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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

2010年 まだまだ釣りの途中。

  • ジャンル:日記/一般



先日の寒波で僕の住む筑後地方も雪雲に覆われ平野部でも降雪に見舞われた。早いもので九州へ来てから5年目の冬を迎える。丁度、5年前の年末も大雪だった事はまだ記憶に新しいのだが、5年前にしていた釣りの事を思い返すと遠い昔の事の様に想う。
雪降る静かな夜に思い返してみると、子供の頃、近所の川でのべ竿から始まった僕の釣りは時に海を渡り北へ南へ東へ西へと時に離島や海へ向かいその行動範囲も拡大あるのみであった。

僕の釣りは「ご縁」に恵まれた。仲間やフィールドや魚との「出会い」でここまで来れたのだと思う。
僕のスタイルは時代と共に変化してきたのだけど、30年以上 色々な釣りをして、まだ足りなくてもっと釣りをしたら少しだけわかってきた事がある。
ひとつは「釣りはやればやるほど面白い」という事である。そしてブログを始めた事で更に多くの「ご縁」を授かりNET上ではあるけれど多くの刺激や発見を皆様に頂いている。

釣りは孤独な世界だけど、仲間無しでは「面白くない」と思う。例えば、数年に一度あるかないかの凄い釣りをしたとして、それを話す相手が居なかったとしたらそれほど残念な事はない。
喜びや悔しさや感動や情熱を共有できる仲間の存在が大切なのであり、その仲間との出会いがあることで自分の釣りの世界は確実に豊かなものになるはずである。
 

魚達は僕等の想像や憶測の域を超えた水の中という領域で生きていて、それを陸上の動物である僕等がどんなに考えても知る事が出来ない行動をする。一概に○○だからと理由を付けられない不可解な動きも見せる。
それらをひとつひとつ知る度に、発見する度に、自分の釣りはより楽しみの深いものへと成って行く。

昔、釣れてるという情報を元に釣りをしていた時期があった。仲間の釣果を元に戦略を考えて釣行したら確かに釣れた事から「釣りは情報戦」だと本気で思っていた。
その反面、「どこそこでこんな魚が釣れている。」という情報を手に入れたとしても、実際翌日は状況は激変している事もある。今では「昨日まで釣れてたよ」と何度騙された事か・・・と思うが・・

これは僕等が釣果優先の釣りをしていた為に、釣りに釣果に確実性を求めていた時代の話であり。
大物自慢、釣果自慢、したい時期が終わった僕としてはレシピどおりに釣りをしても何も面白く無いという結論になった。

釣りに「事前情報」は必要か?という問いには最近は「NO!」と考える様になったということである。

しかし釣りに「状況把握・判断」と「試行錯誤」は必要である。

まず、現場に行き問題を見つけて、問題解決をする為に現場に行く。釣果への結果への「ヒント」が無数にフィールドには転がっている。見える人にはそれが見えて、感じる人には感じ取る事が出来ている。
それを元に憶測して、予想して釣りを組み立てて行く、現場で今の釣り方を探りあてるべく自分の釣りをシフトしてゆく。それこそが釣りの真髄なるところかと考えている。

今から15年前、僕はインターネットを体験した。

それまで知る事も出来ない様な遠くの地の釣り情報や釣果報告を見る事が出来る時代になった。
続々と釣りのホームページが立ち上がり、必要な情報の殆どを知る事が出来た。遠くの釣師との情報交換も可能になり、画像まで付いた釣り場の詳細や衛星写真で釣り場の全体像を見る事も出来る様になった。
その正確な情報は無駄を無くし結果への近道を釣師に与える事になるだろう。

しかしその反面、他の人から聞いた情報を元に想いを馳せたり、ベテランに手解きを受けたりする事をしなくなってしまった。嘗て豊かだったその想像力が乏しくなり、研ぎ澄まされたその感覚が麻痺して、感性豊かなその情熱も素直で無垢な感動も薄らいで行く事になってしまった。

釣には釣り人には幾つか種類がある。防波堤など家族でレジャーとしての釣りや、仲間との交流の為の釣り、団体に加盟して釣果を競い合う競技の世界。孤独に源流へ向かう者、乗り合い船でクーラー満タンにお土産確保の釣りをする者。夜な夜な大河に浸かる好き者。世界各国、各地を飛び回り世界中の魚と渡合う者。
釣りたるものの全てを終えて、家の前の小川に独り、述べ竿で糸を垂れるご老輩。

全て「釣り」である。

それらを甲乙付けて差別する気は無いが区別はしてもいいと思う。

例えばキャッチ&リリースの話にしても、釣った魚をどうするか?なんて究極の自由であるべき。

写真をとってもいいと思うし、逃がしてもいいし、食ってもいいし、その場に置いてきて鳥や虫のエサにしてもいい。

もちろん魚を釣っても釣らなくてもいい。

どんな選択を択ぼうが、その釣師が釣った魚。その釣師の獲物。

其処は誰の海でも誰の川でも誰の魚でもない。

釣りたい気持ちには素直がいい、釣りたいときは釣ればいい。

「一夜一本」「自由な釣り」

擬似餌を投げた、そしてしばし誘った。

たまたまそこにいた魚がヒットした。

そして難なく釣れた。

それで自分だけが凄いと思っている釣りの腕も、その誇り高きプライドも守ることできる。

僕は一本で満足。

その日釣れなければ明日また釣ればいい。

僕は二本で天才。

やっぱり居ただろう?釣れるのはわかっていたのだと豪語する。

僕は三本で満腹。

もうおかわりはいらない。

どこまで行っても釣りは釣り。

僕は「自分流の釣り」をこれからもしたい。

僕の釣りは、昔に比べたら釣行日数も、釣行時間も、釣行範囲も劇的に縮小したから、釣りに行けない時間が増えた。今の「自分流の釣り」それは、少ない釣行でより多く楽しみたいという事なのかもしれない。行ける範囲は狭いから、近場の海や川に昔からいる当たり前の魚を擬似餌で釣る。一見、地味な釣かもしれないけど、それでいいと思っているし、何時までもこの釣りを自由に楽しみたいと思っている


家から歩いていける近場に素敵な水辺はありますか?
自転車を数分乗ったら素晴らしい川や海はありますか?
車を数十分走らせたら広大なフィールドがありますか?

その全てに「YES」を言える人は釣師として恵まれた環境に住んでいる事を忘れたらいけない。
日本には日本の素晴らしい魚達がいる。そして海外から持ち込まれたゲームフィッシュ達もいる。
僕等はまだまだ知らない事ばかり。

ブログ:東洋式擬似餌釣研究所及び、釣りログ:東洋式擬似餌研究所Ⅱは、釣果情報の情報発信では無く、フィールドとの関わり方の手法でありたいと願う。

フィールドへ向き合う釣りと釣師のあり方、その為の道具へ拘り、魚への敬意。
それを読んで頂ける皆様に伝えたいと思います。

今年も本当にありがとうございました。

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