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A Fisherman View 諦めない釣るまでは?

メッセージ

自分が初めて釣りをしたのは、家の前を流れる川で当時毎年行われていた鱒釣り大会。

幼稚園生の自分は父に手を引かれ河原へ行き延べ竿でマグロの赤身を鉤に付けて貰い父と一緒に虹鱒を釣り上げた。

そして、二人一緒に抜き上げたその感触が今もある。

その後父と釣りをしたのは一度だけ小学校低学年になり農協が管理していた虹鱒の釣り堀で練り餌を使った釣り。

一人で釣らせて貰った子供の自分は鱒の引きの強さに戸惑った
ようやく釣り上げ喜んだ、多分3匹程釣り家に持ち帰り釣り好きの祖父に
見せた。

今考えると実は多分、父は祖父に何か伝えたかったのかな~と思う。

そもそも父は釣りをする人ではなかった。

父との釣りはたったの2回だけ。

それから自分は祖父に釣りを教わり夏休みは毎日の様に家の前を流れる川で釣りをした、一人だったり、祖父と一緒だったり。

川虫を取って鉤に付けて流す浮き釣りで、釣れる魚はカワムツやオイカワ、ウグイ、コイの子供やフナ

浮き下を深くするとカンジッコ(ウキゴリやヨシノボリなどのハゼ類を総称でそう呼んでいた)

毎日毎日釣って釣って釣りまくった、飽きることもなく。

そして父は仕事が終わると夕方にクワガタやカブトムシ採りに山へよく連れて行ってくれた。父が木を蹴り自分が落ちてきた虫を採る係り。

いつも虫かごはいっぱいになった。

そして数年後父は入院し自分は見舞いに行った夏の日にノコギリクワガタを一匹手渡された。飛んできたから取っておいたぞ!と

それから何故か誰も病院に一緒に連れて行ってくれなかった。

ある日学校へ行こうと準備していると今日は学校へ行かなくてもいいと告げられた。

そして父が亡くなったと知った。

父と最後に言葉を交わしたのはあの病室のノコギリクワガタを手渡された時、、、、fdhegv3e7ip3om6k4f6g_480_480-6220304b.jpg




ヒラスズキ釣りから帰るとノコギリクワガタが白い壁にとまっていた。




 

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