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▼ 大義なき時代
三島由紀夫はこの時代を大義なき時代だと非難して自衛隊の発起を呼びかけた後、割腹し同志に首を介錯させ自死を遂げた
記録に残されているものを見る限り三島は、押し付けられた憲法の下で戦後の日本人が精神的に荒廃しアメリカのいいなりになり、ただの金儲け主義の社用族なり下がったと愚痴をこぼしていた
一方で、実は開高健と三島由紀夫とはつながりがある
開高健は若いころ(芥川賞を受賞した後ではあるが)ヴェトナム戦争に週刊朝日の臨時特派員としてアメリカ側(南ヴェトナム側)から戦場に赴いたことがあり、この体験を基に「ヴェトナム戦記」というルポルタージュを週刊誌に連載した
この行動に対して三島は次のように批判した
「まあ、卑近な例だけれども、開高健がベトナムでヴェトコンの銃殺シーンを書いている。なんにも見ていない。僕は驚いた。それはこっちで、東京にいて書斎の中で、想像して書いたほうがましだよ。そこまで見るということを信じなくなったら、これはもう、非常に衰弱だと思うよ。やはり作家というものは見なければならないし、(中略)見ること自体が行動だということにならなければ。そうしていちばんスタティックな、人間の抽象作用のなかで、いちばんスタティックなものが行動だということにならなければ、言語は成立しない。」
ある意味、作家開高健の全否定をしているのである
どちらが正しいかということを言うつもりもない
作家の生き方などどうでもいいとも思う
作品が全てである
でたらめな人生を送りながら優れた作品を残した芸術家たちはたくさんいる
ただ、自分は三島の作品(「仮面の告白」や「金閣寺」など)も高校生の頃に読んでは見たが、引き込まれるような面白さは感じなかった
(今読めばまた感想は変わるかもしれないが)
三島のいう大義なき時代はまだまだ続きそうである
三島は冒頭の動画でも述べているが、民主主義を大義の成立しない倦怠なものだと語っている
三島が大義の下に死を選択できる時代に、ある意味、憧れていたことは間違いなさそうである
ただ三島の考え方を100%否定する気持ちにもなれない
彼には彼の美学、考え方があり、日本人がその伝統文化を捨て西洋を模倣し、武士として生きることができなくなったこの時代を嘆き、既に昭和40年代に憲法改正を訴えていたことは、三島の考え方の中に先見性、普遍性をも感じる
では、開高健と三島由紀夫は何が違うのか
開高は戦争体験で壮絶な死を目の前にした後(実際に開高も戦場でヴェトコンの猛攻撃を受け死にかけている)、その眼差しは自然に、向かった。自然の中で生かされている人間。
開高の魚釣りは、自分が生きていることの証を得たいという動機ではないかと自分は思っている。釣れた魚は自分自身である。釣り人が大きな立派な魚が釣れたら嬉しいのは、その魚に自分自身を投影しているからだ。だからこそその頃は珍しかったキャッチ&リリースも自然の成り行きだったのであろう
一方、三島はどうか、彼は晩年に近い頃、自分の肉体を鍛えていた。それもある意味自分の生を感じたかったからだと思う。ただ三島は人間以外の自然に目を向けることはなかったように思う。自然の中で生かされている人間という視点は彼の中にはなかったように思う。
開高は凄惨な戦場を目の当たりにして、混沌かつ豊饒な自然に帰っていきその中で改めて人間とはどんなものか釣りや旅をとおしてずっと探り続けた作家だと思うが、三島は自分の理想、人間の理想像を掲げこれを追求し、それを自らの手で実現しようとして闘った作家だったような気がする ある意味ベクトルが正反対の両者である
今、両者が生きていれば三島は94歳
開高は89歳
令和の時代をどう感じたであろうか
- 2019年5月3日
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