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▼ 西方見分録3 紀伊半島
- ジャンル:日記/一般
- (雑記)
経路
鳥羽ー志摩ー南伊勢ー紀北ー尾鷲ー御浜ー紀宝ー新宮ー那智勝浦ー太地ー串本ーすさみー白浜ー上富田ー田辺ーみなべー印南ー御坊ー日高ー由良ー湯浅ー有田ー海南ー和歌山
期間
10/24~11/5
歩行距離
約360km
釣行場所、釣果
神前浦港 ×
尾鷲港中川河口 ×
熊野川河口 ×
太田川河口 セイゴ マゴチ
古座川 アイゴ(スレ) メッキ
富田川河口 メッキ
日高川 ×
伊勢湾フェリーは鳥羽の岸壁に着岸。
ここから海沿いに紀伊半島を巡っていく。
鳥羽から熊野まではリアス式海岸で小さな湾がいくつもあり、鋸の歯のような複雑な地形となっている。
湾内は養殖漁業が盛んらしく海上には沢山のイカダやブイが浮いている。
なかでも真珠を作るアコヤガイの養殖が特に有名のようで、世界ではじめてアコヤガイの養殖に成功したのが鳥羽なのだそうだ。
イカダ上では釣りもできるらしく、道路上にはイカダ釣りを案内する広告看板がいくつも立っていた。
また紀北町から尾鷲市までは林業が盛んらしく街中ではヒノキの香りがして癒される。
道を歩いてみると、山と谷の連続で谷には大体川がありその川の大きさに比例するように周辺にできる集落の大きさも決まっているようにおもえる。
谷の部分はコンビニや商店があるし、道の起伏もないのでたすかるが、問題は山道。
上りは体力的にキツイし、山に入ると何故か歩道がなくなり小さな路側帯を歩くことになるので大変危険。
大型トラックの往来が激しい場所もおおいのでおっかなびっくり歩くことになった。
なかでも紀伊半島で一番の難所だったのが尾鷲から熊野までの約30kmにおよぶ国道42号線の山道。
尾鷲で蚊に襲われて寝ることができなかったので午前2時に出発し熊野を目指す。。
20km先に道の駅"熊野きのくに"があるのでここで休憩したのち熊野まで行く予定であったが、苦労して山を上り午前7時頃道の駅に到着するとまだ全然空いていない。
ここは山の上。
道路の脇に掲示されている気温は4℃。
歩いているときはよかったが止まるととんでもなく寒い。
周囲には民家しかなく、開いていそうな店などはなにもない。
8時くらいになったら道の駅があくと思いまっていたが、いくら時間がたっても全く人の気配がない。
日曜日なのにあかないのか…。
寒さに耐えられなくなり公衆便所で暖をとって9時までまったが結局道の駅のインフォメーションセンターは閉じられたままだった。
9時くらいなると流石に暖かいので出発したが、熊野市街についたころにはもうふらふらだった。
実働してないならちゃんとそう広報してくれよ…。
熊野市に入るまでに尾鷲と南伊勢の神前浦港で竿を出したがノーバイト。
伊勢の河川は透明度が高く、橋の上からクロダイが沢山見えたので魚はいないことはないと思うのだが、腕が悪かったか。
熊野市から新宮市にかけては、伊勢の急峻な海岸から一変して七里御浜という20km以上におよぶ砂浜が続いている。
ルアー購入のため立ち寄った釣具屋の店主の話しによるとつい先日までこの砂浜でタチウオが釣れていたそう。
しかし、私が浜に到着した時は台風の影響でウネリが入っており、海岸線に背丈をはるかに越える壁のような波が押し寄せていたため竿をだすことはできなかった。
このとき店主との会話の中で急に「兄ちゃん普段何釣ってんの?マグロ?」と訊かれ、まさか紀伊半島でマグロの話しが出ると思わず、また私は本当に日常的にマグロを狙っているので図星をつかれ驚いた。
ウソをいってもしょうがないので、南の島でマグロを釣っているという旨を告げると、どうやら冗談と捉えられたらしく微妙な反応をされた。
その後南下し紀伊半島で出会う最初の大河川、熊野川に到着した。
話しは逸れるが紀伊半島南部では熊野市以外のところでも「熊野古道」とか「熊野三山」などやたらと「熊野」という文字を目にする。
どうやらこのあたりは律令時代熊野国ということでひとくくりであったらしい。
そして、平安時代に皇族、貴族が熊野三山に参詣するようになり、室町の頃には庶民にも熊野詣での風習が広がり、今では世界遺産というわけだ。
熊野は全体が浄土の地と考えられ、人々は救いを求め、生きながらにして生まれ変わることを祈って熊野の道を歩いたそうだ。
私は救いなんて求めていないし、ましてや生まれ変わりたくなどけっしてないが昔蟻の列のようと言われるくらい沢山の人がこの道をあるいたと思うとご利益があるかもなどと思ってしまう。
いや、むしろ不信心者にはばちがあたるだろうか…。
さて、本題の熊野川河口での釣りであるが、こっちは河原に野宿して休み休み一晩中竿を振ったがノーバイトで終わってしまった。
河口の新宮市側は足下から水深がありキャスト先着水点で15gのペンシルが着底まで20カウント、中間点で15カウントくらい。
いかにも大物が回遊してきそうなのでもう少し寒くなり鮎が落ちてきたら良い魚が出るかもしれない。
熊野川を後にして、捕鯨とその反対活動で有名になった太地町を通過。
次は那智勝浦を流れる太田川で釣りをすることにした。
太田川は最下流に架かる橋から見ると川幅が広いが水深は膝下くらいしかない。
河口にいくと川幅は狭まり、海への流出部の幅は10mほどだが底が見えないくらい水深がある。
下見をした感じだと魚が食ってきそうなポイントは河川内では最下流の深み、海側は川の流れだしとその横に広がる砂浜。
明るい内にできるだけポイントの情報を知りたいのでFミノーをキャストしながらポイントの偵察をしていると川の流出でヒット!
上がってきた魚は35cmくらいのマゴチ!!
本遠征でファーストフィッシュ!!
思わず浜辺で絶叫。
対岸のアングラーには申し訳ないが叫ばずにいられないくらいうれしい。
さらに少し横移動した先の砂浜でも当たったが、こちらはフッキングせず。
暗くなってからはバイブレーションで20cmくらいの超小型だがセイゴも釣れた。
とりあえず魚の型を見ることができたのでひと安心。
その先の紀伊半島最南端付近を流れる清流で一級ポイントとの呼び声高い古座川も期待したが、夕マズメにメッキとアイゴがスレで上がってきただけで、夜は熊野川に続きここでもノーバイト。
遠征ではポイントを絞りづらい大河川より太田川のようなのような中~小規模の場所が攻略しやすいのかもしれない。
紀伊半島最南端で本州最南端となる潮岬がある串本町を通過し、紀伊半島の西岸を北上していく。
潮岬とその横にある大島にも寄ろうか迷ったが、ここは昔ヒラスズキを狙いに来たことがあったし、今持っている道具で狙える好ポイントもないのでスルーした。
紀伊半島西岸を北上していくとまず日置川という鮎で有名な大河川と行き当たる。
到着したのはまだ昼前。
ここで私は熊野川や古座川の例を思い出して考える。
遠征の短い時間では攻略しきれない大きな川を攻めるより太田川くらいの規模の小場所で釣りをした方が良いのではないかと。
そういうわけで日置川では釣りをせず、少し先にある白浜町の富田川で竿を出すことにした。
過去の成功体験が現在、そして未来の失敗に繋がるということはよくあることだ。
個人にしろ集団にしろ一度ある方法で上手くいくとその方法ばかりに頼ってしまい、新しいことを取り入れたり、他のもっと良いやり方を探ることをしなくなってしまう。
そうして昔成功したやり方が時代遅れになったり、通用しなくなったりした時に自滅した個人や組織は数えきれないほどあるだろう。
そのことは常に意識してなるべく過去に良かった体験は忘れるように努めているが、いざとなるとやっぱり直近の成功例に頼ってしまうのは人の弱さか…。
そんなことを思いつつ釣場にはいった富田川だったが、魚の気配は濃厚で、先行者がマゴチを釣ったり目の前でシーバスがボイルしたりしたが、夕マズメの3時間で釣れたのはメッキ一匹。
釣れたこと自体は喜ばしいが、島に戻れば家の前の海にこいつの親分みたいなのがいるので有り難みは全然ない。
なお、これは後に知ったことだが富田川の河口では10年くらいまえにメーターオーバーのアカメが釣れたそうだ。
やはり小さな川でも油断はできない。
翌日には御坊市の大河川日高川を攻めるも魚っけなし。
この時点で釣れない紀伊半島での釣りに見切りをつけフェリーで和歌山から四国にわたることを決めた。
昔、高知に遠征したときに柏島から宿毛にかけての磯でヒラスズキがよく釣れ、川でもぼちぼち魚が釣れた。
真冬であれだけ釣れたのだから秋の今いけばきっともっと釣れるだろうし、瀬戸内海を行くより高知の外洋で釣りをした方がきっと気持ちが良いはずだ。
そんなわけで釣りは控えて一気に北上。
御坊市から和歌山市にかけてはこの旅で一日の歩行距離としては最長となる51kmをあるいた。
このエリアはミカン畑が多く、山の斜面一帯に広がるミカンの木は圧巻だった。
また、田んぼはちょうど稲の刈り入れの時期で、脱穀のすんだ稲藁を野焼きしている様子が所々で見られる。
私の実家はベットタウンでこうした日本の田舎の風景を幼少のころにみた記憶はあまり無いのだが、このような光景をみてなぜか故郷を懐かしく思う。
野焼きの煙の匂いのせいかもしれない。
私の実家の近くでも秋になると野焼きの煙たい匂いがどこからか風にのってきた。
ちょうどこのとき幼なじみから二度目の入籍をした旨の連絡がきた。
そういえば彼とちょうど寒くなり始めた今くらいの時期に相模川に鯉を釣りにいったとき、焚き火をして暖をとっていたら大人に見つかって怒られた。
野焼きの様子をみながら歩き、昔のことを思い出す。
もうあれから20年経った。
私も幼なじみも実家の周辺も随分と変わった。
当時はどこの川にでもいる鯉でも夢中になって釣っていた。
では、今はどうだろう。
様々な魚を釣り、知識や技術は身に付いたが、経験を積むにつれ魚を釣り上げること自体の感動は薄れてきている気がする。
「昔はよかった」などということは口が裂けても言いたくないが、少し寂しくなった。
和歌山市のアウトドアショップではついにテントを購入した。
歩きの旅では色々持ち歩いていればなにかと便利だが、持ち物が多ければその分ザックの重量はましていく。
常に利便性と歩きやすさを天秤にかけて考えなくてはならない。
これまでは歩きやすさを重視していたが、このころには足が歩くことに慣れたことと、夜の寒さが厳しくなってきたり野営場所に酔っぱらいが乱入してきたりするハプニングが続いて睡眠不足気味だったことがテント購入の決め手だった。
和歌山港の南海フェリーは徳島市と和歌山市をむすんでいる。
徳島に到着したら南下し四国の太平洋側の海岸を釣りをしながらあるいていく予定だ。
フェリーが和歌山を離れる。
南紀の海は透明だったが、北上していったらいつの間にか紀伊水道の海は濁りが強くなっていた。
伊勢湾フェリーでは乗船と同時に寝てしまったが、この生活に慣れたせいか南海フェリーでは寝ることはなかった。
写真
1 太田川 マゴチ
2 太田川 セイゴ
3 古座川 アイゴ(スレ)
4 古座川 メッキ
5 富田川 メッキ





鳥羽ー志摩ー南伊勢ー紀北ー尾鷲ー御浜ー紀宝ー新宮ー那智勝浦ー太地ー串本ーすさみー白浜ー上富田ー田辺ーみなべー印南ー御坊ー日高ー由良ー湯浅ー有田ー海南ー和歌山
期間
10/24~11/5
歩行距離
約360km
釣行場所、釣果
神前浦港 ×
尾鷲港中川河口 ×
熊野川河口 ×
太田川河口 セイゴ マゴチ
古座川 アイゴ(スレ) メッキ
富田川河口 メッキ
日高川 ×
伊勢湾フェリーは鳥羽の岸壁に着岸。
ここから海沿いに紀伊半島を巡っていく。
鳥羽から熊野まではリアス式海岸で小さな湾がいくつもあり、鋸の歯のような複雑な地形となっている。
湾内は養殖漁業が盛んらしく海上には沢山のイカダやブイが浮いている。
なかでも真珠を作るアコヤガイの養殖が特に有名のようで、世界ではじめてアコヤガイの養殖に成功したのが鳥羽なのだそうだ。
イカダ上では釣りもできるらしく、道路上にはイカダ釣りを案内する広告看板がいくつも立っていた。
また紀北町から尾鷲市までは林業が盛んらしく街中ではヒノキの香りがして癒される。
道を歩いてみると、山と谷の連続で谷には大体川がありその川の大きさに比例するように周辺にできる集落の大きさも決まっているようにおもえる。
谷の部分はコンビニや商店があるし、道の起伏もないのでたすかるが、問題は山道。
上りは体力的にキツイし、山に入ると何故か歩道がなくなり小さな路側帯を歩くことになるので大変危険。
大型トラックの往来が激しい場所もおおいのでおっかなびっくり歩くことになった。
なかでも紀伊半島で一番の難所だったのが尾鷲から熊野までの約30kmにおよぶ国道42号線の山道。
尾鷲で蚊に襲われて寝ることができなかったので午前2時に出発し熊野を目指す。。
20km先に道の駅"熊野きのくに"があるのでここで休憩したのち熊野まで行く予定であったが、苦労して山を上り午前7時頃道の駅に到着するとまだ全然空いていない。
ここは山の上。
道路の脇に掲示されている気温は4℃。
歩いているときはよかったが止まるととんでもなく寒い。
周囲には民家しかなく、開いていそうな店などはなにもない。
8時くらいになったら道の駅があくと思いまっていたが、いくら時間がたっても全く人の気配がない。
日曜日なのにあかないのか…。
寒さに耐えられなくなり公衆便所で暖をとって9時までまったが結局道の駅のインフォメーションセンターは閉じられたままだった。
9時くらいなると流石に暖かいので出発したが、熊野市街についたころにはもうふらふらだった。
実働してないならちゃんとそう広報してくれよ…。
熊野市に入るまでに尾鷲と南伊勢の神前浦港で竿を出したがノーバイト。
伊勢の河川は透明度が高く、橋の上からクロダイが沢山見えたので魚はいないことはないと思うのだが、腕が悪かったか。
熊野市から新宮市にかけては、伊勢の急峻な海岸から一変して七里御浜という20km以上におよぶ砂浜が続いている。
ルアー購入のため立ち寄った釣具屋の店主の話しによるとつい先日までこの砂浜でタチウオが釣れていたそう。
しかし、私が浜に到着した時は台風の影響でウネリが入っており、海岸線に背丈をはるかに越える壁のような波が押し寄せていたため竿をだすことはできなかった。
このとき店主との会話の中で急に「兄ちゃん普段何釣ってんの?マグロ?」と訊かれ、まさか紀伊半島でマグロの話しが出ると思わず、また私は本当に日常的にマグロを狙っているので図星をつかれ驚いた。
ウソをいってもしょうがないので、南の島でマグロを釣っているという旨を告げると、どうやら冗談と捉えられたらしく微妙な反応をされた。
その後南下し紀伊半島で出会う最初の大河川、熊野川に到着した。
話しは逸れるが紀伊半島南部では熊野市以外のところでも「熊野古道」とか「熊野三山」などやたらと「熊野」という文字を目にする。
どうやらこのあたりは律令時代熊野国ということでひとくくりであったらしい。
そして、平安時代に皇族、貴族が熊野三山に参詣するようになり、室町の頃には庶民にも熊野詣での風習が広がり、今では世界遺産というわけだ。
熊野は全体が浄土の地と考えられ、人々は救いを求め、生きながらにして生まれ変わることを祈って熊野の道を歩いたそうだ。
私は救いなんて求めていないし、ましてや生まれ変わりたくなどけっしてないが昔蟻の列のようと言われるくらい沢山の人がこの道をあるいたと思うとご利益があるかもなどと思ってしまう。
いや、むしろ不信心者にはばちがあたるだろうか…。
さて、本題の熊野川河口での釣りであるが、こっちは河原に野宿して休み休み一晩中竿を振ったがノーバイトで終わってしまった。
河口の新宮市側は足下から水深がありキャスト先着水点で15gのペンシルが着底まで20カウント、中間点で15カウントくらい。
いかにも大物が回遊してきそうなのでもう少し寒くなり鮎が落ちてきたら良い魚が出るかもしれない。
熊野川を後にして、捕鯨とその反対活動で有名になった太地町を通過。
次は那智勝浦を流れる太田川で釣りをすることにした。
太田川は最下流に架かる橋から見ると川幅が広いが水深は膝下くらいしかない。
河口にいくと川幅は狭まり、海への流出部の幅は10mほどだが底が見えないくらい水深がある。
下見をした感じだと魚が食ってきそうなポイントは河川内では最下流の深み、海側は川の流れだしとその横に広がる砂浜。
明るい内にできるだけポイントの情報を知りたいのでFミノーをキャストしながらポイントの偵察をしていると川の流出でヒット!
上がってきた魚は35cmくらいのマゴチ!!
本遠征でファーストフィッシュ!!
思わず浜辺で絶叫。
対岸のアングラーには申し訳ないが叫ばずにいられないくらいうれしい。
さらに少し横移動した先の砂浜でも当たったが、こちらはフッキングせず。
暗くなってからはバイブレーションで20cmくらいの超小型だがセイゴも釣れた。
とりあえず魚の型を見ることができたのでひと安心。
その先の紀伊半島最南端付近を流れる清流で一級ポイントとの呼び声高い古座川も期待したが、夕マズメにメッキとアイゴがスレで上がってきただけで、夜は熊野川に続きここでもノーバイト。
遠征ではポイントを絞りづらい大河川より太田川のようなのような中~小規模の場所が攻略しやすいのかもしれない。
紀伊半島最南端で本州最南端となる潮岬がある串本町を通過し、紀伊半島の西岸を北上していく。
潮岬とその横にある大島にも寄ろうか迷ったが、ここは昔ヒラスズキを狙いに来たことがあったし、今持っている道具で狙える好ポイントもないのでスルーした。
紀伊半島西岸を北上していくとまず日置川という鮎で有名な大河川と行き当たる。
到着したのはまだ昼前。
ここで私は熊野川や古座川の例を思い出して考える。
遠征の短い時間では攻略しきれない大きな川を攻めるより太田川くらいの規模の小場所で釣りをした方が良いのではないかと。
そういうわけで日置川では釣りをせず、少し先にある白浜町の富田川で竿を出すことにした。
過去の成功体験が現在、そして未来の失敗に繋がるということはよくあることだ。
個人にしろ集団にしろ一度ある方法で上手くいくとその方法ばかりに頼ってしまい、新しいことを取り入れたり、他のもっと良いやり方を探ることをしなくなってしまう。
そうして昔成功したやり方が時代遅れになったり、通用しなくなったりした時に自滅した個人や組織は数えきれないほどあるだろう。
そのことは常に意識してなるべく過去に良かった体験は忘れるように努めているが、いざとなるとやっぱり直近の成功例に頼ってしまうのは人の弱さか…。
そんなことを思いつつ釣場にはいった富田川だったが、魚の気配は濃厚で、先行者がマゴチを釣ったり目の前でシーバスがボイルしたりしたが、夕マズメの3時間で釣れたのはメッキ一匹。
釣れたこと自体は喜ばしいが、島に戻れば家の前の海にこいつの親分みたいなのがいるので有り難みは全然ない。
なお、これは後に知ったことだが富田川の河口では10年くらいまえにメーターオーバーのアカメが釣れたそうだ。
やはり小さな川でも油断はできない。
翌日には御坊市の大河川日高川を攻めるも魚っけなし。
この時点で釣れない紀伊半島での釣りに見切りをつけフェリーで和歌山から四国にわたることを決めた。
昔、高知に遠征したときに柏島から宿毛にかけての磯でヒラスズキがよく釣れ、川でもぼちぼち魚が釣れた。
真冬であれだけ釣れたのだから秋の今いけばきっともっと釣れるだろうし、瀬戸内海を行くより高知の外洋で釣りをした方がきっと気持ちが良いはずだ。
そんなわけで釣りは控えて一気に北上。
御坊市から和歌山市にかけてはこの旅で一日の歩行距離としては最長となる51kmをあるいた。
このエリアはミカン畑が多く、山の斜面一帯に広がるミカンの木は圧巻だった。
また、田んぼはちょうど稲の刈り入れの時期で、脱穀のすんだ稲藁を野焼きしている様子が所々で見られる。
私の実家はベットタウンでこうした日本の田舎の風景を幼少のころにみた記憶はあまり無いのだが、このような光景をみてなぜか故郷を懐かしく思う。
野焼きの煙の匂いのせいかもしれない。
私の実家の近くでも秋になると野焼きの煙たい匂いがどこからか風にのってきた。
ちょうどこのとき幼なじみから二度目の入籍をした旨の連絡がきた。
そういえば彼とちょうど寒くなり始めた今くらいの時期に相模川に鯉を釣りにいったとき、焚き火をして暖をとっていたら大人に見つかって怒られた。
野焼きの様子をみながら歩き、昔のことを思い出す。
もうあれから20年経った。
私も幼なじみも実家の周辺も随分と変わった。
当時はどこの川にでもいる鯉でも夢中になって釣っていた。
では、今はどうだろう。
様々な魚を釣り、知識や技術は身に付いたが、経験を積むにつれ魚を釣り上げること自体の感動は薄れてきている気がする。
「昔はよかった」などということは口が裂けても言いたくないが、少し寂しくなった。
和歌山市のアウトドアショップではついにテントを購入した。
歩きの旅では色々持ち歩いていればなにかと便利だが、持ち物が多ければその分ザックの重量はましていく。
常に利便性と歩きやすさを天秤にかけて考えなくてはならない。
これまでは歩きやすさを重視していたが、このころには足が歩くことに慣れたことと、夜の寒さが厳しくなってきたり野営場所に酔っぱらいが乱入してきたりするハプニングが続いて睡眠不足気味だったことがテント購入の決め手だった。
和歌山港の南海フェリーは徳島市と和歌山市をむすんでいる。
徳島に到着したら南下し四国の太平洋側の海岸を釣りをしながらあるいていく予定だ。
フェリーが和歌山を離れる。
南紀の海は透明だったが、北上していったらいつの間にか紀伊水道の海は濁りが強くなっていた。
伊勢湾フェリーでは乗船と同時に寝てしまったが、この生活に慣れたせいか南海フェリーでは寝ることはなかった。
写真
1 太田川 マゴチ
2 太田川 セイゴ
3 古座川 アイゴ(スレ)
4 古座川 メッキ
5 富田川 メッキ





- 2018年11月19日
- コメント(2)
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