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▼ 続 石巻レポート Vol.1
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続 石巻レポート Vol.1
東日本大震災、そしてあの巨大津波で大変な被害を受けた東北。
これまで多くの人々がしてきたように、僕も東京から自分にできる援助を少しずつしてきた。
しかし東京に住み、仕事に追われる中、被災地を見舞うこともなかなかできず、ずっと気がかりだった。
特に報道が原発関係にかたより、津波の話が少しずつ話題に上らなくなってしまった今。やはり一度は自分の目で見に行かなければならないと思った。
東京在住の僕の周りにも、まだ被災地を見ていないという人は多い。というより、見ていないという人が大半だ。
そこで残暑の厳しいなか、石巻に行ってみた。
このレポートは被災地に住んでおられる方や、被災地にすでに立っておられる方々にすれば今さらということになるかもしれないが、それはどうかご容赦ください。
今の被災地情報の発信も必要だし、これから行かれる方も沢山いると思う。
ここでは初めて生の被災地に立った率直な感想と、レポートを綴りたいと思う。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
前日は仕事で、徹夜のまま、朝五時に自宅を出る。東京駅から東北新幹線で仙台へ向かった。
仙台から石巻へは、本来仙石線が走っているが、震災がこれを分断し、いまだ開通していない。電車で行くなら迂回していくしかない。
(ちなみに仙台から高速バスも出ていて、渋滞していなければこちらの方が早い。)
僕は東北本線に乗り、小牛田で石巻線に乗り換えて石巻へ向かった。
(単線の石巻線は、駅で上り電車と下り電車がすれ違うため、待ち合わせ時間があったりする。)

車窓からは美しい東北の田園風景が広がる。いつもと変わらない夏休みの光景だ。


ようやく石巻駅に着いたのは11時過ぎ。迂回していったせいで思った以上に長い道のりだった。

駅前は何事もなかったかのよう。きれいになっている。
ここだけ見ればどこに被災地があるのか正直分からないほど片づけられていた。

まずは観光案内所に向かい、情報を収集する。
石巻の場合、被災地を回る足はレンタカーかレンタサイクル、あるいはタクシーがメインになる。
駅から海岸線までは歩くには結構な距離だし、さらに海岸に沿って被災地が横に広がっている。
レンタカーを借りようと、駅併設のレンタカー会社へ行くが、あいにく満車とのこと。仕方がないので自転車を借りて走りだした。
駅周辺はすっかりきれいになっていて、一見して津波が押し寄せたことはうかがえない。

しかし海が近づくほどに、その爪痕が次第に大きくなっていった。



まずは町を見渡せる小高い山、「日和山」を目指して走る。車なら駅から5分ぐらいで着くところ。
しかし自転車で登るのは実にきつい。
気温は35℃くらいではないだろうか。そして容赦なく照りつける熱線のような夏の陽光・・・延々と続く上り坂、そして運動不足の私・・・。
汗が噴き出しては流れ続ける。着いたばかりなのに、上り坂でいきなりATPを使い切ってしまう。
ようやくたどりついた日和山の頂上。
眼下には、一瞥して状況が飲み込める光景が広がっていた。


津波が流してしまった住宅街のあった広大な土地には、一面に夏草が伸びてしまっている。
そしてやはり瓦礫の山。

この膨大な瓦礫が、当時は一面に散乱していたということだ。
言葉もなく僕は坂道を下り、山の下にあたる平野部のうちで、最も被害の大きかった地区へと降りていった。最も亡くなった方が多かったという地区。
山を降りてすぐに墓地があった。墓石が滅茶苦茶になっている。ただ散乱しているだけではなく、粉々に砕けてしまっている墓石も沢山あった。
もちろんこれでも整理されたのだろう。しかしとてもじゃないがカメラを向けることなどできない。
そのすぐ脇に立つ小学校。

これも津波の被害だろうか。それとも地震の揺れで割れたのか、三階の窓ガラスまでが抜けてしまっている。

しかしその校庭では、なんと小学生たちが野球をしていた。

すごいな、と思った。
軽々に言うのは憚られるけれど、この広大な荒野にポツンと残された校庭で、子供たちの生き生きとした姿は力強かった。
奪われた土地に芽吹いた、次の世代のひこばえのように見えたからだ。
そこを後に、住宅地の跡へ。
本当に全てが流されてしまっていて、今もそのままになっている。

沢山の人々が暮らし、賑わっていたであろう街。いまは本当に静かになってしまった。

聞こえてくるのは風の音と蝉の声だけ。
そしてどこであろうと変わらず降り注ぐ強い夏の太陽。
今も新しい家は建たない。この土地にはまだ建築許可が下りないそうだ。
海岸線へ近づく。
工場の跡だろうか。

そして積み上げられたままの自動車。まるでスクラップされたかのようにひしゃげている車も多い。テレビで見た映像そのもの。

北上川にかかる日和大橋を渡る。
歩道は草が生え放題だ。アスファルトにこんなに草が生えるものだとは・・・。

高さのある堤防からは津波に破壊された堤防や

瓦礫の山がよく見える。

壊れた船もそのまま。

橋の歩道には、50cmほどの段差ができ、穴が空いている。

橋を渡った向こうは水産加工所などが多かった場所だが、ここら辺まで来ると、もうよく分かった。
どこもひどくやられてしまった。
どこがどうではない。どこもやられている。
別の学校。

汚れのついているところまでが津波の高さなのだろう。4mぐらいだろうか。
人間の身長なんてせいぜい1.8m。ひとたまりもない。
こうして僕は二時間ほど自転車を走らせた。
Vol.2へつづく
東日本大震災、そしてあの巨大津波で大変な被害を受けた東北。
これまで多くの人々がしてきたように、僕も東京から自分にできる援助を少しずつしてきた。
しかし東京に住み、仕事に追われる中、被災地を見舞うこともなかなかできず、ずっと気がかりだった。
特に報道が原発関係にかたより、津波の話が少しずつ話題に上らなくなってしまった今。やはり一度は自分の目で見に行かなければならないと思った。
東京在住の僕の周りにも、まだ被災地を見ていないという人は多い。というより、見ていないという人が大半だ。
そこで残暑の厳しいなか、石巻に行ってみた。
このレポートは被災地に住んでおられる方や、被災地にすでに立っておられる方々にすれば今さらということになるかもしれないが、それはどうかご容赦ください。
今の被災地情報の発信も必要だし、これから行かれる方も沢山いると思う。
ここでは初めて生の被災地に立った率直な感想と、レポートを綴りたいと思う。
* * * * * * * * * * * * * * * * * *
前日は仕事で、徹夜のまま、朝五時に自宅を出る。東京駅から東北新幹線で仙台へ向かった。
仙台から石巻へは、本来仙石線が走っているが、震災がこれを分断し、いまだ開通していない。電車で行くなら迂回していくしかない。
(ちなみに仙台から高速バスも出ていて、渋滞していなければこちらの方が早い。)
僕は東北本線に乗り、小牛田で石巻線に乗り換えて石巻へ向かった。
(単線の石巻線は、駅で上り電車と下り電車がすれ違うため、待ち合わせ時間があったりする。)

車窓からは美しい東北の田園風景が広がる。いつもと変わらない夏休みの光景だ。


ようやく石巻駅に着いたのは11時過ぎ。迂回していったせいで思った以上に長い道のりだった。

駅前は何事もなかったかのよう。きれいになっている。
ここだけ見ればどこに被災地があるのか正直分からないほど片づけられていた。

まずは観光案内所に向かい、情報を収集する。
石巻の場合、被災地を回る足はレンタカーかレンタサイクル、あるいはタクシーがメインになる。
駅から海岸線までは歩くには結構な距離だし、さらに海岸に沿って被災地が横に広がっている。
レンタカーを借りようと、駅併設のレンタカー会社へ行くが、あいにく満車とのこと。仕方がないので自転車を借りて走りだした。
駅周辺はすっかりきれいになっていて、一見して津波が押し寄せたことはうかがえない。

しかし海が近づくほどに、その爪痕が次第に大きくなっていった。



まずは町を見渡せる小高い山、「日和山」を目指して走る。車なら駅から5分ぐらいで着くところ。
しかし自転車で登るのは実にきつい。
気温は35℃くらいではないだろうか。そして容赦なく照りつける熱線のような夏の陽光・・・延々と続く上り坂、そして運動不足の私・・・。
汗が噴き出しては流れ続ける。着いたばかりなのに、上り坂でいきなりATPを使い切ってしまう。
ようやくたどりついた日和山の頂上。
眼下には、一瞥して状況が飲み込める光景が広がっていた。


津波が流してしまった住宅街のあった広大な土地には、一面に夏草が伸びてしまっている。
そしてやはり瓦礫の山。

この膨大な瓦礫が、当時は一面に散乱していたということだ。
言葉もなく僕は坂道を下り、山の下にあたる平野部のうちで、最も被害の大きかった地区へと降りていった。最も亡くなった方が多かったという地区。
山を降りてすぐに墓地があった。墓石が滅茶苦茶になっている。ただ散乱しているだけではなく、粉々に砕けてしまっている墓石も沢山あった。
もちろんこれでも整理されたのだろう。しかしとてもじゃないがカメラを向けることなどできない。
そのすぐ脇に立つ小学校。

これも津波の被害だろうか。それとも地震の揺れで割れたのか、三階の窓ガラスまでが抜けてしまっている。

しかしその校庭では、なんと小学生たちが野球をしていた。

すごいな、と思った。
軽々に言うのは憚られるけれど、この広大な荒野にポツンと残された校庭で、子供たちの生き生きとした姿は力強かった。
奪われた土地に芽吹いた、次の世代のひこばえのように見えたからだ。
そこを後に、住宅地の跡へ。
本当に全てが流されてしまっていて、今もそのままになっている。

沢山の人々が暮らし、賑わっていたであろう街。いまは本当に静かになってしまった。

聞こえてくるのは風の音と蝉の声だけ。
そしてどこであろうと変わらず降り注ぐ強い夏の太陽。
今も新しい家は建たない。この土地にはまだ建築許可が下りないそうだ。
海岸線へ近づく。
工場の跡だろうか。

そして積み上げられたままの自動車。まるでスクラップされたかのようにひしゃげている車も多い。テレビで見た映像そのもの。

北上川にかかる日和大橋を渡る。
歩道は草が生え放題だ。アスファルトにこんなに草が生えるものだとは・・・。

高さのある堤防からは津波に破壊された堤防や

瓦礫の山がよく見える。

壊れた船もそのまま。

橋の歩道には、50cmほどの段差ができ、穴が空いている。

橋を渡った向こうは水産加工所などが多かった場所だが、ここら辺まで来ると、もうよく分かった。
どこもひどくやられてしまった。
どこがどうではない。どこもやられている。
別の学校。

汚れのついているところまでが津波の高さなのだろう。4mぐらいだろうか。
人間の身長なんてせいぜい1.8m。ひとたまりもない。
こうして僕は二時間ほど自転車を走らせた。
Vol.2へつづく
- 2012年9月6日
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