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今シーバス釣りを想う。#10

福袋ってモノを長い事買っていませんでしたが

今年は、トイザらスの初売りで

ジュラシックパークのハッピーバッグを

買いました。


どうもRATAです。


恐竜は子供の頃から大好きです。



⬛︎シーバス釣りの写真に向ける情熱#00

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

前に書いた写真のログと重複してしまいますが、少し違った視点からの、写真のお話。

あくまでも個人的な観点からの発言になりますので、悪しからず。

今や誰もが知るInstagram。写真中心のSNSです。綺麗な写真から面白い写真まで、世界のトレンドを映し出すこのスマホ時代には必要不可欠な存在のSNS。一方でココfimoなんかは、アメブロなんかと一緒のブログに当てはまるカテゴリー。

いまだに観覧者数は多く、こと釣りに関してはおそらくココが世界一でしょう。

コチラは活字の世界。少し前から数人で話してる話題があって、YouTubeは動画の、インスタは写真の、ブログは文字の世界観がソコにはあって、全部必要で、全部要らない。

話しが矛盾しまくってますけど、世界で流行した順番とかはちょっと知らなかったりするんですけど、おそらく今、昔に比べてソノ"流行"というモノが極めて意味を持たなくなり始めている時代。

確かにトレンドはあるとは思います。

ですが、日本でいう昭和の頃辺りから考えると、みんなが見ていたメディアの数が増えすぎている現状。当時は、おそらくほぼ全ての人達がテレビを主体に、雑誌や本などから情報を得ていたハズ。

その時のメディアのチャンネル数は、極めて少なかったハズです。学校や職場でも、前の夜に見ていたモノはほぼほぼ同じテレビ番組だった事になります。

平成の頃に流行った、雑誌でも、CDでも、ほぼみんなが同じ方向を向いていた時代。それは選べるメディアが少なかったから起きた現象。

令和の今、YouTubeNetflixを始め、24時間見たい放題の動画コンテンツや、書店より品揃えが複雑なAmazonなどなど。InstagramTikTokもひたすらに新しい情報がダダ流し状態。

これじゃあ、一体どれを見ていたら良いのか、明日には流行が変わる様な世の中と言っても過言では無くなりました。

一方で、それだけ目まぐるしい情報のなかから抜きに出ようと思うのであれば、やはり思わず目に止まるって言うのは、結構大前提だったりもして、色々なモノのクオリティは上がり続けている訳ですから、ソレはソレで誤魔化しが効かなくなったというか、考えようによってはより良くなって来ているというのも、時代の良さかもしれません。

そしてもうひとつ。

トレンドからの解放。これは個人で物事を楽しみつつ発信していく事に対して、かなり大きな事だと思っていて、"今流行りの"というのを少しづつ世界が意識しなくなっていく傾向にあるのでは無いか?という事です。つまり何かしらを発信する際、流行的な事をプラスして発信していた、もしくは形作っていたものは、もうそんな事をする意味が無いから、本当に伝えたい事だけを発信し始めると思われます。

より流行色、より流行の形、より流行を意識したという事が排除され、流行がどうかは知らないが、この形、この色、コレを伝えたい、作りたい、売りたい。と言った様な事になるのでは無いかと。実際に、ここ10年程度のスニーカーや履き物の動きを見ていると、それが色濃く反映されている気がしてならないです。

少し前は、どこもかしこも流行色があって、似たり寄ったりの物が多かった気がしますけど、近頃は復刻やなんかでリバイバルな物が登場しても、ソレはソレ。といった感じがあり、それを欲する人達だけが求めている状態と言いますか。もちろんソレらを追いかけている人達もいるとはおもいますけど、ソレはまたソレであって。

写真にも同じ様な事を自分は今感じていて、少し前で言えば、キャンプの写真なんかの雰囲気が良いモノばかりを見漁っていたのですが、近頃はなにかしら面白い画質や画角のものの方に心が動きます。

やはり写真は、瞬間を切り取ってるだけあって、見た時に心動かされるというか、その先を少しだけ想像出来る様なものだったり、ストーリー性を読み取れる様な写真が美しいと思えたりします。

動画は、映画とかみたいにこちら側が感情移入出来る準備が出来ている状態であれば、受け取れるのですが、流し見している程度はやはりエンタメ性の強いものの方が見入ってしまうというか。

逆に活字なんかは、音が出る訳ではないので、見る場所を選ばず、見るタイミングをコチラ側でコントロールする事ができます。なので、無くならない文化として残るのだと感じています。

そうなって来ると、どうなって来るかと言いますと、ハッキリ言って発信の意味があまり無くなるという事だとおもいます。

ブログ文化が流行った懐かしのmixi。毎日誰かが書いた日記にコメントをし合った思い出。心当たりある方は同世代ですね。笑。

しかしいつしか日記を書かなくなり、読まなくなり、見なくなった。

近頃のInstagramの写真の投稿数、何かしら撮って、何でも投稿している様な人は、どんどん見当たらなくなりました。

とりあえずやってみたYouTubeみたいなチャンネルも数が減りつつあります。

そう考えると、記録用にでも書いていたはずの釣行日記も書かなくなった人が多いんじゃないかなとも思えます。

ですがコレ、実は逆転の発想で、死ぬほど楽しめるコンテンツを独自に作れる時代という事に気がつけるんです。笑。


つづく。

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