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河は眠らない

  • ジャンル:日記/一般



魚が釣れないので、自分の好きな開高健のエッセイ「自然への希求」を紹介します。

少々長いです。




  

「気力や体力が何とか充電されてあるときに釣りにでかけると、

釣った魚に対して傲慢になりやすい。

小さいじゃないかとか、数がでないじゃないかとか、形が悪いじゃない

かとか、不平をならべたくなるものである。

けれど、こころに傷があり、思いぞ屈することがあり、絶望にあてどなく

吸い込まれていたり憎悪の酸で腐敗していたり、そういうときにようよう

の思いで家を出て山へ入っていくと、えてしてイワナ、ヤマメ、マスな

ど、サケ科の魚は冷雨が降っていながらムシムシじめじめと

蒸すようでもある、人にとってイヤな天候のときにかぎって釣れるもの

だから、いよいよ腐敗が進行する。眼に見えない無数の菌糸にからみ

とられたようになってくる。


焦燥がこみあげ、妄想にくるいそうになり、自身を保てなくなる。山の雨はつらいものである。

風もきびしいものである。ほんとの”雨”だしほんとの”風”だしするもの

だから、そこそこで味わう頽落は眼のそらしようがないのである。ゼロ

地点。いよいよそれか。もうオレもここで。ダメか。


追いつかれたか、落伍したか。そう思いかけている黄昏の、陽のさい

ごの一滴を淵に凝視するその一瞬にグイと竿を、ふいにひったくられ

ると、ヘタヘタとなりそうである。ついで全身が炸裂しそうになる。声を

あげたくなる。のしかかっていた山が後退する。影がや優しくなる。部

分が全体に戻る。形がよみがえる。私は更新される。魚を注意深くひ

きよせ、手を濡らしておいてからつかみ、いそいそと針をはずして逃が

してやる。

こういうときには不平の生ずる穴などないのである。いっさいの批評が

蒸発するのである。

運命を感ずることはときどきあるけれども私は信仰心を抱いたことが

ないし、その衝撃をおぼえたこともなかった。師や、教会や、党などに

いそいそとでかけていく人びとがうらやましくてしかたがなかったが、私

はどこへ出かけていいか知らなかったし、いまも知らないのである。

だから、いささか大げさであるが、森が私にとっての、たったひとつの

伽藍(カテドラル)なのだとうことが、いえそうに思う。森をぬけて湖へい

き、そこで更新されるしかないのである。


古シャツ、古ズボン。ヒゲがのび、爪がよごれ、全身氷雨でぐしょ濡

れ。風景のなかのしみとしかいいようのない、ひどいありまさだが

一瞬で私は輝く虚無となることができるのである。」


                      「河は眠らない」文芸春秋刊より
 



開高健は「なぜ、モンゴルやアマゾンまでわざわざ魚釣りに行くのか?」と問われ

「自分自身を探しに行くんです。」っと語っていたことがある。


釣りには2とおりあるのではないかと時々思います。

ひとつは、レジャーとして楽しむ釣り。

もうひとつは、そうではない釣り。

自分は、後者のほうの釣りもよくあります。家にいたくない?(笑)  ひ

とりになりたい?

なにかに突き動かされて、行くんでしょうね。

もちろん、楽しい時もありますが、なんで自分はこんな真夜中にひとり

で河のほとりに立って竿を振っているんだろう?帰って酒でも飲んで、

深夜映画でも観ていたほうがいんじゃないかって。

ふと 思う瞬間もあります。



さあ、明日はどこへ釣りに行こうかな(笑)


















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