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▼ オックスフォードライフ 2
- ジャンル:日記/一般
引き続き、夏のオックスフォードからの便りをお伝えする。
オックスフォードの話はたしかに珍しい話だとは思うが、それにしてもfimoにあって魚も登場しないのに多くの人に興味深く読んでいただきありがたく思います。
ちょっと前に詳しく書いたとおり、イギリスの食生活はとても興味深く、なおかつなかなか厳しい。特に長逗留となると。
でも今日は二年ぶりにお気に入りのレストランで正調英国式「ステーキアンドキドニーパイ」を食べる。
ロンドンでキドニーパイを食べたときは、あまりの味に一口でそのままゴミ箱にシュートしてしまった。だがここのは別物。久々だったがとてもおいしかった。
パイの中身はこんな感じで、ビーフのステーキ肉と腎臓がさいの目に切って煮たものが詰まっている。
それからこんな小さなリンゴや桃を食べたりして。
リンゴの味は前に書いたとおり、クリスピー&スパイシーでおいしい。
桃も小粒だが味は日本の白桃そのもの。
パニーニを回避しながらすごしている!
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ところで今回はオックスフォード大学の話にからめて伝統とは何か、若干の哲学も交えながら書いてみたい。
さて、
パリ、ローマ、ケルン、ロンドン、フィレンツェ、ダブリン、プラハ、ブタペスト、エディンバラ・・・
ヨーロッパの街並みが好きだという人は少なくないが、そうしたヨーロッパのどの街とも、オックスフォードには違う味がある。
歴史と伝統に支えられた、古い石造りの大学の町・・・。ライムストーンで作られたその建築群は長い年月を経てもはや飴色を帯びているのだが、
古いとはいえ、それは古びているのではなく、年季を重ね、年輪の刻み込まれた艶のある美しさを放っている。
ところでオックスフォード大学(University of Oxford)という呼称は良く使われるが、実際そういう名前の大学は存在しない。
オックスフォードにはマートンコレッジ、クライストチャーチ、ニューコレッジ、キングズコレッジなど、全部で38のコッレジがあり、それらの総称をUniversity of Oxfordと呼んでいるのだ。
学生たちはそのうちの一つのコレッジに在籍する。コレッジごとに紋章が異なり、ネクタイもオリジナルのものがあったりする。
オックスフォード・ケンブリッジの風景といえばスコラーズガウン(ハリーポッターの、ホグワーツ魔法学校で生徒が着ているマントのようなもの)を着ている学生の姿であろうか。
これを着ている学生はやはりかっこいい。
学生たちはこの一種のマントのようなもの(実際はポンチョのような構造になっている)を着て試験を受けたり、ハイテーブルと呼ばれる一種の会食を行ったりする。
例のハリーポッターの食堂でもクライストチャーチのハイテーブルが行われる。ハイテーブルでは学生だけでなく、教授たちまで全員がガウンを着ている。学位や勲章によってデザインも異なるらしい。
しかしである。ハリーポッターならともかく、いい年の大人がそろって仰々しいガウンを着て食事をするとはいかなることか。
実際あれを着るとなんだか暑苦しいし、袖が着物のように広いので物が食べにくい。
夏は暑いし、よく見ればなんだかおかしな形をしているし、どう考えてもあまり合理的ではない。
最高峰の頭脳の集まりが、なぜそのような不合理なことを今でも変わらずにしているのか・・・。
それはつまり、「伝統とはなんなのか」という問いである。
「伝統」、僕の考えではこれもまた、前回書いた「語りえぬもの」の一つに他ならない。論理的に「正しい/誤り」を裁くことが出来ない事柄である。言い方を変えれば論理的に説明できない事柄。
ガウンを着ることは不合理かもしれない、けれども重要なことだと彼らは認めてそれを行い、受け継がれていくのである。これまでも、これからも・・・・・・。
しかも、それがなぜ重要なのかを論理的に説明することはできないにもかかわらず。
「なぜその花が美しいのか」を説明できないのと同様に、こうした伝統も説明できない。ウィトゲンシュタインはこうした概念を「語りえず、示される領域」といった。
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最近、日本の伝統を大切にしたいという人は多い。これはいいことだと思う。しかし「伝統を大切にする」とは哲学的にどういうことだろうか。
細かい話は省略するが、上記のガウンのくだりからもわかると思う。
伝統とは単なる思想ではない。自身が「行う」ということ、ここがポイントなのである。
あるいはこの場合、言語ゲームの考え方をごくごく簡易的に使えば、少なくともその条件の中に
「実践」してそれが「受け継がれて」が入っていなければならないはずだ。それで初めて伝統なのだといえるだろう。
つまり、日本人としてどうあるべきかを「考える」ことではなく、それを「自ら実践して」初めて伝統を大事にするといえるのだ。
実際日本人の気質や倫理観、秩序観について語る大人はたくさんいる。しかし哲学的に見れば、頭でっかちなだけでは伝統を大切にしているとはいえない。
「言う」だけでも、「思う」だけでも、「知っている」だけでもだめなのだ。
「実践」、これがキーワードなのである。
僕などはとても修行が足りない。職業柄、偉そうなことを学生たちに語らなくてはならないし、書物に向かう時間も、思考する時間もかなり長い方だ。(それも仕事のうちであるから)。
しかしだからこそ「自分は分かっている」という浅はかな自信はつけないように自戒している。
でも、少なくとも、良いと思うことについては「行動に移す」こと、「実践する」ようにしたいとは常に思っている。
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スコラーズガウンは本来在籍している学生しか買えないのだが、僕はなぜか一着持っている。なぜか、というのは僕本人はもちろん分かっているのだが、まあちょっと都合の悪いところは口をつぐんでおこう。
もちろん僕のサイズに合わせてある、正真正銘の本物である。現物はなかなか魅力的な代物で、欲しくて手に入れたのだが、驚くべきことに、これがまた日本ではまったく使い道がない。
これは余談だった。
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夏季の間アパートは多くの学生が退去する。夏休みというのは学年の終わりの長い休暇である。しかし中には残っている学生もいて、窓からは熱心に机に向かう姿が見られる。次代の世界を支える知である。
1200年代からこの地で連綿と積み重ねられてきた知の営み。「勉強する」ということこそ、この地の伝統である。
その日の勉強が終わり、パブで仲間と飲んだ後、夜の街を一人で歩いていた。コレッジとコレッジの間の路地。中世に迷い込んだかのような、まるで異世界だ。
暗い、石の校舎の谷間にある路地を抜け、広い通りに出て、なんだかホッとする。ふと見ると明かりに浮かぶ大通り沿いのコレッジ。夜のオックスフォードには、それはそれでただならぬ凄みがある。
- 2011年7月30日
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