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近所の川原へ、夕方に散歩をしに行った。

もともと河川敷のサイクリングコースみたいなものがあり、普段からランニングや散歩の人がちらほらと見える所だったけど、この1ヶ月は特に人が多い。
契約メーカーからの自粛要請もあるけど、それ以上に「一般の人から釣り人へ向けられる目」を気にすると、やはりこのタイミングではまだここで釣りはしたくないなぁ・・・と思った。
不要不急というあいまいな表現しかできないこの国のかたちは仕方ないとして、その中で生活する我々にできる事は何なのか。そしてやりたい事が出来ない国であってよいのか。
「あいまいな表現」になる理由は、人権の尊重という憲法上の大義名分によるものなのに、そのあいまいさによって一部の人が「モラルという凶器」をもって他人の人権を奪う。
この一ヶ月半は、そういう危ういバランスの中でこの国はどちらに落ちるのだろうか・・・という判断をする為の期間だったのかもしれない。
答え合わせは、数か月後の再発か数年後の収束かは分からない。
けど、明らかに去年までの日本とは少し変わった気がする。
どこまでも上辺の理解で行くなら、この先の経済復興の為にみんなで頑張りましょう!と言うのかも知れないけど、この先にまた何回かの緊急事態宣言が発生するたびに人々は「またみんなで我慢して家にこもりましょう!」と言えるのだろうか・・・と心配な部分がある。
我慢が美徳であったこの国は、きっとそういう試練も乗り越えるのだろうか。
そもそも人を信じるというよりも、権力や集団に従順という資質があるから、少数意見や特異な物を嫌がる気配がある。
だから行政が、安心の為に「地元民ですステッカー」なんてものを真面目に作ってしまうのだ。
「どんな冗談だよw」とか「このステッカー考えた奴、なかなか笑いのツボが解かってるね~w」なんて言っていたら、「これは良いですね!」なんて言うメディアが生まれてしまう始末。
正気と思えない事が日常的に起きるものなのだな、非常時とは。
さて、これを書いている間に日本の首長が、「全国の非常事態宣言を解除します」と言っている。
まぁ、解除後の釣り人としての考え方は前回書いたので省くとして、実際に釣りにはいくのか行かないのか?は、そりゃぁもちろん行くのですが、ではその情報はどうやって出すべきか。
私個人としては、商業アングラーは出していくべきだと思う。
というか、以前も言ったけど、個人的にはロッド開発(しかもスケジュール的に急ぎ)があったので「不要不急ではない釣行」は地味に行っていた。
ただ、開発業務(フィールドでのテスト)とプロモーションや販売促進活動は別で考えていたので、後者の販売促進という名の釣果自慢は自粛するのが良いと思い、この一ヶ月半はブログに書くこともSNSにあげる事もしてこなかった。
ひとつ、昔の事を思い出す。
小学生の頃に間抜けな理由で足を骨折した同級生が居て、仲良しのみんなが片足でケンケンをしだすということが在った。
子供なりに「足を骨折して可哀そうな友人の大変さを共有しよう」といういじらしい気持ちで一日を過ごした。
ケンケンしない同級生には、「お前もやってやれよ」と促し、やらないなら仲間外れにするぞという勢い。
それを見ていた担任の先生は、帰りの会でピシャリとそれを注意した。
「そんなものは優しさではありません」と。
その頃は「もう疲れたからやめたいなぁ・・・」と思っていた不真面目な私は、あまり意味を深く考えずに「あぁ助かった」ぐらいにしか思っていなかったけど、実はあの先生はとても大切な事を教えてくれていた。
自立とは何か。
そして、優しさとは何か。
帰りにその怪我をした友人のランドセルをみんなで変わりばんこでもって、長い下校の道のりをゆっくりと歩みを揃えて帰ったのを今でも覚えている。

もともと河川敷のサイクリングコースみたいなものがあり、普段からランニングや散歩の人がちらほらと見える所だったけど、この1ヶ月は特に人が多い。
契約メーカーからの自粛要請もあるけど、それ以上に「一般の人から釣り人へ向けられる目」を気にすると、やはりこのタイミングではまだここで釣りはしたくないなぁ・・・と思った。
不要不急というあいまいな表現しかできないこの国のかたちは仕方ないとして、その中で生活する我々にできる事は何なのか。そしてやりたい事が出来ない国であってよいのか。
「あいまいな表現」になる理由は、人権の尊重という憲法上の大義名分によるものなのに、そのあいまいさによって一部の人が「モラルという凶器」をもって他人の人権を奪う。
この一ヶ月半は、そういう危ういバランスの中でこの国はどちらに落ちるのだろうか・・・という判断をする為の期間だったのかもしれない。
答え合わせは、数か月後の再発か数年後の収束かは分からない。
けど、明らかに去年までの日本とは少し変わった気がする。
どこまでも上辺の理解で行くなら、この先の経済復興の為にみんなで頑張りましょう!と言うのかも知れないけど、この先にまた何回かの緊急事態宣言が発生するたびに人々は「またみんなで我慢して家にこもりましょう!」と言えるのだろうか・・・と心配な部分がある。
我慢が美徳であったこの国は、きっとそういう試練も乗り越えるのだろうか。
そもそも人を信じるというよりも、権力や集団に従順という資質があるから、少数意見や特異な物を嫌がる気配がある。
だから行政が、安心の為に「地元民ですステッカー」なんてものを真面目に作ってしまうのだ。
「どんな冗談だよw」とか「このステッカー考えた奴、なかなか笑いのツボが解かってるね~w」なんて言っていたら、「これは良いですね!」なんて言うメディアが生まれてしまう始末。
正気と思えない事が日常的に起きるものなのだな、非常時とは。
さて、これを書いている間に日本の首長が、「全国の非常事態宣言を解除します」と言っている。
まぁ、解除後の釣り人としての考え方は前回書いたので省くとして、実際に釣りにはいくのか行かないのか?は、そりゃぁもちろん行くのですが、ではその情報はどうやって出すべきか。
私個人としては、商業アングラーは出していくべきだと思う。
というか、以前も言ったけど、個人的にはロッド開発(しかもスケジュール的に急ぎ)があったので「不要不急ではない釣行」は地味に行っていた。
ただ、開発業務(フィールドでのテスト)とプロモーションや販売促進活動は別で考えていたので、後者の販売促進という名の釣果自慢は自粛するのが良いと思い、この一ヶ月半はブログに書くこともSNSにあげる事もしてこなかった。
ひとつ、昔の事を思い出す。
小学生の頃に間抜けな理由で足を骨折した同級生が居て、仲良しのみんなが片足でケンケンをしだすということが在った。
子供なりに「足を骨折して可哀そうな友人の大変さを共有しよう」といういじらしい気持ちで一日を過ごした。
ケンケンしない同級生には、「お前もやってやれよ」と促し、やらないなら仲間外れにするぞという勢い。
それを見ていた担任の先生は、帰りの会でピシャリとそれを注意した。
「そんなものは優しさではありません」と。
その頃は「もう疲れたからやめたいなぁ・・・」と思っていた不真面目な私は、あまり意味を深く考えずに「あぁ助かった」ぐらいにしか思っていなかったけど、実はあの先生はとても大切な事を教えてくれていた。
自立とは何か。
そして、優しさとは何か。
帰りにその怪我をした友人のランドセルをみんなで変わりばんこでもって、長い下校の道のりをゆっくりと歩みを揃えて帰ったのを今でも覚えている。
- 2020年5月26日
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