魚を、その時を待つこと。
昔から釣り人には二つある、魚を求めて何処でも飛んで行く者と、もう一つが自分の場所に魚が来る日をじっと待ち続ける者。
どちらでも、試行錯誤の末にやがて魚を釣るという結果にたどり着く。
「どこで釣れますか?」という事を良く耳にするけれど、結論魚が居る場所か来る場所に行けば釣れるもの。
ところが、居るか居ないのか分からない魚、実績の無い場所からは人は遠ざかって行くのである。その場所で釣ってしまえば、第一人者になれたものを、それをせずに二番煎じを続けて行くのである。
それが残念に見えてならない。
もちろん、人それぞれと言えばそれまでであるけれど。
僕自身はホームフィールドで魚が来る日を信じて待ち続けるタイプかもしれない。
今、10年目となる九州のサクラマスを探す旅の準備をしている。
勿論、釣れたという実績は過去に皆無である。
この時代に九州のサクラマスは既に存在しない可能性の方が高いかもしれない。
ただ50年前には確実に存在していたであろうと思える漁獲記録は少し残っている、それが僕がこの釣りに向かう最大の根拠である。
当然、簡単な話ではない。
それでも万が一釣ったときの喜びの大きさを考えれば、それまでの道程は苦にはならない。
今まで僕が学んだ事の集大成は、その魚になると決めているからだ。
実は簡単には釣れて欲しく無い、本当に夢の魚で良い。
それが僕がこの釣りを続けて行く理由になるからだ。
自分の釣りを楽しくする為に追求するものはテクニックだけでは無い。
仲間を持つ事、釣り人同士の関わりを持つ事がまずは大きな部分である。それが釣師を成長させるし人間的にも磨かれて行くものだと。
そして、今年もゆっくりと始まる。
あの頃、四六時中、我武者羅に釣りをする時代を超えた、今、僕という釣師がいる。
何かを人と比べたり、大物を求めたり、数を追いかけたりはしない。
それも釣師として如何なものかと思うが、結果だけを追う事に興味が無いのである。
過去に大物を釣ってしまった自分というのが居たとして、自分の記録を超えられない現在の自分というものは、大物を釣ったという過去の自分よりも経験を重ね成長している。
それが10年前、20年前ともなれば普通に考えて成長していないはずが無い、釣れた魚が釣った釣師を計るための尺度となるならばその小さな命は報われないのではないか?とすら思えるものだ。
最近、改めてスプーンの釣りの奥の深さを知ってしまった。
あの頃から相当な日数、場数を打ち込んで来てそれなりに使い方を熟知していたつもりでいたけれど、実はもっと深く、操作技術を磨く事が出来る事を見付けてしまったのである。
そういう意味ではこの道に終わりは来ない。

今から20年以上前、サクラマスや本流のルアーと言えばスプーンが主流だった。本流での的確なスプーンの操作を覚えない限り、魚に近づく事すら出来なかったそんな時代である。
ロッドも重い本流トラウトロッドに、3000~4000番のリール、ナイロンライン12lbがメインタックルである、針は自作で色々と工夫をしたけれど基本各スプーンの使い分けだけでシーズンを通していた。
釣れるなんて約束は何処にも無くて、釣れるかもしれないという期待感だけが全てのモチベーションだった。釣りとしてポピュラーになる前、確立されてないジャンルには名人と呼ばれる人達が必ずいるもの。
あの頃の僕は彼等の見えている世界を知りたかったしどうにかして自分のものにできないものか?と日々研究していた。
身近にその人達のテクニックを盗むには仲良くなる事がまず最初のステップである、挨拶、雑談、本題と話と数を重ねて行けば何時か本音の部分で教えてくれる人は多い。
僕は幸いにもそんな名人達に釣りを教えて頂いた。
僕は運良く出会えたから、遠回りせずに済んだけれど、同時期に釣り場で見かけた多くの人達がこの釣りを諦め離れ行くのを間近に見続けてきた。
今の時代、釣りの多くは結果を急ぎ過ぎている傾向にあると思う。
釣りたい気持ちは良く分かるけれど、長い目で見たとき釣りは結果を急ぐ事でつまらなくなるもので、上達して行く過程、覚え、学び行く時間が一番の醍醐味であると僕は考えている。
見た目に分かりやすい釣りの尺度で言えば結果を残す事である。
つまり大物を釣る事がエキスパートの象徴であるならば、フィールドに由来した大物という結果だけなら1年目のアングラーでも作り上げる事が出来るという事実をなぜ受け入れないのだろうか。
人種や国境に関係なく一人に人権があるように。
足元に横たわる貴方に釣れた魚には優劣は無い。
釣技、テクニックを語るのは自由であるけれど、本当の名人はテクニックを語りはしない、少なくとも僕の知り得る名人達は自らの持論を押し付けはしなかった。
ただ、こちらの質問や疑問に対して的確なアドバイスをしてくれた。
課題を与えてくれた。
つまりは釣師の育て方を知っている。

多くの名人、先生方の釣りを学び、試行錯誤を繰りかえし、やがて何時か自分の釣りに出会えた。
その時、たった一人でフィールドに向かう僕がいた。
結果に遠いとされる、釣り人に厳しいフィールドで見えない魚を追い続けた者にしか見えない世界がある。
その世界を少し知る事が出来た。
じっと魚を、その時を待つこと。
昔から釣り人には二つある、魚を求めて何処でも飛んで行く者と、もう一つが自分の場所に魚が来る日をじっと待ち続ける者。
どちらでも、試行錯誤の末にやがて魚を釣るという結果にたどり着く。
「どこで釣れますか?」という事を良く耳にするけれど、結論魚が居る場所か来る場所に行けば釣れるもの。
ところが、居るか居ないのか分からない魚、実績の無い場所からは人は遠ざかって行くのである。その場所で釣ってしまえば、第一人者になれたものを、それをせずに二番煎じを続けて行くのである。
それが残念に見えてならない。
もちろん、人それぞれと言えばそれまでであるけれど。
僕自身はホームフィールドで魚が来る日を信じて待ち続けるタイプかもしれない。
今、10年目となる九州のサクラマスを探す旅の準備をしている。
勿論、釣れたという実績は過去に皆無である。
この時代に九州のサクラマスは既に存在しない可能性の方が高いかもしれない。
ただ50年前には確実に存在していたであろうと思える漁獲記録は少し残っている、それが僕がこの釣りに向かう最大の根拠である。
当然、簡単な話ではない。
それでも万が一釣ったときの喜びの大きさを考えれば、それまでの道程は苦にはならない。
今まで僕が学んだ事の集大成は、その魚になると決めているからだ。
実は簡単には釣れて欲しく無い、本当に夢の魚で良い。
それが僕がこの釣りを続けて行く理由になるからだ。
自分の釣りを楽しくする為に追求するものはテクニックだけでは無い。
仲間を持つ事、釣り人同士の関わりを持つ事がまずは大きな部分である。それが釣師を成長させるし人間的にも磨かれて行くものだと。
そして、今年もゆっくりと始まる。
- 2015年3月14日
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