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対象魚

ツキノワグマの出没増加で思うこと

  • ジャンル:日記/一般


近年、人間の生活圏内でのクマとの遭遇や事故が増えている。

私は人間の生活圏内での殺処分はある程度仕方ないと考えている。


クマはほとんどの個体が野生だ。

野生動物は極端に言うと「子孫繫栄」つまり「子孫を残し命を繋ぐ」ためだけに生きている。

そのため食べることと繁殖行動にほぼ全ての力を注いでいる。

なので、当たり前だが人間の生活圏内に入り事故を起こしたクマに罪はない。

とはいえ、「人間の生活圏内」で次々に人間を襲うような個体や執拗に家畜や農作物を狙う個体の殺処分は必要だ。


最近この殺処分に関して反対派と賛成派が両極端になっているように思う。

何が何でも殺処分しないというのもおかしいし無理がある。

積極的な殺処分もおかしい。


ここで少しクマ類の捕獲数(許可捕獲数)について書いておく。

環境省が公表している資料に「クマ類の捕獲数(許可捕獲数)について [速報値]【都道府県(知事許可等)】【地方環境事務所等(大臣許可)】」というものがある。

クマ類となっているがツキノワグマとヒグマの捕獲数である。
資料にはツキノワグマとヒグマ、それぞれの捕獲数が掲載されている。

この資料によると、恐らく私たちが想像している以上にクマは捕獲されている。

捕獲には「捕殺」と「非捕殺」があるが、多くは「捕殺」されている。

H20年以降は捕殺数が3千頭以上の年はざらにあり、多い年は7千頭弱になる。

令和5年までの過去10年の平均捕殺数は4千100頭弱である。


一時数を減らしたツキノワグマは保護対象になり、順調に個体数を増やした。

現在正確な個体数を把握する術はないのだが、恐らく日本に生息しているツキノワグマの推定個体数は約1万2000頭前後と言われている。

同じくヒグマの個体数も増えている。

ヒグマも同様に推定個体数になってしまうが、約1万1700頭前後と言われている。

なのでクマ類合計の推定個体数は約2万3700頭前後ということになる。

つまりこの様に増えた分、資料にもある通り捕獲数も増えているのだ。

なので、爆発的に個体数が増えているわけではない。

これが、適正な数なのかは正直分からないが、少なくとも積極的に減らす必要なないように思う。

なにせ、多い時は総個体数の約3割を捕殺しているのだから。

これを我々人間に例えるなら、日本の人口の約3割、つまり約3600万人減らすのと同じだ。


生態系のバランスは本当に繊細だ。

クマ類の数を減らしたことが原因でどんなアンバランスが生まれるのかは分からないが、間違いなくそれは生まれる。

そして、現在生まれている生態系のアンバランス、日本で言えばエゾジカの増加や各種外来種による被害等のほとんどは人間由来だ。

本当に人間はもっと自然に対して謙虚にならなければならない。


上記に書いた通りクマ類の数は増えている。

なので、当然人間の生活圏内に入り込む数も増えて当たり前だ。

ただ、市街地にまで入り込んでくることに関しては、やはり人間にも問題がある。

クマ類が出没しそうなところでわざわざ農耕したり、生ごみの不適切処理等様々だ。

これは「北海道庁ヒグマ対策室」の職員の方もおっしゃっている。


人間も殺処分の賛否うんぬんより、まずはクマを含め自然と適切に向き合うことが重要だ。

やれることもやらないで騒いでもただの馬鹿としか見られない。

しっかりと共存もしくは棲み分けの対策をし、それでも被害を及ぼすような個体は殺処分するしかない。

ただ、上記した通り結構な数が我々の知らない所で捕獲されている。

おそらくこれはクマのテリトリーに入って捕獲していると思われる。

なので、やはり私は積極的な殺処分は反対だ。


以前もこのブログに書いたが、我々人間は本当に命を軽く扱い過ぎだ。

つい最近も報道されたが三重県桑名市の多度大社で5月に行われた伝統行事「上げ馬神事」の主催者らが、動物愛護法違反容疑で県警桑名署に刑事告発された。

これはこの行事自体が動物虐待であり、かつこの行事に参加した馬が骨折し殺処分されたことが問題視されたからだ。

他にも愛知県高浜市内の春日神社であった「高浜おまんと祭り」で馬に飛び蹴りする虐待もあった。

このように動物を使った訳の分からない伝統行事など、全く必要はない。

これも以前書いたが、必要とされない伝統文化など無くなっても良いのだ。

さらに言えば競馬や闘牛等も必要がない。

これも書くと長くなるので今回はやめておくが、必要はない。

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