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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

故郷の大河、利根川。

  • ジャンル:日記/一般

僕は利根川の事を、親しみの情を込めて「故郷の大河」と呼んでいる。
今回は、僕の知る限りではあるが、この川について話したいと思う。

はじめに 川には必ず歴史がある。釣師として、時にはその川の生立ちに目を向け、フィールドを深く知る事も大切かと思う。

ご存知の方も多いかと思うが、利根川は昔から「坂東太郎」と呼ばれ親しまれ、群馬県と新潟県の県境、谷川岳に水源を構え、流域面積日本一の大河であり、その流域は群馬県、埼玉県、栃木県、茨城県、千葉県と各県で片品川、渡良瀬川、鬼怒川、吾妻川、神名川、小貝川などの支流各支流と合流をしながら流れ、そして、河口近くには、霞ヶ浦、北浦、与田浦、外浪逆浦と水郷と呼ばれる淡水湖群を構え、千葉県銚子にて太平洋へ流れ込む。

古くから利水と水害、水と人との暮らしには利根川があり、人々は、自らの知恵と力でその暮らしを育んできた、漁師も農民も川と暮らしてきたのである。そして日本の多くの川は、木材や物資を運ぶ運河としても機能し、物流の大動脈としても大切な役目をしていた。古来は現在の江戸川が利根川であり、東京湾流入河川であった。人の力で大きく流れを変えた巨大な水路とも言える。

つまり、人工的な構造物が数百年前から構築され、現在に至るという事である。普段、釣をしているときに、何気なく乗っている足元の石も多くは人が運んだものなのである。更に、水源部には多くのダムが建設され、昭和30年代後半には東京オリンピックの開催へ向け都市部の水不足を解消する為に利根川を堰止め荒川へ流すという一大事業が進められる。これにより、利根大堰とその水を都心へ流す導水路が建設され、現在の荒川へ大量の利根の水を流す様になる。

やがて、多くの水を取水された利根大堰下流部の利根川は年々砂礫に埋まり、川、本来の姿ではなく、砂漠の様に河原が広がり年々川底が上がるという方向へ向って行った。昔の流れはこうだった・・というのを年配釣師から何度か聞かされた事があるが、今となっては古い資料などモノクロの写真で見る以外にその流れを知る事は出来ない。嘗ては渡船場が数多くあったと聞く、多くの橋が架かった現在はその役目を終え、地名として残るだけとなる。最近は東京湾や江戸川や利根川に鮭がマスが帰ってきたというニュースを耳にする事があるが、太古の昔より現在まで遡上する魚たちが姿を消した事はおそらく無いはずであり、人々の興味や関心や川や水辺に向いただけだと僕は感じている。

僕はその大河、利根川でサクラマスや鱸を釣り現在に至る。釣に明け暮れていた日々も今となっては遠い昔の事だが、多くの記憶を辿れば たった今、利根川から帰宅した様な気になる。季節毎に変化する水の匂いも、羽化する虫も、川を埋め尽くすほど遡上する魚達も、川岸の植物達もその記憶に刻まれている。今も多くのアングラーで賑わうフィールドだとは思うが、良い時期しか釣師を見かけないのは、今も昔も変わらないだろう。その偉大なる流れは、釣の真似事しか知らなかった僕を、何時しか釣師へと育てあげ、現在の本流擬似餌釣師としての、根本たるものを与えてくれた。お陰で今の僕はきっとどんな場所でどんな流れを見ても怯む事は無いと思う。以前にも話した事はあると思うが、釣師を成長させる為に必要なものは、まず「フィールド」、そして「魚」、「仲間」との出会い。この三つに尽きると思う。

そのフィールドでいえば、「利根川」が僕を成長させたという事である。

そして「サクラマス」と「鱸」などの魚達。

何時も新しい釣を教えてくれた、多くの仲間達。

僕はつくづくこの三つに恵まれた、運の良い釣師であり、その三つ全てを大切に考え、常に感謝をしている。

少年時代、当然であるが僕はまだ利根川への切符を持っていなかった。ただ、幼少の頃から見慣れた荒川よりも、更に大きな大河がある事は知っていた。のべ竿でフナやクチボソや鯉っ子を釣っていた時代、利根川へ行くと大きな鯉やアオウオという巨大魚が釣れると聞きマスの存在を知り大人になったら行く場所だとは思っていた。

十代後半になると釣も幅が広がり、覚え始めたバス釣りだけでなく、トラウトルアーやフライフィッシングまで手を出す様に成っていった。

喜楽釣具のスプーンKIRA12gシルバー。
UFMウエダのグリグリナナハン、ABUのカーディナルC4、バリバスのスーパーソフト6lb。
ハンドメイドミノーのメゾンとフローティングラパラにツインクル。
FOXFIREのウエーディングシューズで足元を固め、お気に入りのアムコのアルミボックス。

それが、まだ利根川の何も知らない頃、利根川に通い始めた頃のタックル達である。

二十代になると、上流へも下流へも本格的にポイント開拓にも繰り出した。
砂埃まみれの愛車ランクル60に乗り、ドカドカとフレームを揺するその荒れたダンプ道を幾度も走る。大排気量のディーゼルエンジンのメカニカルノイズが車内に響くと、足元で強靭なミッションがドライブシャフトを荒々しく回し、BFグッドリッチのタイヤが大地を蹴りつつ進み、数十キロ下流へも上流へも行ったものだった。河原に車を止め、タックルをセットするとボンネットに腰掛け、利根川を見つめながら、今は止めた煙草を呑むのが習慣だった。

この頃になると、徐々に利根川の事がわかってきて、それと同時に今まで釣れなかった魚が釣れる様にもなってきた。フィールドに何度も通うことでしか見えない水の中の季節感を感じれる様に成ったりもした。それは今でも釣師である僕には大きな財産である。

毎年のシーズンの流れはこうだった。

3月、上州赤城山から吹き降ろす強い北風が収まる頃、河原には菜の花が咲き、鮭子が下り始めると、同時にマルタウグイの群が瀬付く。
4月、春の不安定な天気、冬戻りと、初夏の陽気を繰り返しながら、条件の揃わない日々が続くが、下旬に稚鮎の群が一気に遡上を始めると全ての大型魚が、それは鯉もニゴイも魚食魚になる。
5月、桜の木に葉が茂り青くなり、河原の柳の新芽がうるさく茂る頃、サクラマス、鱸の遡上が本格化する。
擬似餌釣師にとっては仕事も手に付かないほど忙しいシーズンになるが、前半は雪代の影響が強く、GWを明けた頃、そのシーズンの芯は訪れる。尚、多くの人がしない事を積極的にやると思わぬ釣果に恵まれる時期でもある。
6月、サクラマスの残りと、鱸のハシリの両方が狙えるシーズンであるが、殆どのマス釣師が諦め釣り場を去ってゆく。シーズンを追うごとに釣り方が変化する。4月のウグイ同様の釣りは、青物の釣へと変化する。
鱸が釣れたり、連魚にルアーを奪われたのなら、マスの着き場でないと理解されたい。サクラマスに限れば、柳の花が川面を埋め尽くす頃、そのシーズンのピークを終える。
7月、本流は、取水され一気に渇水方向へ向かうが、直に降雨による増水が来る。
この時期は鱸釣がメインではあるがマスを釣る事も可能である。この頃からハスも活発にルアーを追う。
そして関東地方では梅雨の真っ只中、濁りと増水を繰り返し、釣が出来る条件の日は少ないのが現状である。
8月、梅雨明けになると、本流のマスは釣れ難くなるから、群馬県の本流へ行くか、渓流で遊んでるほうが良いのだが鱸を狙う者にはベストシーズンとなる。思わぬ大釣も出来るのがこの時期と僕は踏んでいる。日没前にボラが飛び、オイカワが逃げてまわるとその扉は開く。
9月、鱸がコンスタントに釣れる時期である。この時期は100%釣れる。釣れないのなら釣れるまで通うしかあるまい。そして連魚の群れも、活発になり酸素のある流れに集結する。
10月、満月の夜鮎が落ちて、鱸釣のピークを迎える。またこの頃に何処からとも無くマスも姿を現す。
11月、鮭の遡上が本格化する。鱸の気配は消える。
12月、鮭の産卵が始まる。クリスマス頃にそのピークを迎え、川は沈黙するが、稀に鱸の釣果も聞く。
1月~2月、おそらく、魚は釣れない訳では無いが、僕にとっては準備期間であり、他の釣をする時期。

そんな本流釣の大半は、釣をイメージする事に尽きる。結果への道は、魚の居場所を突き止める事が最重要課題であり、テクニックや理論・理屈はあとから言葉を取って付けただけに過ぎない。本流には基本があり、その基本を無視するものに、結果は無いとさえ思う。たまたま大物が釣れたとしてもそれは偶然の産物であり、再現性は望めないものだ。何度も何度も繰り返し釣行を重ね、河川図を経験というノートに書き込む、常に新しい発見を追加して、古い間違った解釈を訂正して行く事で新しい釣の世界が見えてくる。そんな日々だった。

三十代に成ると、釣が自由な方向へ進んで行く事になる。
こうしないと釣れないと思っていた釣も、こんな釣り方でも、こんな時間や時期でも釣れるという楽しみを見出していた。年数匹しか釣れなかった時代は終わり、シーズン中はコンスタントに数も釣れる様になったのである。

そんな僕が最も大切にしていた事は、「釣れるイメージ」である。 
僕等の擬餌針は、魚の居場所へ届くのだろうか?正しく泳いでいるのだろうか?
狙うべき魚はその流れに居るのだろうか?タックルのバランスは信頼できるものなのか?

全てにイメージが無ければ、この釣を続ける事は難しい、特に飽きっぽい僕にそんな忍耐の釣が出来るはずが無いから、大抵何らかの根拠があって釣をしている。例えば、この時期はこうだがら、こうなるはずとか、この場所で居ればここをこうしたら出るとか、そんな仮定・想定をしてロッドを振る事が多い。むしろ本流を目の前にすると、集中力が上がりイメージが次々と湧いてくる。こうして見たい、あれを試したい、新たな挑戦したいという気持ちに素直になれるのかもしれない、目の前の流れが太ければ太いほど良いし、水は多ければ多いほど期待をしてしまう。この流れは出そうだとか、今年は此処が怪しいとか、フィールドを散策する事で湧き上るイメージもある。

最後に、利根川を離れる直前の数年間はその集大成とも言える素晴らしく楽しい釣をさせてもらった。自由な場所で、自由な釣へと進んだ訳である。天下の利根川と言えど、有名ポイント以外では、釣をする者は誰も居ない状況であり、僕の自由な釣のスタイルには最適なフィールドであった。そしてフィールド自体も、侵入者を拒むかの様に、悪路を構え普通車では進入は難しいという場所が数多くある。道自体も何度かの大水で埋まり、降雨での流失で崩れその先にはフカフカの砂地、そして獣道も無い様なブッシュに覆われているエリアもある。釣以前に釣座に付く事もままならないフィールドで結果へ結びつけるには、それ相応の覚悟が必要である。それにはどんな困難があろうとしても、時間も労力も惜しまないからこそ得られる自由な釣を目差す事なのだ。そんな世界に僕はやがて没頭して行く事になる。

概ね、利根川は砂地構成された流れで、ポイントは水こそあれど砂漠そのものであり、魚達は僅かな地形変化、つまり、古くのマンメイドストラクチャーの沈所や流失したテトラのある、流芯のはっきりした深場に集まる。その周囲の、浅い瀬も有望なポイントであり、その場所を見つける事さえ出来れば、数年先まで安定して結果を出す事が出来る。そんな特別な場所もやがては誰かに知られ、他人が侵入してくるのだが、それでも僕等の開拓スピードが速ければ問題は無いと僕は思っている。釣れてメジャーになるならそこに人が集中する分、他の場所が必ず手薄になるものだ。僕等はポイントを開拓するノウハウを持っているからどれだけ人が増えてもその先で釣をしてやるというくらいの意地がある。

そして、僕ひとりでしていた開拓もやがて数名の仲間との共同作業へと変化して行くのであった。当時の僕は滅多な事では竿を出さない釣師であり、ポイントでのマズメ時はネットとカメラを持ち釣り場を俳諧していた。多くのアングラーで賑わう場所でじっくり観察すると、その日の釣れ具合で自分のポイントがどうなのかある程度の予想も可能なのである。そんなある日、ある人物が僕の存在に気付いた。
僕よりも4~5歳年上にも関わらず、彼は低姿勢であり、素直に「どうやって釣っているのか一度見せてください」と僕に話しかけてきた。僕が、皆が諦めた夕暮れに、後から入って数投げでサクラを釣り上げるところを目撃したという。狙いを定めて数分の勝負で結果を出すという釣が最も好きであり、その方向性を目差していたから、それを見抜く彼の着眼点には恐れ入ったという事ものもあり、包み隠さず全てを話した。つまりは、僕が知る限りのポイント全てを彼に託した。

九州へ向う前の最後のシーズンには、思う存分、鱸が釣りたいと思った。初めて利根川の河原に立ったのは、まだ十代の僕だったのだが、その当時は我武者羅に闇雲にただルアーを投げて、流して回収するいい加減な釣だった。
それでも、魚を釣る事が出来たのは偶然ドリフトする釣りを覚えたからに他ならない。鱸釣りはそのドリフトの集大成であり、ある意味の完成形である。究極的に言うと ルアーは、リールで操作するのではなく、ロッドまでのラインで操作するものである。速い流れの向こうにルアーをキャストすると、ラインが先に流れてルアーが後から着いて来る。徐々にラインを回収すると、ルアーのヘッドが下流方向から上流方向へターンを開始する。そこで再度ラインを先行させ、またラインを回収すると連続でターンを仕掛ける事ができる。


魚の付き場が点でなく、線であれば、この釣り方が非常に有効である。渓流や小場所なら魚の付き場は点なのだが、本流では線なのである。適正流速を探す事であったり、居ると仮定した線に対して、どうルアーを送り込むのか?っていうところでもある。どんなタックルでもいい、どんなルアーでも構わない、本流を目差すなら、10年先の釣を考えるべきであると思う。釣れないのがどうした?当たり前だろう!くらいの気持ちでいいはずだ。

最近は無性に利根川で釣がしたい。今の僕ならばこう釣れるんじゃないか?と思うからだ。
予想に反して、打ちのめされるかもしれないが、何時か再びあの河原に立ちたい。
 

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