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▼ 猫に出会った週末
- ジャンル:日記/一般
今日のログは、釣りとはほとんど無縁、多少関係あるかも。
そんな内容です。
この話しの始まりは、週末日曜日の昼食時。
午前中は、妻がそろそろ子育てオンリーの生活から社会復帰するために近くの病院に採用試験を受けにいったので、午後はデイゲームでマゴチに行くか、デイリバーシーバスに行くか。何て考えていたのですが、、、
ウチには、猫がいます。
名前はモモ。女の子です。
名前は、この子を拾った妻の元同僚の名前から付けました。
モモは、生後一週ほどで稲田堤の府中街道沿いの自動車工場でオイルまみれになっているのを人間のモモちゃんが保護されました。
保護したのはいいが彼女の自宅が幹線沿いのため、猫にとっては危険であろうという彼女の判断で、新たな飼い主が探され、結果ウチにきました。
話しは、日曜日の昼食に戻って、、、
そのモモが庭で何かを相手に暴れているのを妻が気づきます。
相手は、雀でした。
慌ててモモを雀から離したのですが、羽を羽ばたかせる元気はあるものの飛べない様子。
どうしたものかと困った結果、近くの獣医さんに相談の電話を入れたところ
『七沢にある神奈川県の自然保護センターに連れていくといい』
と教えていただき、七沢へ。
そこには、鳥獣保護受付があり獣医さんがいました。
その獣医さんの診察では、どうやら巣立ちに失敗した雀らしく、頭や首を痛めてしまって飛べないでいたところをウチの猫に見つかってしまったのだろうとのこと。
助からないかも知れない。ということでしたが、それならそれで仕方ない。
やれることはしたかな。と思っていました。
しかし、この勝手な自己満足を戒めるために神様がkentoにある出逢いを与えます。
七沢から帰ってきた後、もはや釣りにいく元気もなく、息子と涼しくなってきた公園で砂遊びをして、公園の横を流れる渋田川で笹舟つくって遊びました。
渋田川も、最近少し水質がキレイになった気がします。
この川にシーバス入ってくれば楽しいんですけどね。
花水の河口を拡張すれば入りますかね?
公園からの帰り、いつもとは違う道を通って帰ることにしました。
だいぶ足取りもしっかりしてきた息子(もうすぐ2歳)が走り出すとなかなか追いつくのも大変です。
そんな帰り道にある駐車場の前を通った時、何かの気配を感じて視線を向けると、仔猫が見えました。
近づいて見てみると、仔猫ばかりが4匹。
まだ体長も15センチ程度。
更に近づいてみると、内二匹は目に怪我か病気を持っている様子。
そして既に亡くなって何かに食べられ頭と背骨だけになった仔猫の死骸が1つ。
一度家に帰り、妻にことの次第を報告したものの妻も私もどうしていいかわからない。
ウチでは飼えない。
でもあのままにしておけば、いずれ皆あの死骸のようになってしまう。
取り急ぎ、死骸の引き取りを平塚市役所にお願いしたところ、日曜日だったので月曜日の朝引き取りに来てくれるとのこと。
残る4匹については、平塚にある神奈川県の動物保護センターに月曜日保護してもらうことにしました。
獣医さんに連れていくことも考えましたが、飼う覚悟がないのに連れていくことはできませんでした。
後で聞いた話しでは、仔猫など手の掛かる保護動物ほど、保護センターでは殺処分になるようです。
あの仔猫たちは生かそうと思えば生かすことができる。
なのに、みすみす死なせてしまっていいのだろうか?
そんな葛藤はありました。
かわいそう。というだけであの仔猫たちを助ける、恐らく結果として飼うことは無責任なのではないか?
そんな人間の都合上の理屈で今そこにある命を救えるかも知れないのに救わなくていいのか?
いや、そもそも救えるなんて考え自体が傲慢なのではないか?
なんてことも考えました。
夜に再度、その駐車場に行ってみると今度は大人の猫もいました。
何故だか分からないけど、少しホッとしました。
親猫がいるなら、ただ死を待っているのではないかも知れない。
でも彼らの脇にある一体の亡骸がそうではないことを知らせていました。
結局どうすることもできないまま月曜日の朝を迎え、あの駐車場に行ってみると、仔猫たちの姿はなくなっていました。
死骸も片付けられており、親猫と思われる大人猫の姿もありませんでした。
市役所や保護センターに確認したところ、死骸の引き取りや保護は行っていないとのこと。
おそらく近所のどなたかが、私と同じように動かれていたのでしょう。
自ら死骸をお片付けになったのは、スゴいと思います。
とにかく仔猫たちがいなくなり、私もこの件に対して何かできることはなくなりました。
正直ホッとしたと思います。
正確なことはわかりませんが、恐らくあの猫たちの親、もしくはそのまた親は、元々飼い猫だったのでしょう。
避妊手術もせず、飼う責任を放棄してしまうと、このような結果を生んでしまうのだなと思い知りました。
ペットとして猫を飼うのも人間。
その責任を放棄するのも人間。
結果、困るのも人間。
困らないように、避妊手術などを行うのも人間。
人間の世界に本来そこにいないはずの動物を自分の喜びのために、人間の世界で生きるのに都合がいいようにしてしまう。
人間は本当に罪深い。
そう思い知らされた週末でした。
以前、キャッチ or リリースの議論があった際にも自分が行き着いた答は、
『罪深いことをしていると自覚して楽しむこと』
でした。
今回のことでペットに関しても同様なんだな。と認識しました。
認識した上でモモと暮らしていこうと思います。
そして、この経験や考えを子供たちや機会があれば、友人たちや、これからペットを飼おうとしている人に聞いてもらうことができれば。
あの仔猫たちに出会って、教えられた32才の夏でした。
そんな内容です。
この話しの始まりは、週末日曜日の昼食時。
午前中は、妻がそろそろ子育てオンリーの生活から社会復帰するために近くの病院に採用試験を受けにいったので、午後はデイゲームでマゴチに行くか、デイリバーシーバスに行くか。何て考えていたのですが、、、
ウチには、猫がいます。
名前はモモ。女の子です。
名前は、この子を拾った妻の元同僚の名前から付けました。
モモは、生後一週ほどで稲田堤の府中街道沿いの自動車工場でオイルまみれになっているのを人間のモモちゃんが保護されました。
保護したのはいいが彼女の自宅が幹線沿いのため、猫にとっては危険であろうという彼女の判断で、新たな飼い主が探され、結果ウチにきました。
話しは、日曜日の昼食に戻って、、、
そのモモが庭で何かを相手に暴れているのを妻が気づきます。
相手は、雀でした。
慌ててモモを雀から離したのですが、羽を羽ばたかせる元気はあるものの飛べない様子。
どうしたものかと困った結果、近くの獣医さんに相談の電話を入れたところ
『七沢にある神奈川県の自然保護センターに連れていくといい』
と教えていただき、七沢へ。
そこには、鳥獣保護受付があり獣医さんがいました。
その獣医さんの診察では、どうやら巣立ちに失敗した雀らしく、頭や首を痛めてしまって飛べないでいたところをウチの猫に見つかってしまったのだろうとのこと。
助からないかも知れない。ということでしたが、それならそれで仕方ない。
やれることはしたかな。と思っていました。
しかし、この勝手な自己満足を戒めるために神様がkentoにある出逢いを与えます。
七沢から帰ってきた後、もはや釣りにいく元気もなく、息子と涼しくなってきた公園で砂遊びをして、公園の横を流れる渋田川で笹舟つくって遊びました。
渋田川も、最近少し水質がキレイになった気がします。
この川にシーバス入ってくれば楽しいんですけどね。
花水の河口を拡張すれば入りますかね?
公園からの帰り、いつもとは違う道を通って帰ることにしました。
だいぶ足取りもしっかりしてきた息子(もうすぐ2歳)が走り出すとなかなか追いつくのも大変です。
そんな帰り道にある駐車場の前を通った時、何かの気配を感じて視線を向けると、仔猫が見えました。
近づいて見てみると、仔猫ばかりが4匹。
まだ体長も15センチ程度。
更に近づいてみると、内二匹は目に怪我か病気を持っている様子。
そして既に亡くなって何かに食べられ頭と背骨だけになった仔猫の死骸が1つ。
一度家に帰り、妻にことの次第を報告したものの妻も私もどうしていいかわからない。
ウチでは飼えない。
でもあのままにしておけば、いずれ皆あの死骸のようになってしまう。
取り急ぎ、死骸の引き取りを平塚市役所にお願いしたところ、日曜日だったので月曜日の朝引き取りに来てくれるとのこと。
残る4匹については、平塚にある神奈川県の動物保護センターに月曜日保護してもらうことにしました。
獣医さんに連れていくことも考えましたが、飼う覚悟がないのに連れていくことはできませんでした。
後で聞いた話しでは、仔猫など手の掛かる保護動物ほど、保護センターでは殺処分になるようです。
あの仔猫たちは生かそうと思えば生かすことができる。
なのに、みすみす死なせてしまっていいのだろうか?
そんな葛藤はありました。
かわいそう。というだけであの仔猫たちを助ける、恐らく結果として飼うことは無責任なのではないか?
そんな人間の都合上の理屈で今そこにある命を救えるかも知れないのに救わなくていいのか?
いや、そもそも救えるなんて考え自体が傲慢なのではないか?
なんてことも考えました。
夜に再度、その駐車場に行ってみると今度は大人の猫もいました。
何故だか分からないけど、少しホッとしました。
親猫がいるなら、ただ死を待っているのではないかも知れない。
でも彼らの脇にある一体の亡骸がそうではないことを知らせていました。
結局どうすることもできないまま月曜日の朝を迎え、あの駐車場に行ってみると、仔猫たちの姿はなくなっていました。
死骸も片付けられており、親猫と思われる大人猫の姿もありませんでした。
市役所や保護センターに確認したところ、死骸の引き取りや保護は行っていないとのこと。
おそらく近所のどなたかが、私と同じように動かれていたのでしょう。
自ら死骸をお片付けになったのは、スゴいと思います。
とにかく仔猫たちがいなくなり、私もこの件に対して何かできることはなくなりました。
正直ホッとしたと思います。
正確なことはわかりませんが、恐らくあの猫たちの親、もしくはそのまた親は、元々飼い猫だったのでしょう。
避妊手術もせず、飼う責任を放棄してしまうと、このような結果を生んでしまうのだなと思い知りました。
ペットとして猫を飼うのも人間。
その責任を放棄するのも人間。
結果、困るのも人間。
困らないように、避妊手術などを行うのも人間。
人間の世界に本来そこにいないはずの動物を自分の喜びのために、人間の世界で生きるのに都合がいいようにしてしまう。
人間は本当に罪深い。
そう思い知らされた週末でした。
以前、キャッチ or リリースの議論があった際にも自分が行き着いた答は、
『罪深いことをしていると自覚して楽しむこと』
でした。
今回のことでペットに関しても同様なんだな。と認識しました。
認識した上でモモと暮らしていこうと思います。
そして、この経験や考えを子供たちや機会があれば、友人たちや、これからペットを飼おうとしている人に聞いてもらうことができれば。
あの仔猫たちに出会って、教えられた32才の夏でした。
- 2011年6月29日
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