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関根崇暁

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BlueBlue.jpg 「背中に背負う蒼色は鳥から見た海の色」 「お腹に抱く蒼色は魚から見た空の色」 「BlueBlue 海を愛する人へ―」 「Where's your Blue?」 ima_banner.gif 株式会社アムズデザイン運営のima公式web site。シーバスルアーkomomo,sasuke等の紹介。ルアーテスターの釣行記、コラム等も掲載。

東京湾 利根川東遷事業と遡上魚達 その2

川には歴史がある、人々が営んできた川との暮らしがある、一見釣りには無関係に思えるその歴史も、紐解く事でこれまでとは別の視点・観点で釣り場を視ることが出来る。
普段何気なく、乗っているゴロタ石も、数百年前に人が運んだ護岸の跡かもしれないのである。
過去の歴史の中で、人々は洪水と闘ってきた。そして、利根…

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東京湾 利根川東遷事業と遡上魚達 その1

大昔、利根川と荒川は河口で出合い東京湾に流れ込んでいた。
この二大河川、それと大田区羽田に流れ込む多摩川が広大な干潟を形成した東京湾と関東平野を形成したとされる。
やがて、江戸時代、最初の将軍である徳川家康が命じた利根川東遷事業(とねがわとうせんじぎょう 1954~1654)にて利根川は鬼怒川に繋がり、銚子…

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釣りに行けない休日。

年齢を重ねると共に、以前にも増して釣りを考える事が増えた。
なぜなら?の結論。「釣りに行けないから」である。
この冬も釣りに行く事が出来ない日々を悶々と過ごしている。
仕事、家族、釣り、相変わらずの三足の草鞋をかわるがわる履く生活。
僕の足は二本しか無いから、当然速くは進む事が出来ない。
全てにおいて進…

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遥かなる空に。

昭和59年12月のこと。
釣り友達に教わった城下町の釣具屋までは自転車漕ぐ事40分の道のり、ある日、学校が終ると大急ぎでその釣具屋を目差した。
川沿いの道を走り、大きな工場の交差点を曲がり、通りゃんせ♪の電子音の流れる点滅の横断歩道を渡る。
城のお堀を横目で見ながら国道を越えると、黄色いダイワの看板が見…

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もう、逢え無いかもしれない。

本当に急がないと時間が無い。
全てが失われる前に、逢わなければならない魚、スズキ目唯一の淡水魚オヤニラミ。
逢えなくなる日、それが現実になる日は近づいている。
先日の発表で、絶滅危惧II類(VU)絶滅の危険が増大している種から
絶滅危惧ⅠB類(EN)将来に絶滅の危機にランクが上がってしまった。
オヤニラミ Core…

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解禁日の回想

2月1日は福井県は九頭竜川の解禁日、サクラマスを夢見るアングラーは現場にいるか、状況を知りたくてそわそわしているであろう日。
僕が毎年行ってたのは、もう10年以上前。
この写真は北陸道の下流だった気がする。
片道550キロだっただろうか・・・情熱任せに走ってたあの頃。
雪の日も、吹雪の中も。
雹の日も、爆風…

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大阪FS

恥ずかしながら、フィッシングショーなるものに一度も行ったことが無い。
メディアアングラーとしての活動において、コレは結構な致命傷な気がするのであるが、今後の活動の中で徐々に自分の時間を作れる様に努力しなければ成らないと思っている。
今回も、気持ちの上では行きたいのであるが、仕事の都合が付かず断念せざ…

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釣具屋の未来 

今回は釣行記ではありません、読み物として読んでください(笑)
少しメッセージが含まれます。
僕らがこれから出来る事を伝えたいと思います。
前回の小物釣の翌日の事である。
外出の張り紙がしてあった近所の釣具屋が気になり、出かけてみた。
昭和の雰囲気を残した、昔の商店街にその釣具屋はひっそりと店を構えている…

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「一夜一本」釣りのスタンス。

今日、福岡県筑後地方に小雪が舞った。
少し寒波が緩むとまた次の寒波、春遠からずとはいえ1月はやはり冬だ。
今日はPCに向かっている。
僕は、このfimoの中でアドバンスなんていう立派な肩書きを頂いているのに、滅多に釣に行けない人間である。
どうして僕は釣りに行けなくなったのだろうか?
答えはわかっている、それ…

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楽しく釣る為の模範

僕は今まで「釣は自由である」と唱えてきた。
もちろん自由に釣る為に注力してきたし、これからも方向性を変えるつもりは無い。
そもそも、釣は何かに拘束されるものではないから自由なのであるが。
釣ることを選ぶことも、釣らない事を選ぶことも、自由。
そんな自由を手にするには、まず、釣れるようになることである。

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