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目標達成 オカッパリ10キロ超

まずこの釣行について記述する前に私とカンパチとの関係について書かねばなるまい。

私とカンパチとのファーストコンタクトはこの日から6年ほど前まで遡る。
当時の関東ではショアジギングなる釣りが流行の兆しを見せはじめており、私もヒラスズキ釣りの時にたまに喰ってはラインをブチ切ってゆく青物をひとつ本格的に狙ってみたいと思っていた。
そんなおりタイミングよく大学時代の釣友が伊豆諸島は利島に移住したので、「これは宿代が浮くぞ」と利島へのショアジギング遠征を計画したのである。

季節は梅雨の6月。
利島は真夏に行けば大型シイラが2本ある堤防の両先端から狙えるが、この時は特に何も考えずに「島だし、行けばなんか釣れるでしょ!」というような具合で事前情報はほとんど仕入れず行き当たりばったりの遠征であり、ターゲットも特に決めてはいなかった。
タックルはヒラスズキ用では心許なかったので奮発してショアジギング専用のものを購入。
この時はまだ回遊魚はイナダくらいしか釣ったことがなかったので、ショアジギングタックルはやたらと重く固く、そして魚ごときに大げさなロッドという印象だった。
しかし遠征初日その大げさと思われていたロッドが大きく曲げられた。
「とてつもない大物がかかった!」そう感じた。
この時すでにヒラスズキの80cmオーバーを釣ったことがあったがそのヒラスズキより引きが強い。
ファイト中、かかった魚がどれほど大きなものなのかワクワクしていた。が、浮かんできた魚影を確認して唖然としてしまった。
あまりに小さいのである。
強い引きをみせた魚の正体はカンパチ。重さは2.5kg
なんとまぁパワフルな魚がいたものである。
ちなみ利島の堤防でカンパチの2.5kgというサイズは結構大型らしく、島民から羨望の眼差しでみられた。
この遠征では他にカサゴくらいしか釣れなかったが、カンパチのファイトはこの魚の強力さ、偉大さを強く印象付けさせるインパクトのあるものだった。

ただ、この時私ははまだまだヒラスズキ釣りのゲーム性の高さに夢中になっており、青物釣りをメインに遠征することはしばらくたってからであった。

その後回遊魚を本格的に狙うようになったのは神津島の磯でカンパチがねらえることを知ってからである。
今住んでいる島に来る2年ほど前の夏のこと。
例年ならヒラスズキのオフシーズンである夏はトラウトを釣りに行くことが多かったのであるが、この年は違った。
ネットの釣りブログを徘徊していると銭洲やイナンバといった神津島沖磯の記事をいくつか発見。ここではでっかいカンパチやヒラマサが磯から狙え、しかも下田出船で日帰りで帰ってこられるというのだ。
これはトラウトなんて狙っている場合ではない。
早速下田日帰りで神津島に磯渡しを行っている賀寿丸という船に連絡し、銭洲出船当番の日を狙って神津島まで釣りに行った。
この船は夜中に下田を出て一度神津島港に立ち寄り、午前6時になったらイナンバ、銭洲もしくはタダナエなどの沖磯を目指すシステムで、イナンバ銭洲といった遠場に行けるかの判断は神津島港で行っている。私はイナンバか銭洲の遠征日を狙って合計10回くらい遠征にいったが、運が悪くてイナンバ銭洲といった一級磯には渡礁できず近場のタダナエにしか行くことが出来なかった。神津島港で「今日は銭洲(イナンバ)は無理だね~。ルアーの人は平段でいいかい?」と言われるたびに気分が落ちたものだ。
肝心の釣果であるが、行けば1~2キロのカンパチやシイラ、ハガツオ、ツムブリといった魚が何かしら釣れたが、驚くような大物は姿を現さなかった。
ついでに同じく下田から日帰りでいけるウドネ沖磯にも一度いってみたがボウズ。沖上がり後上物釣師が釣果自慢をやりあっているなか一人ぼっちで釣果のなかった私はなんともみじめったらしく、逃げるように帰ったことを今でもよく覚えている。

高い金と多大な時間をかけて伊豆諸島までいってもこのありさま。回遊魚釣りはなんて難しいのだろう!
大型青物を釣るのは容易でないのだが、私の性分で釣れなければ釣れないほど闘志が沸いてくる。
このころから「10キロを越える大きな青物をショアからしとめたい」と強く願うようになっていた。


これと同時期、私はあることを切っ掛けに前の職場に失望していた。
続けるか辞めるか。
おそらく私が私生活で何の趣味もない人間なら続けていたとおもう。
というのは前の職場は福利厚生が手厚く、給料も同世代と比べればもらっていたほうだし、革命でもおきない限り潰れる心配もない。仕事の内容もやろうと思えばいくらでも楽をすることができたからだ。
また長男として、安定した仕事を続けて両親を安心させてやりたい気持ちもあった。

でも私はこの時既に知ってしまっていた。
磯から超ド級の大物と闘える海を。
小笠原。
その海域は私にとってまさに桃源郷であった。



資産家のような例外はあるものの、人生における重要な選択の際には一方をとれば対極にある他のものを失うことになる。
私の尊敬している人物の一人で、ボクシングの伝説的世界チャンピオンであるマーベラスマービンハグラーは「マイノリティーの拳」という本のなかで作者に対してこう語っている
"人は自らが望んだことにたいして決意を持たなければならない、それから自身を犠牲にすることも大事だね。自らを捧げる行為が夢の実現に繋がるんだよ"
と。

私は夢の実現のために犠牲を捧げた。
職歴、安定した所得、友人、そして両親や兄弟といった家族関係を捨て去ることを代償に小笠原に移住しいつでも大物にチャレンジできる生活環境を得たのだ。

前職に未練はなかったが、自身のこれからのことや老いゆく両親の世話など心残りは確かにあった。
しかし人生で一回くらいは周囲のいうことを聞かずに自分のやりたいようにやることがあってもいいだろうと、気持ちは常に強く持っていた。
何でもかんでも自分勝手にやるのは間違っているとおもうが、いつでも周りにあわせて流されながらいきてしまえば人生はひどく味気ないもので終わってしまうような気がしたのだ。

小笠原へ向かう日両親が見送りにきた。
岸を離れ出発するフェリーに向かって両親が手を振っている。
過去は振り返らないように決めていたが、このときばかりは親不孝な自分のことを心底嫌になった。


小笠原に来て約1ヶ月。
チャンスは意外に早くやってきた。
沖港最奥にある小堤防周りにメアジを追って朝一カンパチが入ってきているのだ。
私にとって小笠原でのメインターゲットは磯でのGTと決めていたが、内地で因縁深いターゲットであった大型カンパチ、具体的には10キロ以上のカンパチはGTを釣る前にどうしてもやっつけておきたかったので好都合だった。

夜明とともに小堤防でミノーをキャストを開始すると5分くらいでヒット!
魚はそれまで体験したことのないほど引きが重く、そして速い。ラインがどんどん出される。興奮で頭は真っ白だ。
はじめての大物に苦戦したがジリジリと魚を堤防近くまで寄せることができた。
もう魚はほとんど走らない。
10キロ超の青物をあげられる!
そんなふうに気持ちが緩んだ刹那、魚は最後の力を振り絞り堤防と水平に横走り。向かう先にはボート係留用のブイが!
必死に止めようとしたが時既に遅く、ラインとルアーが岸とブイを繋ぐロープに絡まってしまった。

魚はブイの横でプカプカと浮いている。
デカい。どう見ても10キロは超えているヒレナガカンパチだ。
こうなったら何がなんでもあげたい。
私は竿を釣友に渡し、パンツ一丁にライフジャケットという格好で2月の海へ飛び込んだ。
5mほど泳いで浮いているカンパチの目の前まできたとき、私の存在を察知したカンパチは暴れはじめた。そして伸ばした手がカンパチの尾に触れた直後、カンパチの口に刺さっていたフックが外れた。
私はその尾を強く掴もうとしたが水中では魚の方が一枚上手でカンパチは尾っぽで手を叩き悠々と泳いでいってしまった。

水から上がってシャツをタオルがわりに体を拭く。
不思議とあまり寒さは感じかったと記憶している。
きっとあまりの悔しさに頭も体も熱くなってしまっていたのだろう。

その2日後。
その日はルアーマンと泳がせ釣師が複数堤防に来ていたが両方とも当たりは無く、ボイルも起こらなかった。
魚の気配が無いので仲間と談笑していたところ私の目の前で突如メアジが追われ、吹っ飛ばされた。
考えるより前に反射的にミノーをボイルの少し先に放る。少し巻いたところでガツンとヒット。
興奮し過ぎてそのあとのことはあまりよく覚えていないが、魚は拍子抜けするほどあっさり浮いてきた。
釣友にギャフを打ってもらいランディング。
本カンパチ12キロ。
これが私のはじめて手にした10キロオーバーの青物である。
その魚体は今まで見てきたどの魚よりも大きく、そして美しかった。
小笠原にきて良かった。
心からそう感じた。





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