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▼ 最後の渓流
- ジャンル:釣行記
ゆっくり目の出発だったの、すっかり日が上がったころに湯川についた。
http://www.naisuimen.or.jp/nikko/info/field-info/index-yukawa.html
この川は湯ノ湖を水源として中禅寺湖に注ぐ川で、明治以降のヨーロッパ文化の影響を色濃く受け継ぐ川でもある。
川マスと呼ばれるブルックトラウトがその象徴。
ヨーロッパから移入されたこの魚は、湯川で自然繁殖を繰り返し、脈々と遺伝子を引き継いできた。
昨今では外来種と言う括り一つで、何でもかんでも排除する動きがあるが、日本という小さな島国は、はるか昔から大陸からの様々な影響を受けつつ独自に発展してきた文化でもある。
固有種や希少種を守ることは賛成でもあるが、現在の人種差別に似た一部の過激な活動には疑問を持ってしまうのは釣り人ゆえだろうか。
ここでは政治的な発言は避けるが、最近の外来種への対応とマスコミの使われ方を見ると、いつか来るであろう移民問題に対し、この国がどうしていくのかが心配になる。
まぁいいや。
こんな時間からかい?と言いたそうな顔をした店主から、この川で釣りをする権利を購入し、タケさんと二人で川へ向かう。
ココは観光地故に人も多いが、遊歩道がしっかり整備されているのでアプローチは楽だ。

ハイカーとすれ違う時も自然に、コンニチハという声も出る。
やがて迎えてくれたのは、整った自然の美しい流れだった。

実はこの川、個人的にあまり興味がなかった。
何というか、ブルックへの特別な思いもないし、釣れる事の執着もない私は、渓流釣りには「文明からの隔離」を望む一面があった。
そういう意味でも湯川は、エリア全体が非常に管理されている、いわば「広域の河川管理釣り場」というイメージを持っていた。
「今年最後の渓流釣りを、友人と楽しめればそれでいい」という気持ちで来たのだけど、実際に川を歩いて感じたのは、美しい川を維持するには「里山と同じように管理されるのが理想なのかもしれない」という想いだった。
里山は人の手が入ることで、健康状態を維持している。
近年は林業から人が離れているために、そこに崩壊の危機があるのだが、では一度人の手の入った川はどうなのか・・・だ。
山奥の渓流に入ったとて、漁協が放流するイワナやヤマメ、そしてニジマスを渓流で釣るのを、文明からの隔離というには少し無理がある事も薄々と気が付いていたし、釣った魚は根こそぎ持ち帰る事が当たり前の渓流釣りにおける資源の保護が成り立たないことも知っている。
ならば、完全管理下に置き、資源保護を集客の糧とし、その地域の生活基盤とする事は、嫌悪感を抱くほどの事なのだろうか。

実際、ちょろっと良いところへルアーを入れれば、美しい魚が反応を示してくれ、釣り人として心が躍るのは事実なのだ。
アプローチを変えれば、それにまた反応してくれる魚が居る。

これを「自然の姿だ」とは言いにくいが、現状日本の渓流の多くが「国内移入」の外来種で溢れかえっているのだ。
源流師がイワナの固有種にこだわっていく気持ちも判る。
ただ、今目の前にある物を受け入れていく事も、文化を作り上げていく「今を生きる釣り人」には必要なのかもしれない。

手の中で踊るブルックは、偽りなく美しかった。
そしてその命を抱くこの川も、高度差が少ない滔々とした流れがとても美しかった。

また来年、訪れてみようと思う。
http://www.naisuimen.or.jp/nikko/info/field-info/index-yukawa.html
この川は湯ノ湖を水源として中禅寺湖に注ぐ川で、明治以降のヨーロッパ文化の影響を色濃く受け継ぐ川でもある。
川マスと呼ばれるブルックトラウトがその象徴。
ヨーロッパから移入されたこの魚は、湯川で自然繁殖を繰り返し、脈々と遺伝子を引き継いできた。
昨今では外来種と言う括り一つで、何でもかんでも排除する動きがあるが、日本という小さな島国は、はるか昔から大陸からの様々な影響を受けつつ独自に発展してきた文化でもある。
固有種や希少種を守ることは賛成でもあるが、現在の人種差別に似た一部の過激な活動には疑問を持ってしまうのは釣り人ゆえだろうか。
ここでは政治的な発言は避けるが、最近の外来種への対応とマスコミの使われ方を見ると、いつか来るであろう移民問題に対し、この国がどうしていくのかが心配になる。
まぁいいや。
こんな時間からかい?と言いたそうな顔をした店主から、この川で釣りをする権利を購入し、タケさんと二人で川へ向かう。
ココは観光地故に人も多いが、遊歩道がしっかり整備されているのでアプローチは楽だ。

ハイカーとすれ違う時も自然に、コンニチハという声も出る。
やがて迎えてくれたのは、整った自然の美しい流れだった。

実はこの川、個人的にあまり興味がなかった。
何というか、ブルックへの特別な思いもないし、釣れる事の執着もない私は、渓流釣りには「文明からの隔離」を望む一面があった。
そういう意味でも湯川は、エリア全体が非常に管理されている、いわば「広域の河川管理釣り場」というイメージを持っていた。
「今年最後の渓流釣りを、友人と楽しめればそれでいい」という気持ちで来たのだけど、実際に川を歩いて感じたのは、美しい川を維持するには「里山と同じように管理されるのが理想なのかもしれない」という想いだった。
里山は人の手が入ることで、健康状態を維持している。
近年は林業から人が離れているために、そこに崩壊の危機があるのだが、では一度人の手の入った川はどうなのか・・・だ。
山奥の渓流に入ったとて、漁協が放流するイワナやヤマメ、そしてニジマスを渓流で釣るのを、文明からの隔離というには少し無理がある事も薄々と気が付いていたし、釣った魚は根こそぎ持ち帰る事が当たり前の渓流釣りにおける資源の保護が成り立たないことも知っている。
ならば、完全管理下に置き、資源保護を集客の糧とし、その地域の生活基盤とする事は、嫌悪感を抱くほどの事なのだろうか。

実際、ちょろっと良いところへルアーを入れれば、美しい魚が反応を示してくれ、釣り人として心が躍るのは事実なのだ。
アプローチを変えれば、それにまた反応してくれる魚が居る。

これを「自然の姿だ」とは言いにくいが、現状日本の渓流の多くが「国内移入」の外来種で溢れかえっているのだ。
源流師がイワナの固有種にこだわっていく気持ちも判る。
ただ、今目の前にある物を受け入れていく事も、文化を作り上げていく「今を生きる釣り人」には必要なのかもしれない。

手の中で踊るブルックは、偽りなく美しかった。
そしてその命を抱くこの川も、高度差が少ない滔々とした流れがとても美しかった。

また来年、訪れてみようと思う。
- 2017年10月13日
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