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▼ 2輪車歴
- ジャンル:車・バイク
前回ログが4輪車に関するものでしたので、続いて2輪車に関するものを・・・
私が運転免許を取得した1980年代後半は、2スト250ccのレーサーレプリカ全盛期で、ホンダNS/NSR、ヤマハTZR、スズキRG-Γ/RGV-Γ、カワサキKR等が大挙して市中に溢れ、2輪関係の雑誌には、革ツナギ姿にフルフェイスヘルメット、膝には皮革製摩擦パッド、若しくはプラスチック製まな板で作った自家製摩擦パッドを装着したライダー達がリーンイン姿で峠道で自慢のコーナーリング姿勢を撮影した投稿写真が溢れていました。
世界ロードレース選手権でもホンダNSR、ヤマハYZR、スズキRG-Γ/RGV-Γ、カワサキKR等のワークスマシン、日本国内の地方選手権でもホンダRS、ヤマハTZ:以上ロードレース、ホンダCR、ヤマハYZ、スズキRM、カワサキKX:以上モトクロス等の市販レーサーが覇権を競い合っていました。
ライダーもエディ・ローソン、ウェイン・レイニー、ケビン・シュワンツ、クリスチャン/ドミニク・サロン兄弟、ルカ・カダローラ、ホルヘ・マルチネスなどが居ましたね、日本人も片山敬済、平忠彦、原田哲也、宣篤/拓磨/治親の青木3兄弟、坂田和人、若井伸之、上田昇等が活躍して、世界チャンピオンも輩出していました。
当時は、2ストエンジン全盛期で、市販公道仕様車の出力は、エキスパンションチャンバーと言われる排気管の形状により制限されていたので、購入時のメーカーライン装着のチャンバーではなく、後付け部品メーカーのチャンバーを購入し、取り付けるだけで、2スト250ccでの自主規制値45PSから80PS台まで上昇していました。
エンジン構造も単純でしたので、ピストン、クランク軸バランス取り、シリンダー壁精密研磨、吸排気ポート精密研磨等で出力向上していました。
続いて、1990年代に入り、4スト4気筒ネイキッド車が人気を博し、ホンダCB、ヤマハXJR、スズキバンディッド、カワサキゼファー等が大人気になりました。
当時、4気筒400ccネイキッド車は盗難される可能性が高く、盗難されると暴走族の種車となり変わり果てた姿で見つかることが多かったので、私は不人気で盗難される可能性が低く、軽量で慣性が小さく限界速度域の挙動が穏やかでバンク角が深くライディング技術を磨きやすい空冷250cc単気筒のホンダGB250CLUBMANに乗っていました、当時給油所に勤務していた私は、毎週末当時小倉南区下曽根に存在していた、旧北九州空港へ飛行訓練に通っていました、同僚にホンダRS125Rでロードレース地方選手権に参戦していた人がいましたので、整備時に試運転調整で乗せて貰っていました。
当時はレギュレーションで有鉛ガソリンOKの時代でしたので、競技車用燃料として航空用ガソリン/アブガスは使用されていました。
私も、飛行訓練の伝手ルートで航空用ガソリン/アブガスを入手し、お礼として持参していました。
航空用ガソリン/アブガス使用時のRS125Rの加速は凄まじいものでした。コントロールするのがやっとの事でしたね・・・
その後暫く2輪は降りていたのですが、2000年代に入り大型2輪運転免許を取得し、スズキDJEBEL200、ヤマハSRX600を入手し、ライダーに戻りました。又しても空冷単気筒車という変態です。
現在大分で使用している軽トラにライダー仲間とオフロード車2台を載せて宮崎林道ツーリングを敢行したり、楽しかった時代でした。
2輪車でのオフロード走行技術は、4輪車でも使えるのが多いので役立ちますよ。
、
総じて排気量の割に軽量なので、限界域の挙動が制御し易かったです。
ライダー仲間では輸出仕様の1L超級の大排気量車を中古で入手し、乗っていた人が多かったのですが、福岡では数年間に1回の割合で大事故に会う人が多かったので、現在は降りています。
私が運転免許を取得した1980年代後半は、2スト250ccのレーサーレプリカ全盛期で、ホンダNS/NSR、ヤマハTZR、スズキRG-Γ/RGV-Γ、カワサキKR等が大挙して市中に溢れ、2輪関係の雑誌には、革ツナギ姿にフルフェイスヘルメット、膝には皮革製摩擦パッド、若しくはプラスチック製まな板で作った自家製摩擦パッドを装着したライダー達がリーンイン姿で峠道で自慢のコーナーリング姿勢を撮影した投稿写真が溢れていました。
世界ロードレース選手権でもホンダNSR、ヤマハYZR、スズキRG-Γ/RGV-Γ、カワサキKR等のワークスマシン、日本国内の地方選手権でもホンダRS、ヤマハTZ:以上ロードレース、ホンダCR、ヤマハYZ、スズキRM、カワサキKX:以上モトクロス等の市販レーサーが覇権を競い合っていました。
当時は、2ストエンジン全盛期で、市販公道仕様車の出力は、エキスパンションチャンバーと言われる排気管の形状により制限されていたので、購入時のメーカーライン装着のチャンバーではなく、後付け部品メーカーのチャンバーを購入し、取り付けるだけで、2スト250ccでの自主規制値45PSから80PS台まで上昇していました。
エンジン構造も単純でしたので、ピストン、クランク軸バランス取り、シリンダー壁精密研磨、吸排気ポート精密研磨等で出力向上していました。
続いて、1990年代に入り、4スト4気筒ネイキッド車が人気を博し、ホンダCB、ヤマハXJR、スズキバンディッド、カワサキゼファー等が大人気になりました。
当時、4気筒400ccネイキッド車は盗難される可能性が高く、盗難されると暴走族の種車となり変わり果てた姿で見つかることが多かったので、私は不人気で盗難される可能性が低く、軽量で慣性が小さく限界速度域の挙動が穏やかでバンク角が深くライディング技術を磨きやすい空冷250cc単気筒のホンダGB250CLUBMANに乗っていました、当時給油所に勤務していた私は、毎週末当時小倉南区下曽根に存在していた、旧北九州空港へ飛行訓練に通っていました、同僚にホンダRS125Rでロードレース地方選手権に参戦していた人がいましたので、整備時に試運転調整で乗せて貰っていました。
当時はレギュレーションで有鉛ガソリンOKの時代でしたので、競技車用燃料として航空用ガソリン/アブガスは使用されていました。
私も、飛行訓練の伝手ルートで航空用ガソリン/アブガスを入手し、お礼として持参していました。
航空用ガソリン/アブガス使用時のRS125Rの加速は凄まじいものでした。コントロールするのがやっとの事でしたね・・・
その後暫く2輪は降りていたのですが、2000年代に入り大型2輪運転免許を取得し、スズキDJEBEL200、ヤマハSRX600を入手し、ライダーに戻りました。又しても空冷単気筒車という変態です。
現在大分で使用している軽トラにライダー仲間とオフロード車2台を載せて宮崎林道ツーリングを敢行したり、楽しかった時代でした。
2輪車でのオフロード走行技術は、4輪車でも使えるのが多いので役立ちますよ。
、
総じて排気量の割に軽量なので、限界域の挙動が制御し易かったです。
ライダー仲間では輸出仕様の1L超級の大排気量車を中古で入手し、乗っていた人が多かったのですが、福岡では数年間に1回の割合で大事故に会う人が多かったので、現在は降りています。
- 2016年12月23日
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