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ロッド選びのイロハ 掛けたのか?掛かったのか?

  • ジャンル:日記/一般
つづき
 
前回は、ロッドの長さがリトリーブにどう影響するか、またアクションに対して何が起きるかでした。
今回は掛けた後の話しなんだけど、その前に「掛ける」ってなんだろね・・・という話し。
 
 
3 魚を掛けた後に対して
 
今回は、魚を掛けた後に、ロッドの長さがどのように影響するか・・・です。
おや?ッと思った人、駄文をしっかり読んで頂けて大変嬉しゅう思います。
 
前回はルアーの操作の話し。そして今回は「掛けた後」の話し。
という事は、「掛ける」と言う話しは何処へ行ってしまったんだ?と言う事です。
 
これ、ちょっと極論ですが、「掛けるという事に関しては、あんまり長さでは考えなくて良いかなぁ・・・」って思ってます。
 
もちろん影響はありますよ。
特にフッキングストロークと言う意味では「長さと曲がり位置と強さ」の兼ね合いですから。
でもね、シーバスのような「巻いてくる釣り」においてのフッキングって、じつは「掛ける」じゃないと思うんですよ。
だってワームみたいに、バイトにリニアに反応してフッキング動作をして針を刺す訳じゃないんだもん。
 
簡単に言えば、数十m先のバイトは「かなり遅れて気が付いている」、もしくは「全く気が付いていない」のどちらかです。(糸がピンピンに張ってれば別)
そして気が付いてからフッキングの動作を行い、それがラインを伝わってルアーを動かし、フックの先端に荷重が掛かるのには、かなりの時間を有しています。
まぁ仮に影響度と言えば、このフッキングの動作のモーションの多さでいえば長いロッドが有利のように見えるけど、短く強い力(これをフッキングと言うならば)を伝えるには短いロッドの方が有利です。
前出のルアーの操作で書きましたが、ジャークの原理と一緒です。
しかし実際には、長い竿が有利になります。
それはやはり「巻きの釣りは、フッキングで魚を確保していない」と言う事なのです。
 
以前、シーバスがルアーを吸い込んでから違和感で吐き出すまでに、最短でたしか0.3秒だったという動画を見ました。
また、多くの魚は、吸い込んだ瞬間(もしくはその直前に!)に「吐き出すモーションに移行している」という事実があります。
その時に、針が引っかかっちゃうんです。
吸い込むときに「やべ!これエサじゃない!」と気が付いても、フックが外に引っかかってしまうのです。
ですから、バイトした瞬間に首を振っています。
これは1000匹ぐらいのバイトを目視すれば、だれでも気が付く事です。
(もしもそういう経験をしたいと思うなら、多少お金は掛かりますがお見せしてあげる事はできます。)
 
はたして、「数十mも離れた場所でのバイトを釣り人が感じ、シーバスが吐き出そうとする前にフッキングを決めて、口の中へアングラーが意図した形で針を突き刺している」と言っていいものだろうか?という事です。
 
ではフッキングと言う動作は要らないか?というと、矛盾するようですが「絶対に必要」です。
というよりも、言葉を選ぶならフッキングではなく「あらためて、ちゃんと深くまで針を刺す」という事です。
 
バイトして、引っかかって(乗っかって)くれた針先を、力強く奥まで刺してキープ力を高めるのが、巻きの釣りにおいて多くの人がやっているフッキングです。
この力の伝え方は、ロッドの長さは多少影響しますが、魚の重みに対して針を刺せるロッドの強さと、ラインの弛みをより早く無くせるリールのほうが大事です。
むしろ長さは、「刺さったあとのキープ」に大きく影響してきます。
 

つづく

【ちょっと一言】

今年は終戦75年ですね。
そんな節目の夏ですが、コロナウィルスで思う様な事が出来ないという不自由を感じている人も多いと思います。
しかし、戦時中の不自由とはこんなものでは無かったとはず。
私たちが日々平和に暮らしているという事は、どういう事なのかを少し考えてみるのも良いかもしれませんね。

「釣りをすることの自由」と「生きていることの自由」を比べる訳ではありませんが、少しづつ奪われていく自由に対して今を生きる私たちは感覚が鈍っている気がしてなりません。

「そんな小さい事でムキに成んなくても・・・」とか「楽しい事だけ考えてればいい」とか「みんなと同じようにしていればよい」という事もまぁ気持ちは判りますが、一人一人の主張が出来る自由の担保とは、いつも知らず知らずのうちに大衆操作の下で奪われていきます。

考える事を止めた日本人。

その行き着いた先が先の大戦であり、日本という国のアイデンティティーの崩壊(封じ込め)でもありました。

果たして令和の日本が、あの頃の過ちと「同じことを繰り返していない」と言い切れるのだろうか・・・と思うときが在ります。

それは例えばロッド一本の売り方においても、そう思うのです。
雰囲気や流行という隠れ蓑に、その道具の本質が隠れてしまっては悲し事ではないかと。

我々日本人の釣り人としてのアイデンティティーは何処にあるのでしょうか。

そんな事を考えながら、終戦75周年の報道番組を眺めています。

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