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apia宇津木とREDの知られざる歴史

ど~も!REDです。

今回、初めてここのブログ書かせてもらいます。

まぁ、まずは手始めにアピア宇津木とREDの知られざる歴史について語ってみたいと思います。

 

 

時は遡ること20年ほど前。世はバブルが弾け、日本と言う国の歯車が狂い始めた頃。当時のREDは、社会科教員を目指していた。とはいうものの、毎週末は釣り、ちょっと休みがまとまればアジア方面へ海外放浪という日々のサイクル。

 

 

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 恥辱写真その1。若くて誰だかワカラン!?


 

教員でさえ超就職難という世相に、大学に行く意味もよくわからなくなっていた。それよりも興味は‘フィッシング’の誌面に出ていたスーパーディープジギングなる未知の釣り。ネットも普及していない時代だから、いったい何をどうすればこの釣りができるのか?導き出した答えは釣具屋に就職すれば情報も集まるし、やってる人もいるんじゃないかと()

そして実に安直な理由で上州屋に就職して半年。転勤して新宿南店勤務になった時に店員のK君と出会うこととなる。余談だが、当時の新宿南店ではまだ学生のジェネラル大澤やバンドマンをしていたサスペンドの小松君がアルバイトとして働いていたりした。お客さんではまだ高校生だった大野ゆうき君とか。さてそのK君も遠征のオフショアを志向するアングラーで、近々、奄美大島のワールドマリンさんへ遠征するとのことだった。もちろん100~200mの水深に対応したPE専用ジギングロッドなんてどこも発売していなかったから、雷魚ロッドやGTロッドを切断してガイドを乗せた改造ロッドが主流だ。K君の道具を参考に私も高額なロッドを切断し道具作りの準備を始めることにする。リールもクソ重たいトローリング用か石鯛用の両軸リール。ベイトリールなんてシャレた言い方はしない。道具の準備が整ったところでREDも遠征オフショアツアー漬けに日々に参加することとなる。と、同時に感じたのは遠征釣行の個人参加の難しさ。上州屋に入社することによってK君との出会いに恵まれたものの、遠征先の船はチャーターが基本だ。こうした遠征釣行に参加するアングラーのほとんどが、クラブチームに所属していたのだ。それぞれのクラブチームで遠征釣行を計画して、そのクラブメンバーで参加者を募ると言うのが一般的だった。そこでよく奄美遠征で顔を合わすメンバーでクラブチームを結成することとなった。その中心人物が宇津木善生なる怪しげなクワガタマニアの小男。後にアピア社長となる人物である。結成されたクラブチームのメンバーも当初は10人程度だが、これが最も初期の‘アピア軍団’と言っていいだろう。まだまだ宇津木氏もRED20代半ばとあって、集まれば悪ふざけ三昧。現在のイメージからは想像もつかないだろうが、こうしてアピア軍団は遠征オフショアを舞台として活動を始めたのだ。そして、宇津木社長とREDの関係も‘釣り仲間’‘飲み(食い?)仲間’いう関係で付き合いが始まった。

 

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トカラのヒレカン。このサイズならば面白いように釣れまくった。

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徳之島で釣ったGT40kgオーバー。 


 

クラブチーム結成後間も無く、宇津木氏が『()アピア』を立ち上げ、ジギングロッドメーカーとしてスタート。しっくり来なかった改造ロッドではなく、最初からPEを使ったスーパーディープジギング専用として設計されたロッドだ。このロッドを使えばあれだけ苦労していた2030kgのヒラマサ、カンパチと余裕を持ったファイトが出来る。JGFAに加入していたクラブチームのメンバーはアピアのジギングロッドを使って次々と日本記録を樹立。REDもカンパチやシマアジの日本記録を釣り上げ、雑誌媒体への露出も活動を始めた。

 

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 奄美で釣ったカンパチ35kg。当時の30lbクラス日本記録。


 

つまりREDのメディアデビューはオフショア。よって当時のREDをよく知る人やお世話になっていた船宿さんは、未だにシーバスの記事を書く私を見て不思議がる人も多い。奄美大島、小笠原、久米島、石垣島、徳之島等々、たいていは青物かGT狙いの遠征が多かったが、思い出深いのは北海道上ノ国へ宇津木社長と遠征した時のことだ。狙いはマダラといういつもとは違う未知のターゲットなのである。マダラは面白いように釣れまくった。外道で釣れるホッケは片っ端から開いて干物に。そしてお遊びで釣ったヤリイカも大漁だ。昼食には宇津木社長とジンマシンが出そうになるくらいヤリイカを食い散らかす。そして民宿でのディナーはみんなで釣りまくったマダラ、ホッケ、宇津木社長の釣ったパンパンのブリ。マダラは鍋物。そして濃厚なタラキモがおてんこ盛り。白子はラーメン丼にいっぱい入ったのが、各自一個。ホッケの干物は一人一匹だが、60cmはゆうにある。そしてドド~ンっとブリ一匹分のお造り。その他に貝やらウニやらイクラといった北海道の名物。おそらくあれほど暴飲暴食の限りを尽くした日は無いだろう。次の日はもちろん全員食い過ぎ飲み過ぎによる下痢ピー!

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恥辱写真その2。テレ東『千夜釣行』に出演してた頃のRED。オヌマンにティーチャーキンパチとおちょくられまくりました。


 

さて、そんなディープジギングも56年も続けていると自然と海外遠征志向へ。オーストラリアだのなんだの毎月のように遠征三昧を繰り返すも気付けば借金の山。気付けば数百万まで借金は膨れ、ニッチもサッチも行かなくなってしまうRED。この頃から次第により身近なターゲットであるシーバスゲームへと傾倒し始める。時を同じくしてアピアの宇津木社長も商品ラインナップをシーバス中心へと大きくシフトしていく。初代‘風神号’を作成するにあたって、宇津木社長の相談をよく受けていたのは今でもよく覚えている。当時まだまだシーバスシーンも未熟で、目的別のロッドラインナップという概念さえ欠落していた。そこで‘港湾ピン撃ち用’とか‘干潟ウエーディング用’といったシチュエーション別ラインナップというコンセプトで風神号を発売したらどうかという提案させてもらった。これはシーバス業界初の試みであったが、今ではすっかり当たり前となってしまった。

 

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 うわわ!宇津木社長もREDも野暮ったいですなぁ~・・・。現在では体型が完全に入れ代わってます。


 

もう一つ提案させてもらったのは、名前の通ったシーバスアングラーをテスターとしてアピア軍団に加入させること。当時のREDは完全にオフショア畑のイメージが色濃く、シーバスシーンでは印象が薄いんじゃないかと思ったからだ。そこでかわいそうな犠牲者としてREDが白羽の矢を立てたのが村岡マサッチ。同世代のアングラーの中では、抜きん出て港湾シーバスの名手として知られた存在だった。まぁ、HPで語られるポエムに関しては正直、宇津木社長と「気持ち悪りぃ~なぁ~。サブイボでるわ」とか話してたっけなぁ()。ともあれ、アピアはこうして村岡マサッチという強力な仲間を迎えてシーバスメーカーとして歩み始めることとなるのだ。

 

 

その後も宇津木社長とREDによる悪巧みは続きますが、それはそれでまた別の機会で。マサッチとREDの伝説的出会いや、ハマー、デラ松君との出会いもまた機会があったらやりたいですね。ああっ!新作ルアー『ガブリン』もよろしく!!これも近々詳しくやりたいと思ってます!!!
 


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apia新作のガブリン、釣れてます!! 早く秋シーズンで使いたいっ~~!!

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