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ちゃり林
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すいません、
今回は、超独り言的な内容です。
僕の117
『アナタは肝心なときに居てくれないじゃない!』
その翌年の3月、
ボクは彼女と別れた。
ただ、それは単なる節目であって、
もしかして、
もうとっくに別の道を歩いていたのかも知れない。
そう、
あの事件の後、
何かが少しずつぎこちなくなってしまった。
1995年1月17日、
あの日、
ボクはニュージーランドのとある田舎街に向けて、ひたすらペダルを漕いでいた。

そう、あの年は、オーストラリア行きのチケットが取れずに、
そのときたまたま取れたニュージーランドを旅していた。
実際に渡ってみたら、気候風土と地ビールが気に入り、
結局自転車で縦断+αの距離を旅をしていた。
多分その日は山の中に居たんだと思う。

金は無いけど時間は有ったので、ひたすらペダルを漕いで、自炊して、地ビールをタラフク呑んで、テントを張って寝た。
食材は安く、米もオーストラリア米が安く手に入ったので、困る事は無かった。
途中、ラム肉にも飽きて、魚を食いたくなり、小さな町のセコンドハンズで短い竿とリールを買った。
後ろの旗ポールがソレである。
オールダート(未舗装)の長い峠を抜けて、2日ぶりくらいに街に下りたトキ、久しぶりに人と話した。
たしか、アメリカ人カップルだったと記憶している。
「ユーは、アースクエイクを知らんのか?」
ん?なんだ?
ココで英語の試験か?
アース=地球だろ?
食えイク?⇒揺れたりするんか??
! ビッケ!
地震ぢゃーん! 俺天才!
「わかるぜ!地震、 だろっ?
あれ、 エキサイティングだよなっ!」
カップル男『はぁぁぁ??(怒)』
カップル女『アナタJapaneseぢゃないの?』
と言って、ちょっと不謹慎なヤツを叱るように新聞を見せてくれた。
そこには、戦後焼け野原に老婆が一人立っている写真が映っていた。
は?
ヒストリー?
え?ええー!?
戦後ぢゃない
ついこないだ??
ジャパンンンン?????
なにーっ???
そして慌てて読めない英字新聞を辞書使いながら無理やり読んだ記憶がある。
KOUBEという文字がやけに沢山ちりばめられていたように思う。が、当時の彼女の住む町からも、自分の実家からも距離が有ったので、悪いがほっとした。と言うのが正直な感想だった。
街のスタンドの公衆電話で日本に電話したときは、極めて平静な彼女が居た。
ボクにとってあの地震の思い出はそんな感じだ。
遠いかの地で起きた事件。
そして、知らない間に、いろんなことを変えてしまった事件だった。
らしい
震源から遠く、特に心配の要らない場所とはいえ、
狭いアパートの1室で、一人待つのは心細かったんだろうな、
一人で、いろんな事を思う時間が有ったんだろうな。
そして、ほんとうの拠り所もみつけられたのかな。
ボクはそのまま旅を続け、3月に帰国した。
ボクはボクで、その旅の後半1ヶ月は、ほとんどペダルを漕ぐ事を止め、
釣りに没頭していた。
旅人は、釣り人に成っていた。
そう、あのおもちゃクセェロッドでたまたま釣ったブラウントラウトが、ボクの人生を変えてしまっていた。
この話は前にも書きましたね。
帰国した僕は、兎に角鬼の様に働いて金を溜めた。
同棲していた彼女は、スノーボードの強化選手に成っており、
その夏、ボクとは入れ替わるようにニュージーランドの冬に強化合宿に向かった。
彼女は彼女で、自分の新たな道を見つけ出していた。
そんなすれ違いのまま、彼女が帰国して2ヵ月後、当時住んでいた信州の渓流が禁猟になった直後、ボクは再度ニュージーランドの春へ旅立つ事になる。
今度は、自転車は無く、
今度は、釣竿とテントを持っていた。
『春には定職に付く、コレが最後だから』
成田に見送りに着ていた彼女に最後のキスをしようとしたときに、
冒頭の言葉を投げられた。
ソレをびきずったまま、ひたすら釣り歩いた。
見よう見まねのハンドメイドを大量に持参し、
移動手段には20年落ちのホールデンを買った。
米を焚いて、後はひたすら魚を食って生活をしていた。

大増水の湿地帯では、ネズミパターンがド・ハマリした。

東京まで約1000キロ、
ホームシックになったことは無いが、
独りがサミシイ時はたくさんあった。

毎日、釣りから帰ると焚き火のそばで手紙を書いた。
何時しかソレは日記になり、自分分析になり、これからの人生を考える、良い時間になった。
やりたい事、
やれる事
やれる量
守るもの、
~無きゃいけないもの
~なきゃならないもの
夢
そして成りたい自分
夢を追う事を支えて欲しかった。
けど、
支えてあげられなかった。
と言う事実。
巻き戻せない時間。
いっぱいわかったんだけどな、
でも、そこでは戻せなかった。
この旅を終え、帰国したとき、
もう一度あの言葉を聞いた。
そして、別々に生きるコトになった。
好きとか、嫌いとかでなく、
“もう人生が重ならない”
そんなふうに感じた。
今でも思う。
ボクが悩み、成長できた時間を支えてくれた。
ありがとう。
この声が届かない事は知っている。
ありがとう。
ま、ボクがこの旅で、
どれだけ修行を積んだかというと、

(ゲダツ、、でしたっけ?)
オウムなんかよりぜーんぜんスゴイってYO~
そして、現在
最終解脱者の俺は、お陰様で家族と幸せな時間を過ごせている。

焼肉パーティー
実は、1月17日は、結婚記念日
今日は特別のワインを開けた。
このグラスは、結婚一年目の記念に、ネームを彫った。

そして
今日はナント10年目。
おめでとう、
そして、
ありがとう、
今回は、超独り言的な内容です。
僕の117
『アナタは肝心なときに居てくれないじゃない!』
その翌年の3月、
ボクは彼女と別れた。
ただ、それは単なる節目であって、
もしかして、
もうとっくに別の道を歩いていたのかも知れない。
そう、
あの事件の後、
何かが少しずつぎこちなくなってしまった。
1995年1月17日、
あの日、
ボクはニュージーランドのとある田舎街に向けて、ひたすらペダルを漕いでいた。

そう、あの年は、オーストラリア行きのチケットが取れずに、
そのときたまたま取れたニュージーランドを旅していた。
実際に渡ってみたら、気候風土と地ビールが気に入り、
結局自転車で縦断+αの距離を旅をしていた。
多分その日は山の中に居たんだと思う。

金は無いけど時間は有ったので、ひたすらペダルを漕いで、自炊して、地ビールをタラフク呑んで、テントを張って寝た。
食材は安く、米もオーストラリア米が安く手に入ったので、困る事は無かった。
途中、ラム肉にも飽きて、魚を食いたくなり、小さな町のセコンドハンズで短い竿とリールを買った。
後ろの旗ポールがソレである。
オールダート(未舗装)の長い峠を抜けて、2日ぶりくらいに街に下りたトキ、久しぶりに人と話した。
たしか、アメリカ人カップルだったと記憶している。
「ユーは、アースクエイクを知らんのか?」
ん?なんだ?
ココで英語の試験か?
アース=地球だろ?
食えイク?⇒揺れたりするんか??
! ビッケ!
地震ぢゃーん! 俺天才!
「わかるぜ!地震、 だろっ?
あれ、 エキサイティングだよなっ!」
カップル男『はぁぁぁ??(怒)』
カップル女『アナタJapaneseぢゃないの?』
と言って、ちょっと不謹慎なヤツを叱るように新聞を見せてくれた。
そこには、戦後焼け野原に老婆が一人立っている写真が映っていた。
は?
ヒストリー?
え?ええー!?
戦後ぢゃない
ついこないだ??
ジャパンンンン?????
なにーっ???
そして慌てて読めない英字新聞を辞書使いながら無理やり読んだ記憶がある。
KOUBEという文字がやけに沢山ちりばめられていたように思う。が、当時の彼女の住む町からも、自分の実家からも距離が有ったので、悪いがほっとした。と言うのが正直な感想だった。
街のスタンドの公衆電話で日本に電話したときは、極めて平静な彼女が居た。
ボクにとってあの地震の思い出はそんな感じだ。
遠いかの地で起きた事件。
そして、知らない間に、いろんなことを変えてしまった事件だった。
らしい
震源から遠く、特に心配の要らない場所とはいえ、
狭いアパートの1室で、一人待つのは心細かったんだろうな、
一人で、いろんな事を思う時間が有ったんだろうな。
そして、ほんとうの拠り所もみつけられたのかな。
ボクはそのまま旅を続け、3月に帰国した。
ボクはボクで、その旅の後半1ヶ月は、ほとんどペダルを漕ぐ事を止め、
釣りに没頭していた。
旅人は、釣り人に成っていた。
そう、あのおもちゃクセェロッドでたまたま釣ったブラウントラウトが、ボクの人生を変えてしまっていた。
この話は前にも書きましたね。
帰国した僕は、兎に角鬼の様に働いて金を溜めた。
同棲していた彼女は、スノーボードの強化選手に成っており、
その夏、ボクとは入れ替わるようにニュージーランドの冬に強化合宿に向かった。
彼女は彼女で、自分の新たな道を見つけ出していた。
そんなすれ違いのまま、彼女が帰国して2ヵ月後、当時住んでいた信州の渓流が禁猟になった直後、ボクは再度ニュージーランドの春へ旅立つ事になる。
今度は、自転車は無く、
今度は、釣竿とテントを持っていた。
『春には定職に付く、コレが最後だから』
成田に見送りに着ていた彼女に最後のキスをしようとしたときに、
冒頭の言葉を投げられた。
ソレをびきずったまま、ひたすら釣り歩いた。
見よう見まねのハンドメイドを大量に持参し、
移動手段には20年落ちのホールデンを買った。
米を焚いて、後はひたすら魚を食って生活をしていた。

大増水の湿地帯では、ネズミパターンがド・ハマリした。

東京まで約1000キロ、
ホームシックになったことは無いが、
独りがサミシイ時はたくさんあった。

毎日、釣りから帰ると焚き火のそばで手紙を書いた。
何時しかソレは日記になり、自分分析になり、これからの人生を考える、良い時間になった。
やりたい事、
やれる事
やれる量
守るもの、
~無きゃいけないもの
~なきゃならないもの
夢
そして成りたい自分
夢を追う事を支えて欲しかった。
けど、
支えてあげられなかった。
と言う事実。
巻き戻せない時間。
いっぱいわかったんだけどな、
でも、そこでは戻せなかった。
この旅を終え、帰国したとき、
もう一度あの言葉を聞いた。
そして、別々に生きるコトになった。
好きとか、嫌いとかでなく、
“もう人生が重ならない”
そんなふうに感じた。
今でも思う。
ボクが悩み、成長できた時間を支えてくれた。
ありがとう。
この声が届かない事は知っている。
ありがとう。
ま、ボクがこの旅で、
どれだけ修行を積んだかというと、

(ゲダツ、、でしたっけ?)
オウムなんかよりぜーんぜんスゴイってYO~
そして、現在
最終解脱者の俺は、お陰様で家族と幸せな時間を過ごせている。

焼肉パーティー
実は、1月17日は、結婚記念日
今日は特別のワインを開けた。
このグラスは、結婚一年目の記念に、ネームを彫った。

そして
今日はナント10年目。
おめでとう、
そして、
ありがとう、
- 2014年1月17日
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