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- (WSS湾岸シーバスソサエティ, KSSC川崎新堤シーバスクラブ, デイゲーム, 横浜沖堤, バッシー, ティムコ, 横浜, シーバス, 川崎新堤, ゴザルファクトリー)
既に前のログへのコメントにも書いちゃいましたが、
その日がやって来ました。
長~く続けていれば、いつかは到達するものではあるけれど、
始めた頃は、そもそもここまで続けているとは、夢にも思わなかった。
「1000000アクセス」
点打たないとケタが分かりにくい(笑)
「1,000,000アクセス」
FIMOで24番目のミリオンアクセス。
周りはオフィシャルやアドバンスだらけ。
FIMOアングラーだと、北海道、山形、鹿児島の雄が上にいるだけと言う、実感の沸かない位置。
ゼロの数だけ見ると、そんなに大きな数字には見えないけど、それが人一人ひとり(みなさん)のあしあとだと考えると、凄いことだと実感します。
「東京ドーム満員御礼20回」
「マラカナンスタジアム10回満員」
と例えると凄く感じないなぁ。
「本牧ルアーフェスタ4000回開催」
「オレンジカップ6000回開催」
これだと凄く感じるね(笑)
こんな機会じゃないと触れることもないので、
このログの「生い立ち」なぞを。
ログのタイトル、「横浜鬼斬会」
※「おにぎり」じゃないですよ、「おにきり」です。
元々バス釣りをしていた頃、
携帯電話の釣りサイト「爆釣チャンネル」でスタートしています。
今から10年くらい前かな?
そこではログを書くために、チームみたいなものを登録する必要がありました。
(途中から不要になりましたが)
特別メガバスが好きと言うわけではなかったのですが、何となく「鬼斬」ってカッコいいなと思い、そこに自分の住んでる「横浜」って付いてたら族っぽいけど、ちょいワルな響きで良くない?と言う理由で登録しました。
ハンドルネームは今と同じく、バッシー。
途中からシーバスにシフトしていき、内容的には今の原型になりつつありました。
ちなみにこの頃に知り合ったのが、今もソル友の岸壁ジギンガーさんたち。
それから時は過ぎ、2010年9月。
夏くらいにスタートしたFIMO。
噂は聞いていましたが、何となく敷居が高いような感じがして、「お試し」位のつもりで登録してみました。
爆釣チャンネルは「保険」として続けていましたが、スマホに換えたのと同時にこちらは終了。
その時点で、釣りログはいつ終了してもイイや、位のつもりでいました。
細々とFIMOにログアップは続けていましたが、
誰がみているのかとか、誰かが見たがっているのかなどと考え、なかなか増えないアクセス数を見ては、
「意味あるのかなぁ~」
などと葛藤していたのが2011年3月位まで続きました。
2011年3月。
東日本大震災の頃、とあるログをきっかけに「半炎上」みたいな状態になりました。
が、そこで意見に賛同してくれたり、助けてくれたりしたのが、後のソル友さんだったり、それを通り越してプライベートでも関わりができるような人たち。
それまで釣り場で会ったことはあったようですが、言葉もほとんど交わしたことがなかった方々。
そんな人たちが、コメントと言うカタチで勇気を与えてくれたのです。
その年は、自分のログにとって大きな飛躍の年となりました。
ホームにしていた川崎新堤で知り合う人が増え、
またログを観てくれている人から声を掛けられることも増え、
「FIMOをやっているからだ」と言う事を実感し、ログを書くことへの大きなモチベーションが生まれることになりました。
その年、初めて参戦したオレンジカップで3位になって、さらにその輪が広がっていきました。
が、それと同時に2つの新たな葛藤も。
1つは、その以前から参戦していたWSS。
全く結果を残せていませんでした。
2012年に初めてウエイイン(3位)するまで、サカナを釣ってすらいませんでした。
ログで様々なテクニックとか披露しているのに、大会の行われた若洲や木更津などでは全くダメでした。
完全に「川崎・横浜内弁慶」。
そしてもう1つが、
ログでの「知名度」が上がるに連れ、リアルな世界でも「バッシーでいなくては」みたいな自意識が出てしまったことです。
所詮は一般アングラーであるのに、
ログの中での「バッシーさん」は肥大していく一方。
それに相応しい「実像」にならないといけないような気がしてしまい、釣り場に行くのが何とも怖く感じた時期もありました。
大会で結果を残せないのと合わせて、大きなコンプレックスでした。
が、翌年の若洲大会。
あの、のぶでごるさんのプレッシャーに耐え、数センチの差で初めての表彰台。
この大会、
今まで苦手意識しかなかった若洲でしたが、
開き直って「自分の得意な釣りをしよう」と、一時ハマっていたワーミングに専念しての初ウエイイン。
「そっか、自然体でやればイイんじゃないか」
と、2つの葛藤が一変に吹き飛んだ日でもありました。
さらにその報告ログへの多くのコメント。
自分の事のように喜んでくれる人に囲まれてる幸せがを感じ、さらなるモチベーションを生んでくれました。
ティムコのモニターに選ばれたきっかけも、
「ログのアクセス数、凄いですよね」との言葉と共にわざわざご連絡をいただいたところから。
そうして多くの方に「見てもらってる」と言うことが自信につながり、
2013年WSS念願の初優勝(旧江戸)。
さらに東京湾年間優勝に、神戸での優勝。
いつの間にか、雑誌とかでしか見たことのない人も数多く知り合うことができたり。
そして今に至ります。
3年9ヶ月。
その間のログアップ1,336回(このログまで)
振り返ると長いのですが、今となると「あっという間」にも感じます。
にしても、
良く続けた、書いてきたなぁと我ながら感心。
FIMO会員はもとより、それ以外の方の閲覧にも支えられての、この数字。
今では迂闊にタックル批評や、赤裸々な「エロネタ」を掲載するのもはばかられる位、
自分の想像を遥かに上回る影響力があるらしく。
それでもここまで来ると、引き続きマイペースにログアップを続けるのみ、と割りきれる。
ココを超えると、しばらくは「大台」と呼べるような数字はなく、
「燃え付き症候群」にならないかと心配もないことはないけど、もともと「日記のつもり」で書いてるので、
「死ぬまでは続きます」(多分)
今後とも、末長く宜しくお願い致します。
コメントはなくとも、多くの方の「あしあと」を励みに頑張って参ります。
これまで、ありがとうございました!
そして、これからも宜しくお願いします!
2014年6月24日 バッシー
その日がやって来ました。
長~く続けていれば、いつかは到達するものではあるけれど、
始めた頃は、そもそもここまで続けているとは、夢にも思わなかった。
「1000000アクセス」
点打たないとケタが分かりにくい(笑)
「1,000,000アクセス」
FIMOで24番目のミリオンアクセス。
周りはオフィシャルやアドバンスだらけ。
FIMOアングラーだと、北海道、山形、鹿児島の雄が上にいるだけと言う、実感の沸かない位置。
ゼロの数だけ見ると、そんなに大きな数字には見えないけど、それが人一人ひとり(みなさん)のあしあとだと考えると、凄いことだと実感します。
「東京ドーム満員御礼20回」
「マラカナンスタジアム10回満員」
と例えると凄く感じないなぁ。
「本牧ルアーフェスタ4000回開催」
「オレンジカップ6000回開催」
これだと凄く感じるね(笑)
こんな機会じゃないと触れることもないので、
このログの「生い立ち」なぞを。
ログのタイトル、「横浜鬼斬会」
※「おにぎり」じゃないですよ、「おにきり」です。
元々バス釣りをしていた頃、
携帯電話の釣りサイト「爆釣チャンネル」でスタートしています。
今から10年くらい前かな?
そこではログを書くために、チームみたいなものを登録する必要がありました。
(途中から不要になりましたが)
特別メガバスが好きと言うわけではなかったのですが、何となく「鬼斬」ってカッコいいなと思い、そこに自分の住んでる「横浜」って付いてたら族っぽいけど、ちょいワルな響きで良くない?と言う理由で登録しました。
ハンドルネームは今と同じく、バッシー。
途中からシーバスにシフトしていき、内容的には今の原型になりつつありました。
ちなみにこの頃に知り合ったのが、今もソル友の岸壁ジギンガーさんたち。
それから時は過ぎ、2010年9月。
夏くらいにスタートしたFIMO。
噂は聞いていましたが、何となく敷居が高いような感じがして、「お試し」位のつもりで登録してみました。
爆釣チャンネルは「保険」として続けていましたが、スマホに換えたのと同時にこちらは終了。
その時点で、釣りログはいつ終了してもイイや、位のつもりでいました。
細々とFIMOにログアップは続けていましたが、
誰がみているのかとか、誰かが見たがっているのかなどと考え、なかなか増えないアクセス数を見ては、
「意味あるのかなぁ~」
などと葛藤していたのが2011年3月位まで続きました。
2011年3月。
東日本大震災の頃、とあるログをきっかけに「半炎上」みたいな状態になりました。
が、そこで意見に賛同してくれたり、助けてくれたりしたのが、後のソル友さんだったり、それを通り越してプライベートでも関わりができるような人たち。
それまで釣り場で会ったことはあったようですが、言葉もほとんど交わしたことがなかった方々。
そんな人たちが、コメントと言うカタチで勇気を与えてくれたのです。
その年は、自分のログにとって大きな飛躍の年となりました。
ホームにしていた川崎新堤で知り合う人が増え、
またログを観てくれている人から声を掛けられることも増え、
「FIMOをやっているからだ」と言う事を実感し、ログを書くことへの大きなモチベーションが生まれることになりました。
その年、初めて参戦したオレンジカップで3位になって、さらにその輪が広がっていきました。
が、それと同時に2つの新たな葛藤も。
1つは、その以前から参戦していたWSS。
全く結果を残せていませんでした。
2012年に初めてウエイイン(3位)するまで、サカナを釣ってすらいませんでした。
ログで様々なテクニックとか披露しているのに、大会の行われた若洲や木更津などでは全くダメでした。
完全に「川崎・横浜内弁慶」。
そしてもう1つが、
ログでの「知名度」が上がるに連れ、リアルな世界でも「バッシーでいなくては」みたいな自意識が出てしまったことです。
所詮は一般アングラーであるのに、
ログの中での「バッシーさん」は肥大していく一方。
それに相応しい「実像」にならないといけないような気がしてしまい、釣り場に行くのが何とも怖く感じた時期もありました。
大会で結果を残せないのと合わせて、大きなコンプレックスでした。
が、翌年の若洲大会。
あの、のぶでごるさんのプレッシャーに耐え、数センチの差で初めての表彰台。
この大会、
今まで苦手意識しかなかった若洲でしたが、
開き直って「自分の得意な釣りをしよう」と、一時ハマっていたワーミングに専念しての初ウエイイン。
「そっか、自然体でやればイイんじゃないか」
と、2つの葛藤が一変に吹き飛んだ日でもありました。
さらにその報告ログへの多くのコメント。
自分の事のように喜んでくれる人に囲まれてる幸せがを感じ、さらなるモチベーションを生んでくれました。
ティムコのモニターに選ばれたきっかけも、
「ログのアクセス数、凄いですよね」との言葉と共にわざわざご連絡をいただいたところから。
そうして多くの方に「見てもらってる」と言うことが自信につながり、
2013年WSS念願の初優勝(旧江戸)。
さらに東京湾年間優勝に、神戸での優勝。
いつの間にか、雑誌とかでしか見たことのない人も数多く知り合うことができたり。
そして今に至ります。
3年9ヶ月。
その間のログアップ1,336回(このログまで)
振り返ると長いのですが、今となると「あっという間」にも感じます。
にしても、
良く続けた、書いてきたなぁと我ながら感心。
FIMO会員はもとより、それ以外の方の閲覧にも支えられての、この数字。
今では迂闊にタックル批評や、赤裸々な「エロネタ」を掲載するのもはばかられる位、
自分の想像を遥かに上回る影響力があるらしく。
それでもここまで来ると、引き続きマイペースにログアップを続けるのみ、と割りきれる。
ココを超えると、しばらくは「大台」と呼べるような数字はなく、
「燃え付き症候群」にならないかと心配もないことはないけど、もともと「日記のつもり」で書いてるので、
「死ぬまでは続きます」(多分)
今後とも、末長く宜しくお願い致します。
コメントはなくとも、多くの方の「あしあと」を励みに頑張って参ります。
これまで、ありがとうございました!
そして、これからも宜しくお願いします!
2014年6月24日 バッシー
- 2014年6月24日
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