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釣りはフェアかアンフェアか


自粛期間中あらためて開高さんのエッセイ集を読んでいたら、次のような文章が目に入ってきました


「釣りはフェアかアンフェアか」

 魚とりはプレイである。魚とりを生業とする人は別だが、それ以外の人は、プレイとして魚をとる。そのことに唯一の救いを求めている人も多い。魚を殺すことで生きのびていく人、それだけで生きのびていく人も多い。そこで、このプレイをフェアかアンフェアかという点から見ると、どうだろう。魚はヒトよりもはるかに古くからこのテラ(地球・土地)の先住者である。ヒトはずっと遅れてやってきて、魚と同棲し、やがてそれを超え、ついで侮辱しはじめ、誇りに酔い、いまはむしろ好敵手が減りつつあるので狼狽しているが殺生はやめられないという段階である。ヒトはたいてい魚の食う自然の一片を餌にして魚を釣って技と知恵を誇っている。または魚の心を読みとったと思って格闘後に満身へ清浄の、いいようのない愉悦をおぼえて、きびしくもあどけない誇りに浸る。これを工業の点から見ると、ヒレと顎でしか抵抗できない魚をナイロン糸、ダグロン糸、無数の歯車や液をくぐったあげくの物体に原始のスズコをつけてヤマメを釣っているわけである。ナイロンはテグスのように容易には切れないし、鈎は年を追って精妙にになる。ヤマメはどうあがいたって逃げようがない。スズコを食うか、チョロ虫を食うかは彼女の意志だが、そこから一ミリ上は茫漠、厖大な科学の野であって、怪奇、異様、無秩序にしてかつ精妙、ヤマメにはどう手のつけようもない。
(「私の釣魚大全」より)
 集英社新書「開高健の博物誌」



釣りはフェアかアンフェアか
この命題自体がナンセンスだと思われる方は、ここでログを閉じてください 読まれても意味がわからないと思います

開高さんは世界中を釣り歩き、旨いものを食べ、自分の欲望を満たすためにエネルギッシュに行動した作家と思われているふしがありますが、魚釣りに対してこういう感じ方も持っておられたのは新鮮でしたし、あらためて深い洞察力に畏れいった次第です

魚釣りは人間の知恵や技術を駆使してやるもの
当たり前だろと思われる方もおられるでしょう

「魚が人間に反抗できるのはあごとひれだけである」


脳の発達した人間はあらゆる道具を生み出しました 氏はその道具を駆使して魚をねじ伏せたつもりになっている人間を少し引いて捉え、その行いはフェアなのか?と自問自答されておられるわけです


そんなこと気にしてたら魚釣りなんかできないと思われるのは至極当然です


人間から離れた自然の世界にだってアンフェアなことは普通にあります たとえば生まれたばかりの鳥のヒナを親鳥のいない隙にかっさらっていくものもいれば、弱った草食動物に狙いをつけてまんまと仕留める動物だっているわけです 人間で言うと弱いものイジメです さらに自分ではほとんど何もせず、他の生物に寄生して命をつなぐやつだっています


人間はありとあらゆる生命のいいところも悪いところも寄せ集めて作られた生き物のような気もします


開高さんは自分で釣りをされながら、果たしてこれでいいのか、フェアなのかと常に考えておられたのではないかと私は感じています でなければこのようなエッセイは書かれなかったでしょう

魚釣りはリリースするにしても魚を傷めます
言葉を拝借すれば、プレイとして自然に対してなんらかの介入をする行為です

きれいごとを言うなと思われる方もおられると思いますが
やはりそういう気持ちを少し持って、魚釣りをしたほうがいいのではないかなと思います

人間以外の生き物は、自ら生きながらえまたその子孫を残すために直観的本能的に行動していますが、人間はそういう自分を客観的に見ることのできる、いや見てしまう唯一の生物です

だからこそ悩んだり苦しくなったりもするわけです

人間に与えられた能力をどう使うかは人間の知恵にかかっています 何も考えずにその能力を使うのと少し感じながら使うことには、明らかに違いがあると思います それが、品性というものかもしれません

アンフェアなものをフェアに昇華する知性も人間は兼ね備えていると私は信じたいです


数年後には私も死にますが、あの世に行ってもし開高さんとお会いできたなら、そのお気持ちを是非とも聞かせていただきたいと思っています これを書かれたときのお気持ちは、今も変わっておられませんかと


できれば三途の川でいっしょに糸を垂れながら

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