続 石巻レポート Vol.2

  • ジャンル:日記/一般
津波の被災地である石巻の様子を、前回に続き綴ってみたい。
 
* * * * * * * * * * * * * * * *
 
自転車は町の様子を肌で感じることができる。
しかし町は思いのほか広いし、道はボコボコのところも多い。
 

瓦礫の山で作業をしている人々は防塵マスクをしているが、その脇を通ることにもなる。

 
炎天下のなか走り回って、僕はさすがにクタクタになった。
駅前に戻り、一旦昼食をとる。

 
レストランなどはまだまだ開いていないところも多い。
駅前でたまたまやっていたラーメン屋さんへ。

 
少しでも多くお金を落としていくため、いろいろと頼む。
珍しいクジラ餃子。
 


 
本当にクジラの肉が入っている。野趣のある風味で、クジラ好きにはいいつまみになる。
 


 
食後はまず駅前のスーパーを見てみた。少し薄暗く、港町とは思えないほど魚は少なかった。

 

同じ建物の喫茶店でアイスコーヒーを飲んでから、次はタクシーで大きく町を回ることに。


 
運転手さんと一時間ほどの案内ツアーができないか交渉する。快く引き受けてくれた。

 
運転手さんは地元の方だけあって、さすがにたくさんのことを教えてくれる。ポイントをおさえて、見るべきところを回ってくれた。

 
見るべきところは徐行して、写真を撮る時間もとってくれた。詳しく説明してくれるので、全体像がよく分かってくる。
 
 
橋の柵(手すり)がぐにゃぐにゃに。



 
かわりにプラスチック製の仕切りが立ててあるが、ご覧の通り「危険!フェンスによりかからないでください!」という状態。



 
瓦礫の山では分別作業が続く。



 
これは漁網だろうか



 
これは鉄くず



 
工場もご覧のありさまだ。



 
地盤沈下の跡。左側の高さがかつての道の高さで、沈下して水がたまっている。右側が盛り土をしてかさ上げした新しい道路。



 
同じく別の場所で。手前が沈下した高さ。



 
運転手さんいわく、このあたりは住宅がびっしりと立っていたそうだ。






 



町が変わりすぎて、運転していてもどこにいるのだか分からなくなるほどだという。
 
 

運転手さんは当時の様子がどうだったのかなど、実体験を交えていろいろ話してくれた。
 



予定時間を大幅にオーバーして案内してもらった。
 



帰りはできるだけここでお金を使っていこうと思い、駅前でリュックに一杯のお土産を買う。


クジラの缶づめ(ツチクジラ、ナガスクジラ、ミンククジラ)、海苔、カニの味噌汁、航空写真の写真集などなど。

 
この写真集が非常に分かりやすかった。

 
開くと、左に被災前の航空写真、右に被災後の写真と、一目で見比べることができる。女川などには、町ごと消滅してしまった地区もあることがよくわかった。

 
仙台まで高速バスに乗り、仙台から東京へ。夜7時から大事な約束がある。
 

ハードスケジュールの中、なんとか時間をひねり出して行った一日だったが、色々なことを考えさせられた。
 











 

これからは町の再建というステージに入るのだろうと思う。でもまだ乗り越えなくてはならない課題が多い。

 
再開発計画と建築許可の問題や、経済活動の問題、二重ローンになる方の問題や、再開発をめぐる意見の対立、心のケアの問題などなど、課題は山積していると思う。

 
 
僕ら一人一人にできることは何か・・・。


大きなことは言えないけれど、まずはひきつづき少しでも東北の経済が回る助けになるということだろうと思う。

 
石巻市内はちょっと釣りをする雰囲気という感じではなかったけれど、少し離れれば素晴らしいポイントも沢山ある。

 
多くの人が訪れたらそれだけ経済を活性化できるし、触れ合いもある。もちろん大小様々な町や地区があるから、できるだけいろいろなところへ人が入るのが理想だろう。

 
なかなか一般の都会人が行かない土地も、釣り人には入っていく動機がある。

 
仕事や旅行で東北を訪れた機会に、少し足をのばして被災地を見に行くのでもいいと思う。少なくとも僕は、やはり今回思い切って見に行ってよかったと感じている。

 
次の休みは東北で、というのも悪くない。ひっつみや濁酒もある。
 









 
長い目で見て僕らにできること・・・。


各々が仕事を通じて、どう社会貢献するかということ。


僕もまずは次の講義で学生たちにも問いかけてみたいと思っている。
 

 
自分が「何がしたいのか」は大事。しかし「何をするべきか」も大事だと。
 
 
学生の就職状況ははかばかしくない。確かに経済状況は悪い。


でも、一方で自分というモラトリアムの学生も多い。


仕事探しに迷う学生たちには、自分が何がしたいか、自分に一番合った仕事は何かなどと、「自分」という内的要素にばかり目を向けている。


他者、社会という外的要素あっての社会人なのだが・・・。


だからこそ、この震災のことはもちろんだが、社会という外部世界に目を向けてほしいと常々思う。



そして社会に存在する様々な問題に強い関心を持ってほしい。



それらを前にして、己の使命という視点で一生の仕事を決めることも大事ではないか、


・・・と問うてみたい。結局彼らは自分のことしか考えていないから、なかなか進路が定まらないのだ。






残念ながら、いまでも「自分探し」などという浮ついた言葉を口にする学生は相変わらず多い。


僕がイギリスで研究していた時も、この手の言葉を日本人大学生からずいぶん聞いて辟易したものだ。
 

まあ、彼らは若いからある程度は仕方がない。もちろん、自分などというものはどこを探したってどこにもありはしないし、


哲学的見地から言えば、「自分」を「探す」という命題の立て方がすでに間違っている。

 
人間の存在意義は適性などによってではなく、何をしてきたのかによって決まる。
 

自分を探すのではなく、自分を作れと。世の中の役に立つ人間になれたとき、それが貴方の存在意義になっていくのではないかと。
 

 
こんなことを問いかけてみようかと思っている。それがまた僕のできる社会貢献でもあると思うから。

コメントを見る