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山﨑航希

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あれから10年。

  • ジャンル:日記/一般

みなさん、こんにちは。


今日はちょっと釣りとは関係ない話を。

昨日は、3月11日。
東日本大震災から、10年目の日でした。

当時、私は青森県八戸市に住んでいました。

まだ専門学校に通っていて。
先輩の卒業式に出席して、さあ帰ろうという時。

バスの中で「あれ揺れてないか?」と思った瞬間、大きな揺れに。
かなり揺れたのを覚えている。

車で帰る際中。
学校の下の工場から、職員の方が避難しているのが見えた。

そして、津波が来ていた。

その後、学校からの通達で避難所に避難してくださいと言われ避難所で2日ほど過ごした。

停電、物資の不足、寒さ、いつ回復するのかわからない状況。

被害はそこまででもなかった場所でも、みんなが不安だっただろう。

行き先不明の状況、家族が無事なのかわからない状態で避難所にいた人は精神的に不安が強かったと思う。

状況が少し落ち着き、2日後に実家に帰る道中はすごかった。

街路樹の上に小型の船。
車がひっくり返されている。


日常にはない光景があった。

実際目の当たりにすると、こんなにすごかったのかと少し怖かったのを覚えている。

被害がすごかった地域の出身の友人もいて、親と連絡が取れず、心配だった。
その友人の家族は、自宅が高台にあり無事だった。

自然災害っていうのはいつ起こるかわからない。

この日を振り返ると、日頃から備えておくことって、大事なことだなあと感じる。

物だけではなくて、連絡手段や、そうなったときにどういった行動をするべきかを考えておかなければいけない。

あと、震災の後に知ったことだが。

震災のボランティアという名目や人がいない状態に漬け込み、金品の窃盗をする人がいたということには非常に腹立たしく思う

非人道的すぎる。

被災やそんな非人道的すぎる行為にも負けず、復興に尽力された方々もいることも忘れてはいけない。

街並み等が復興されたとしても、人の心には癒えない傷も残っただろう。

東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。


まとまりのない文章でしたが。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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